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第3話 お母様の許可はいただいております

「佐倉さん、次の面談をお願いできる?」


「はい!」


先輩から渡されたプロフィールに、ひよりは目を落とした。


中村和也。四十一歳。


会社員。勤続十九年。年収六百八十万円。


初婚。結婚歴なし。


穏やかな性格で、家族を大切にする。


希望する結婚生活は、互いを思いやり、支え合える家庭。


(おお……!)


ひよりは小さく頷いた。


(堅実! 誠実! 家族思い!)


前回の面談では、年収一千万円の男性が割り勘への反応を採点していた。


その前には、婚活歴十年の女性が希望条件を増やして帰っていった。


(今度こそ、平和な面談になりそう!)


ひよりはプロフィールをめくった。


備考欄には、短い一文が添えられている。


『ご家族との関係は良好。特に母親とは親しい』


(親孝行な方なんだ)


素敵なことだと思う。


ひより自身、家族を大切にする人には好感が持てる。


「佐倉さん」


「はい?」


先輩が顔を上げた。


「中村さん、少しお母様との距離が近いみたいだから」


「そうなんですか?」


「ええ。でも、決めつけずに話を聞いてみて」


「はい!」


ひよりは元気よく返事をした。


(大丈夫!)


(家族仲がいいだけで、変な先入観を持っちゃ駄目だよね!)


そう自分に言い聞かせ、面談室へ向かった。


このとき、ひよりはまだ知らなかった。


今日、自分の脳内で何が起動するのかを。


*


「本日はよろしくお願いいたします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


中村和也は、柔らかな物腰の男性だった。


落ち着いた色のジャケットに、丁寧に整えられた髪。


椅子に腰掛ける前には、ひよりに一礼までしてくれた。


(感じのいい人だなあ)


ひよりは安心した。


「中村様は、どのようなご家庭を築きたいとお考えですか?」


「そうですね。お互いを大切にできる家庭が理想です」


「素敵ですね!」


「両親も仲がよかったので、僕もそんな家庭を築きたいと思っています」


「ご両親をお手本にされているんですね」


「はい。特に母とは、昔から仲がいいんです」


和也は穏やかに微笑んだ。


「考え方も似ていますし、何かを決めるときも、自然と同じ結論になることが多いですね」


「そうなんですね」


(親子で価値観が近いんだ)


「今回のお見合いも、母が背中を押してくれまして」


「お母様が?」


「はい。藤宮さんの写真を見て、僕に合いそうだって」


「なるほど!」


「実際、僕もそう思ったんです」


(おおっ! 親子で意見が一致!)


その瞬間。


ひよりの脳内に、どこかで見覚えのある司令室が現れた。


『シンクロ率、上昇中!』


(……ん?)


「母は僕の好みをよく理解してくれていますから」


『シンクロ率、200%突破!』


(いやいや、仲のいい親子なら普通にあることだし!)


「僕も、母の考えていることはだいたい分かりますね」


『シンクロ率、400%突破!』


(高すぎるうううう!!)


脳内の司令室に警報が鳴り響いた。


赤いランプが点滅する。


モニターには、巨大な人型兵器。


そして操縦席には、中村和也、四十一歳。


(えっ!? ちょっと待って!?)


(この人、何に乗ってるの!?)


「佐倉さん?」


「はっ! はい!」


「どうかされました?」


「い、いえ! とても仲がよろしいんですね!」


「はい。母とは何でも話せる関係です」


『シンクロ率、測定不能!』


(親子の境界線どこ行ったああああ!!)


ひよりは必死に笑顔を維持した。


まだ何も問題は起きていない。


親子仲がいい。


ただ、それだけの話だ。


(落ち着いて、私!)


*


「ちなみに、中村様は普段、お母様にどのくらい相談されるんですか?」


「そうですね。昔ほどではありませんよ」


「そうなんですね!」


「最近は、仕事のことまで相談するのはやめましたから」


(おおっ!)


ひよりは内心で頷いた。


(ちゃんと自立されているんだ!)


「仕事の判断は、自分の責任ですからね」


「そのとおりですね!」


「ただ、結婚は人生の一大事でしょう?」


「はい」


「ですから、そこは母の意見も大切にしたいんです」


「……なるほど」


(……ん?)


