第五十八話 迫る邪悪なる影
広島県広島市。休憩スペースの中は外の喧騒とは切り離されたように静かで、空調の低い音だけが一定のリズムを刻んでいた。彩葉たちはその空間で、ベンチや簡易ベッドの周りに集まり、横たわる少女の回復を見守っていた。
少女は微かに眉を動かし、ゆっくりと呼吸を整えるようにして瞼を開いた。
「……ぅ……んん……」
その小さな声に、彩葉がすぐに身を乗り出す。
「あ、起きた」
アビがぴょんと軽く跳ねるように近づいた。
「なの!大丈夫なの?自分が誰かわかるなの?」
慌ただしいその声に、灰原が静かに制した。
「アビ、怪我人に質問攻めはよくありませんよ……ゆっくりで大丈夫ですから」
少女は瞬きを繰り返しながら、周囲を確認するように視線を巡らせた。
「あ……はい……」
彩葉はすぐに水の入った紙コップを取り、そっと差し出した。
「あの、これ……水です。少しは落ち着くかと思って」
少女はそれを受け取り、両手で包み込むようにして一口飲む。
「ありがとうございます……」
しばらくの沈黙が落ち着きを取り戻すまでの時間となったあと、少女はようやくはっきりと声を出した。
「ふぅ……心配をかけました。私は……“アリア”。アニメートの守護者です」
その名前に、灰原の表情がわずかに動く。
「やっぱり……」
アビは興味深そうに身を乗り出した。
「なにがあったなの?ゆっくりでいいから思い出せるところだけでいいなの」
アリアは視線を落とし、記憶を辿るように言葉を選んだ。
「……私は……はっ!そうです。急に、何かに襲われて……そこから逃げてきて……ここに」
灰原が小さく問いかける。
「相手の顔は見えましたか?」
「いえ……急にだったので……気配だけで……」
彩葉は不思議そうに首を傾げた。
「不思議ですね……」
灰原は顎に手を当てて考え込むように呟いた。
「少し元気がないですね……私の知り合いの話だと、あなたはもっと明るくて天真爛漫な方だと聞いていましたが」
アリアは苦笑いを浮かべる。
「あはは……元気だけが取り柄なんですけどね。でも今は力を使いすぎてしまって……はは……」
その声には疲労の影が濃く落ちていた。
「……あの、皆さんが助けてくれたんですか?」
灰原が頷く。
「はい」
アビが胸を張って叫ぶ。
「アビはアビの守護神なの!」
アリアは目を丸くした。
「守護神……珍しいですね」
彩葉も続く。
「バッグの守護者、彩葉です!」
アリアは彩葉を見つめ、少しだけ微笑んだ。
「彩葉さん……とても純粋な気配がしますね」
灰原が淡々と自己紹介を続ける。
「灰原です……原子爆弾の守護者」
アリアは小さく頷いた。
「聞いたことがあります。とても優しくて、可愛くて、責任を背負っている守護者だと」
灰原は一瞬固まり、視線を逸らした。
「か、可愛いとかそういうのは置いておいて……私です」
「ふふっ、可愛いですね」
「ど、どこがですか!?」
アビが楽しそうに笑う。
「そういうところなの」
「はぁぁぁ!?」
一瞬だけ緊張がほどけ、空気に柔らかさが戻った。
そのとき彩葉が思い出したように口を開いた。
「守護神って珍しいんですよね?」
アリアは少し表情を引き締める。
「はい。日本の固有種で確認されているのは、今はほんのわずかです。二人しかいないとも言われています」
「そうなんだ……」
「祠が空爆などで壊されてしまい、多くが消えたり行方不明になったりしました」
その言葉に、灰原の目がわずかに伏せられる。
「……」
その空気を断ち切るように、アリアが言った。
「私はここを離れようと思います。皆さんに迷惑をかけてしまうので」
彩葉は即座に首を振った。
「迷惑じゃないです!」
アビも頷く。
「そうなの!アビも迷惑じゃないなの!」
灰原も静かに言う。
「ですね」
アリアは驚いたように目を見開いた。
「皆さん……」
そのときだった。
「……ッ!!」
アリアの表情が一瞬で強張る。
「来た!」
彩葉が身構える。
「え!?」
灰原も空気の変化を感じ取った。
「……確かに、邪悪な気配が近づいています」
その頃、広島市の上空。
空の一部だけが黒く塗りつぶされたように歪み、そこから笑い声が響いていた。
「ククク……クハハハハハハハ!!」
黒い影の中心で、男が嗤う。
「見つけたぞ、小娘……他の存在もいるなぁ……まとめて消してやろう。ククク……」
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




