第三十二話 残された約束
香川県さぬき市。
さぬき市平和公園。
彩葉はゆっくりと体育館の扉を押し開いた。
「こ、こんにちは~............」
ぎぃぃ、と古い蝶番の音が響く。
体育館の中は静かだった。
窓から差し込む朝の光が床を照らしている。
だが、その光景はどこか異様だった。
床のあちこちに人影が見える。
いや、人ではない。
「......半透明の人がいる」
彩葉は思わず呟いた。
小さな子供たち。
先生らしき大人。
皆ぼんやりと透けている。
そして身体は真っ黒だった。
焦げたように。
焼けたように。
まるで炭のように。
その影たちは彩葉を見ていた。
静かに。
ただ見つめていた。
その時だった。
「それらは幽霊、黒いのは焦げてるからだよ」
「!?......どこ!?」
彩葉は慌てて周囲を見回した。
「こっち......」
声のする方を見る。
「......あ」
壇上だった。
体育館の舞台。
その中央に一人の少女が座っている。
バスケットボール柄のワンピース。
肩までの髪。
年齢は彩葉と同じくらいに見える。
だが目だけは違った。
ずっと長い時間を見続けてきたような目だった。
少女は彩葉を見下ろしていた。
「......」
「え、えっと......わ、私!『彩葉』!!バッグの守護者!」
彩葉は慌てて頭を下げた。
少女は少しだけ目を瞬かせる。
そして小さな声で言った。
「......バスケットボールの守護者『マミ』......」
言い終えると視線を逸らした。
「......」
「......」
沈黙が流れる。
彩葉は何を話せばいいのかわからなかった。
だが。
ここまで来たのだ。
帰るわけにはいかない。
「えっと......その......」
彩葉は少し考える。
そして。
「バスケットボール、好きなんですか?」
マミは少し驚いた顔をした。
「......うん」
小さく頷く。
「好きだった」
「だった?」
「今も好きだけど......昔の方がもっと好きだったかな」
少しだけ微笑んだ。
初めて見せた表情だった。
彩葉は少し安心する。
「私、バスケットボールやったことないです」
「そう」
「どんな遊びなんですか?」
マミはしばらく黙る。
そしてゆっくり立ち上がった。
壇上から飛び降りる。
ふわり。
まるで重力がないようだった。
彩葉の前へ降り立つ。
「見せてあげる」
そう言うと指を鳴らした。
すると。
光が集まる。
そして一つのボールが現れた。
オレンジ色。
バスケットボールだった。
「わぁ!」
彩葉の目が輝く。
マミはボールをつく。
ダムッ。
ダムッ。
ダムッ。
体育館に懐かしい音が響く。
その瞬間だった。
周囲の幽霊たちが動き始めた。
子供たちが集まる。
先生たちも集まる。
誰も言葉を発しない。
けれど。
皆嬉しそうだった。
「......」
マミは少しだけ笑った。
それはとても優しい笑顔だった。
「昔ね」
ぽつりと語り始める。
「毎日ここで遊んでた」
ボールが弾む。
「人間のみんなと」
また弾む。
「楽しかった」
ダムッ。
「すごく」
ダムッ。
「すごく楽しかった」
彩葉は黙って聞いていた。
「私はこの学校で生まれた守護者だった」
マミは遠くを見る。
「最初はボールだった」
彩葉は頷く。
守護者は皆そうだ。
何かから生まれる。
「みんなが使っていたバスケットボール」
マミは優しくボールを撫でた。
「毎日遊んで」
「毎日笑って」
「毎日転んで」
「毎日怒られて」
「毎日泣いて」
「毎日仲直りして」
懐かしそうな顔だった。
「それを何十年も見ていた」
「そして守護者になった」
彩葉は静かに聞く。
「人間のみんなが大好きだった」
マミはそう言った。
「だから私は守りたかった」
その瞬間。
空気が変わった。
重くなる。
幽霊たちも俯く。
「......戦争が始まった」
彩葉は息を呑む。
「第一次共生世界大戦」
マミの声が少し震えた。
「空が燃えた」
「街が燃えた」
「海が燃えた」
「山が燃えた」
ボールを握る手に力が入る。
「そしてここにも来た」
彩葉は周囲を見る。
焼け焦げた校舎。
崩れた壁。
残された傷跡。
それらは今も残っている。
「爆撃機型想霊は知ってる?」
「さっき見ました」
「うん」
マミは頷いた。
「あれは戦争の恐怖から生まれた」
「消しても」
「消しても」
「また生まれる」
「人々が忘れない限り」
彩葉は黙る。
戦争の記憶。
恐怖の記憶。
それが想霊になる。
そんなこともあるのだ。
「私は守ろうとした」
マミは続けた。
「みんなを」
体育館を見渡す。
「先生を」
「子供たちを」
「町を」
「全部」
そして。
小さく笑った。
「でも間に合わなかった」
彩葉は何も言えなかった。
「守護者だから無敵じゃない」
「万能でもない」
「救えないものもある」
マミの声は静かだった。
泣いていない。
怒ってもいない。
ただ事実を話していた。
「だから私はここに残った」
「......どうして?」
彩葉は聞いた。
マミは周囲の幽霊たちを見る。
そして優しく答えた。
「一人にしたくなかったから」
彩葉は目を見開く。
「この子たちを?」
「うん」
マミは微笑む。
「みんなまだ帰れてない」
「だから一緒にいる」
その言葉を聞いて。
彩葉は胸が締め付けられた。
何十年も。
ずっと。
一人で。
いや。
一人ではない。
幽霊たちと共に。
この場所で。
ずっと。
残り続けている。
「......寂しくないんですか?」
彩葉が聞く。
マミは少し考えた。
そして。
「寂しいよ」
と答えた。
「すごく」
だが次の瞬間。
優しく笑った。
「でもね」
彩葉を見る。
「たまに旅人が来る」
「たまに守護者も来る」
「そして今日みたいに話せる」
マミは少し照れたように笑う。
「だからまだ大丈夫」
その笑顔を見て。
彩葉は思った。
強い。
この子は強い。
陽菜とも。
小紅とも。
八咫鏡とも違う。
別の強さを持っている。
失ってもなお。
誰かを想い続ける強さを。
その時。
遠くから再び聞こえてきた。
ブロロロロロロロロロ......
プロペラ音だった。
マミの表情が変わる。
彩葉も気付く。
空だ。
またあの爆撃機型想霊が現れたのだ。
マミは静かに天井を見上げた。
そして。
手の中のバスケットボールを握りしめる。
「......来たね」
その瞳には。
長い年月戦い続けてきた者だけが持つ光が宿っていた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