和也は真剣な表情で続けた。


「母は僕より人生経験が豊富ですし、人を見る目もありますから」


「そうなんですね」


「僕自身、母には何度も助けられてきました」


「例えば、どのようなことでしょう?」


「大学選びや就職活動ですね。母の助言は本当に的確でした」


「それは心強いですね」


「はい。だから今回も、きっと力になってくれると思っています」


(…………)


ひよりは手元のメモを見た。


『仕事の判断は自分でする』


『結婚相手の判断には母親も参加』


(仕事より結婚の方が重大じゃない!?)


しかし、本人は一切疑問に思っていない。


「もちろん、最終的に決めるのは僕自身ですよ」


「そうですよね!」


ひよりは少し安心した。


「母の意見を聞いたうえで、自分が納得できるかどうかを考えています」


「なるほど」


「これまで、母の言うことには大体納得できましたね」


「…………」


(結果的に全部お母様の意見になってるううう!!)


ひよりはペンを握り直した。


(でも、だからって駄目とは限らないよね)


(大事なのは、結婚相手の方の意見も尊重できるかどうかだし!)


「では、結婚後の生活についても伺ってよろしいでしょうか?」


「もちろんです」


*


「夫婦で支え合っていけたらと思っています」


和也は迷いなく答えた。


「家事もできるだけ協力したいですね」


「素敵ですね!」


「共働きでも構いませんし、藤宮さんのお仕事も尊重したいです」


(おおお……!)


ひよりは思わず感動した。


(前回の高城さんにも聞かせたい……!)


いや。


他のお客様と比較してはいけない。


ひよりは静かに反省した。


「ただ、僕はあまり大きな決断が得意ではなくて」


「そうなんですか?」


「昔から、そういうときは母が助けてくれました」


「なるほど……」


「母がいると安心するんですよ」


(……安心)


ひよりの脳内で、先ほどの巨大な人型兵器が再び現れた。


操縦席には和也。


しかし。


(……あれ?)


機体の内部に、もう一つの存在が浮かび上がる。


優しく微笑む年配の女性。


『和也……大丈夫よ……』


(お母様あああああ!!)


ひよりの背筋に電流が走った。


(待って!?)


(これ、初号機の中にお母様がいるパターンじゃない!?)


「今の僕があるのも、母のおかげですから」


(そりゃそうでしょうけど!!)


(意味が二重になってるううう!!)


「もちろん、結婚したら妻のことも大切にしたいと思っています」


「そ、そうですよね!」


「母にも、妻にも、安心して暮らしてほしいです」


(……うん)


(別におかしなことは言ってないよね?)


ひよりは自分に言い聞かせた。


親を大切にして、妻も大切にする。


むしろ、立派な考え方ではないだろうか。


「何かあれば、三人で相談して決めていけたら理想ですね」


「…………」


(操縦席、三人乗りだったあああああ!!)


