第七十一話 【神々の追いかけっこと不吉なる亀裂】
福岡県太宰府。
太宰府天満宮神域。
穏やかな梅の香りが漂う神域の中を、少女の慌てた声が響いていた。
「待ってくださ~い!」
彩葉は全力で走っていた。
その視線の先。
木の枝から木の枝へと飛び移る小さな影が二つ。
「ほれほれ~!」
「追いついてみるのじゃ!」
風神は大きな風袋を抱えながら笑っている。
雷神も負けじと笑った。
「遅いぞ彩葉!」
「これでは想霊どころか亀にも逃げられるぞ!」
「うぅ~!」
「速すぎます!」
彩葉は息を切らしながら追いかける。
しかし二柱の神の速度は圧倒的だった。
シュン!
次の瞬間には別の木の上。
さらにその次には梅の木の向こう。
「ど、どこですか~!」
「こっちじゃ!」
「後ろじゃ!」
「え?」
振り返る。
「わっ!」
いつの間にか二柱は背後。
「きゃっ!」
驚いて転びそうになる。
「ふぉっふぉっふぉ!」
「面白いのう!」
「まだまだじゃな!」
縁側。
その様子を見ていた道真公は笑っていた。
「はははっ」
「本当に楽しそうだ」
湯呑みを置く。
すると。
「よいしょっと」
いつの間にか風神が隣に座っていた。
「む?」
「茶菓子じゃ!」
その反対側。
「団子はないのか?」
雷神まで座っていた。
道真公は目をぱちくりさせる。
「さっきまで彩葉と遊んでたよね?」
「疲れた!」
「休憩じゃ!」
「うむ!」
「修行には休息も必要!」
「自分たちが休みたいだけでしょ?」
「ち、違うぞ!」
「違わぬ!」
「どっちなの?」
二柱は顔を見合わせた。
「「休みたい!」」
「正直だなぁ」
その時。
「ふぅ~……」
ようやく追いついた彩葉が近づいてきた。
「つ、疲れました~」
「おぉ!」
「頑張ったの!」
「うむ!」
「百点!」
「本当ですか?」
「もちろんじゃ!」
「神速にはほど遠いがの!」
彩葉は笑った。
「えへへ」
「ありがとうございます!」
すると風神が立ち上がる。
「次は風じゃ!」
「風?」
「うむ!」
風神は風袋をぽんぽん叩いた。
「自然の風を感じるのじゃ!」
「風は敵ではない!」
「友達じゃ!」
「友達?」
「そうじゃ!」
「ほれ!」
ふわっ。
優しい風が吹いた。
桜の花びらが舞う。
梅の香りが流れる。
暖かく優しい春の風。
「わぁ~……」
「気持ちいいです!」
「じゃろ?」
「風は優しい」
「だから怖がる必要はない」
「風を感じるのじゃ」
彩葉は目を閉じた。
風を感じる。
頬を撫でる風。
髪を揺らす風。
花の匂い。
小川の音。
鳥のさえずり。
「……あ」
「なんとなく」
「わかるかも」
「うむ!」
「それでよい!」
すると。
今度は雷神が立ち上がる。
「次は集中じゃ!」
「集中?」
「うむ!」
雷神は背中の太鼓を叩いた。
ドン!
その瞬間。
空中に木の葉が舞った。
「この葉っぱを全部見ろ!」
「え?」
「集中するのじゃ!」
「一枚一枚!」
「全部じゃ!」
「全部!?」
彩葉は驚いた。
「できるかなぁ」
「できる!」
「できるのじゃ!」
「神力とは集中!」
「魔力とは意志!」
「心が乱れれば力も乱れる!」
「だから見る!」
「感じる!」
「考える!」
「はい!」
彩葉は真剣な顔になる。
舞い散る葉っぱ。
一枚。
二枚。
三枚。
四枚。
風に流される葉。
回転する葉。
重なり合う葉。
その全てを見つめる。
「……」
道真公は静かに微笑んだ。
「飲み込みが早い」
「さすがだね」
「うむ」
「才能があるの」
「なかなか面白い小娘じゃ!」
そして。
時間は流れ。
夕暮れ。
神域は橙色に染まっていた。
「わぁ……」
「綺麗です」
彩葉は空を見上げる。
風神も笑う。
「よい景色じゃ」
雷神も頷く。
「平和が一番じゃな」
道真公は湯呑みを傾ける。
「昔の君たちからは想像できない言葉だね」
「むっ」
「もう蒸し返すでない!」
「反省しておる!」
「しておる!」
「はいはい」
すると。
その時だった。
ピシッ。
小さな音。
道真公の笑顔が消えた。
「……ん?」
風神の耳がぴくりと動く。
「む?」
雷神も立ち上がる。
「なんじゃ?」
ピシッ。
ピシピシッ。
空間。
何もないはずの場所。
そこに。
亀裂。
まるでガラスが割れるように。
神域の空間そのものに。
ヒビが入った。
「え?」
彩葉が目を丸くする。
次の瞬間。
バキィィィィン!!
空間が砕けた。
そこに現れたのは。
真っ黒な穴。
そして。
どす黒いオーラ。
禍々しく。
邪悪で。
見るだけで寒気を覚えるほどの気配。
ドロドロとした闇が神域へ溢れ出してくる。
「なっ……!?」
風神が目を見開いた。
「これは!」
雷神の顔から笑みが消える。
「馬鹿な!」
道真公も立ち上がる。
その表情から余裕は消えていた。
「まさか……」
彩葉は震えながら闇を見つめる。
「な、なに……これ……」
穴の向こう。
何かがいた。
底知れない悪意。
狂気。
憎悪。
破壊。
そして。
絶望。
それは。
怪鬼である。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