*


数日後。


和也は、藤宮彩花とのお見合いに臨んだ。


彩花は三十三歳。


都内の企業で働く、落ち着いた雰囲気の女性だった。


結婚後も仕事を続けたいと考えており、夫婦で協力しながら家庭を築くことを望んでいる。


ひよりが二人を紹介した際も、互いの第一印象は悪くなかった。


「今日はよろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


和也は丁寧に頭を下げた。


彩花も柔らかく微笑んだ。


会話は穏やかに進んだ。


仕事の話。


休日の過ごし方。


好きな食べ物。


旅行の思い出。


和也は聞き上手で、彩花の話を遮ることもなかった。


彩花もまた、和也の誠実な人柄に好感を抱いた。


ただ、一つだけ気になることがあった。


「休日は、どんなふうに過ごされるんですか?」


「母と買い物に出かけることが多いですね」


「仲がよろしいんですね」


「はい。母も外出が好きなので」


「そうなんですね」


「今度、彩花さんも一緒にいかがですか?」


「……え?」


「母も、ぜひお会いしたいと言っていまして」


彩花は少し驚いた。


まだ、今日が初めてのお見合いだ。


「ありがとうございます。でも、まずは和也さんとお互いのことを知れたら嬉しいです」


「もちろんです」


和也はすぐに頷いた。


「母にもそう伝えておきますね」


「…………」


彩花は微笑んだ。


ほんの少しだけ、表情が硬くなっていた。


*


その後、二人は何度か会うことになった。


和也は約束の時間を守り、店の予約もきちんとしてくれた。


彩花の仕事を気遣い、無理に予定を合わせようともしない。


誠実な男性だった。


ただ、何かを決めるたびに、母親の存在が顔を出した。


「このお店、母もおすすめしてくれたんです」


「そうなんですね」


「彩花さんのお仕事の話をしたら、母も立派な方だって」


「ありがとうございます」


「母が、今度ぜひお食事でもって」


「…………」


彩花は、そのたびに穏やかに返事をした。


母親を大切にすること自体は悪いことではない。


むしろ、家族と良好な関係を築いているのは素敵だと思う。


しかし。


二人で会っているはずなのに。


どこかに、いつも三人目がいる。


*


「和也さんは、とても優しい方だと思います」


ある日のデートで、彩花は静かに切り出した。


「お母様を大切にされているところも、素敵だと思っています」


「ありがとうございます」


和也は安心したように微笑んだ。


「でも、一つだけ確認したいことがあるんです」


「何でしょう?」


彩花は少し迷ってから口を開いた。


「結婚したら、大切なことは、まず私たち二人で相談して決めたいんです」


「もちろんです」


和也はすぐに頷いた。


「僕もそう思っています」


彩花の表情が少し和らいだ。


「よかったです」


「そのうえで、母にも意見を聞けたらと思います」


「…………」


「母は人生経験も豊富ですし、きっと参考になると思うんです」


「……そうですね」


彩花は小さく頷いた。


「ただ、最終的には私たち二人で決めたいんです」


「はい。僕もそのつもりですよ」


「本当ですか?」


「もちろんです」


和也は真剣だった。


「母の意見も聞いて、彩花さんの意見も聞いて、僕が決めます」


彩花は少し黙った。


「……お母様と私の意見が違ったら?」


「え?」


和也は、思いがけない質問をされたように瞬きをした。


「そのときは、三人で話し合えばいいと思います」


「…………」


「きちんと話せば、きっと分かり合えますから」


彩花は、しばらく言葉を探していた。


「和也さん」


「はい」


「私は、お母様と結婚するわけではないんです」


その言葉に、和也は初めて困惑した表情を見せた。


「……それは、もちろん分かっていますよ」


彩花は静かに首を横に振った。


「たぶん、私が言いたいことは、まだ伝わっていないと思います」


*


数日後。


ひよりのもとに、彩花の担当相談員から連絡が入った。


交際終了の申し出だった。


理由は、結婚後の意思決定に関する価値観の違い。


彩花は和也の人柄を高く評価していた。


しかし、夫婦の問題を二人で決められる関係を望んでおり、その点で折り合いがつかなかったという。


ひよりは、報告を読み返した。


(……そうか)


和也は、決して悪い人ではない。


彩花も、母親との関係を断つように求めたわけではない。


ただ。


結婚した後、誰と、どこまで一緒に決めていくのか。


その考え方が違っていた。


ひよりは、和也に連絡を取った。


*


「そうですか……」


交際終了を伝えると、和也は残念そうに肩を落とした。


「いい方だったんですけどね」


「そうですね」


「僕も、うまくいくと思っていました」


「……はい」


ひよりは、少し迷ってから尋ねた。


「中村様。今回、藤宮様がお話しされていたことについて、どうお考えですか?」


和也はしばらく考えた。


「……母との関係について、ですよね」


「はい」


「僕としては、彩花さんのことも大切にしたかったんです」


「それは、伝わっていたと思います」


「母のことも、大切にしたかった」


「……はい」


「どちらかを選ぶような話ではないと思っていたんですけどね」


ひよりは黙って頷いた。


和也の言葉に、嘘はないのだろう。


本当に、二人とも大切にしたかったのだ。


ただ、彩花が望んでいたのは、母親との優先順位を争うことではなかった。


結婚したら、自分たちの家庭を自分たちで築いていきたい。


それだけだった。


「……難しいですね」


和也は小さく息を吐いた。


「そうですね」


ひよりも、静かに答えた。


*


後日。


和也は、母親の文子を伴って相談所を訪れた。


「先日は息子がお世話になりました」


中村文子、六十八歳。


上品な服装の、穏やかな女性だった。


丁寧に頭を下げる姿からは、息子を支配しようとするような強引さは感じられない。


「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます」


ひよりも頭を下げた。


文子は、残念そうに微笑んだ。


「彩花さん、本当にいい方だったのにねえ」


「うん。僕もそう思ってたんだけど」


「ご縁がなかったのよ」


「そうだね」


二人は顔を見合わせた。


ひよりは、胸が少し痛んだ。


(……そうだよね)


(お二人とも、本当に彩花さんのことを気に入っていたんだ)


文子が、ふと思いついたように言った。


「でも、今度はもう少し早い段階で、お相手のことを知っておいた方がいいかもしれないわね」


「そうだね」


「お見合いの前に、お写真だけでも見せてもらえたら安心なんだけど」


「うん。その方がいいかも」


「ねえ、佐倉さん」


「はい?」


「次からは、私にも事前にお写真を見せていただくことって、できますか?」


「…………」


ひよりの脳内に、再びあの司令室が現れた。


『システム再起動』


(……え?)


『搭乗者、二名確認』


(ちょっと待って)


『シンクロ率、400%』


(また!?)


『機体、正常稼働』


(正常じゃなあああい!!)


さらに、モニターが真っ赤に染まった。


『警告』


『同一事象の再発を確認』


『第二次衝撃、発生』


「セカンドインパクト!!」


「…………」


「…………」


静寂。


文子と和也が、まったく同じタイミングでひよりを見つめた。


「……佐倉さん?」


和也がおそるおそる声をかける。


ひよりは固まった。


(…………あ)


(声に出た)


文子が心配そうに身を乗り出した。


「大丈夫ですか? どこか具合でも?」


「い、いえっ! 何でもありません!」


「そうですか? お疲れなのでは?」


「だ、大丈夫です!」


文子は安心したように微笑んだ。


「無理なさらないでくださいね。まだお若いんですから」


「ありがとうございます……」


(優しい!!)


(お母様、普通に優しい!!)


(なのに、なんでこうなるの!?)


ひよりは必死に笑顔を作った。


その隣で、和也が頷く。


「母の言うとおりです。無理はよくありませんから」


(シンクロするなああああ!!)


*


「……お疲れさま」


事務スペースに戻ったひよりに、先輩が声をかけた。


「はい……」


ひよりは力なく椅子に腰を下ろした。


「中村さん親子、どうだった?」


「……先輩」


「何?」


「親子のシンクロ率が400%でした……」


「…………」


先輩は手を止めた。


「……何の話?」


「い、いえ! 何でもありません!」


「そう」


先輩は再び画面に目を戻した。


「それで、次のお見合いも希望されてるんでしょう?」


「はい。今度はお母様が事前にお相手の写真を確認したいそうで……」


「なるほどね」


「……なるほど、なんですか?」


「ええ。結婚するのは二人なのに、一人多いわね」


「…………」


(そこ、冷静に言うんですか!?)


先輩は書類を整理しながら続けた。


「ただし、プロフィールをお母様に勝手にお渡しするわけにはいかないからね」


「はい。もちろんです」


「中村さんご本人が、結婚相手に何を望んでいるのか。そこは改めて確認しましょう」


「……はい」


ひよりは頷いた。


和也は、母親を大切にしている。


文子も、息子の幸せを本気で願っている。


だからこそ、難しい。


ひよりが小さく息を吐いたところで、先輩が思い出したように顔を上げた。


「そういえば佐倉さん」


「はい?」


「中村さんのお母様から、あなたの体調を心配するお電話があったわよ」


「…………え?」


「面談中、突然『セカンドインパクト』って叫んだそうね」


「…………」


ひよりの顔から血の気が引いた。


(報告されてるううう!!)


「……あの、先輩。エヴァンゲリオンってご存じですか?」


「知ってるわよ。有名なアニメでしょう?」


「そうです! その中に出てくる言葉でして……」


「ああ、なるほど」


(よかった! 通じた!)


先輩は納得したように頷いた。


「ガンダムみたいなものね」


「…………」


(違ううううう!!)


ひよりは反射的に否定しかけた。


しかし、思いとどまった。


(いや、今そこを訂正してる場合じゃない!!)


先輩は何事もなかったように書類を閉じた。


「まあ、何のアニメでもいいけど」


「……はい」


「お客様の前で必殺技を叫ぶのは控えましょうね」


「必殺技じゃないですううう!!」


「…………」


先輩が、ゆっくり顔を上げた。


ひよりは両手で口を押さえた。


(また声に出たああああ!!)


先輩は、しばらくひよりを見つめていた。


そして、静かに言った。


「……佐倉さん」


「……はい」


「とりあえず、少し休憩しましょうか」


「…………はい」


ひよりは机に突っ伏した。


今日もまた、一つ学んだ。


結婚相談所には、さまざまな価値観を持つ人が訪れる。


誰もが、自分なりに真剣に幸せを探している。


そして、その幸せの形は、必ずしも同じではない。


ただ、一つだけ確かなことがある。


(……私の社会人としてのシンクロ率は、いつになったら上がるんだろう)


ひよりは、深くため息をついた。


――第3話・了



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