第百四十八話 緑の核を砕く光
ベトナムのジャングルは、いっそう深い緑に沈んでいた。
彩葉とハスの前で、濁った影は大きくうねりながら、その姿を変え続けている。
人の泣き声にも似た、獣のうなり声にも似た、歪な音を漏らしながら、影は木の幹を這い、根を伝い、森そのものを飲み込もうとしていた。
「……まだ、消えない……」
彩葉は息を整えながら呟いた。
ハスは片目を細め、影の中心を見据える。
「ええ。ですが、反応はしています。」
「反応?」
「核がある、と伝えたでしょう」
その言葉と同時に、影の外側から黒い腕が何本も伸びた。
地面を叩き、木を裂き、まるで守るように中心を囲っている。
「そこですね……」
彩葉は小さく頷く。
影の奥。もう少し深い場所。
そこにある何かを壊せばいい。
だが、その前に守りを崩さなければならない。
ハスが前に出る。
「私が外側を抑えます。」
「その間に、狙えますか?」
「やってみます!」
彩葉は両手を握ると、収納の力を広げた。
「収納拘束!」
いくつもの光輪が地面から立ち上がり、黒い腕に絡みつく。
しかし影はすぐにそれを引きちぎろうと暴れた。
「ぐっ……!」
彩葉の手に力がこもる。
重い。
まるで森全体を引き留めようとしているような負荷だった。
そこへ、ハスの緑の閃光が重なる。
「エネルギーバースト!」
鮮やかな光が走り、影の外郭を焼き払う。
黒い気配が揺れる。
「今です!」
彩葉が叫ぶ。
そこに見えた。
影の奥、中心より少し下。
黒い霧の中に、わずかに脈打つ赤い光。
それが核だった。
「見えました!」
「なら、集中してください。」
ハスが短く告げる。
その声には、これまでより少しだけ熱があった。
彩葉は深く息を吸い込んだ。
目の前の歪んだ気配を見据える。
守るべきだったもの。
傷ついたまま残ったもの。
すべてが歪められて、この影になっている。
なら――。
「収納圧縮!」
今度は輪を重ねるのではなく、ひとつの点へ収束させる。
光の束が核の方向へ一気に押し寄せた。
黒い影が大きく揺れる。
「ァァァァァ……!!」
悲鳴のような音。
だが、まだ足りない。
影は周囲の木々から力を吸い取るように膨れ上がる。
「まだ防がれます!」
ハスが叫ぶ。
「なら、押し切るしかありません!」
彩葉はもう一段、力を込めた。
「収納、極圧!」
光がさらに明るくなる。
黒い腕が一気に押し返され、核がかすかに露出する。
その瞬間、ハスが動いた。
「エネルギーバースト!」
今までで最も強い緑の閃光。
それは彩葉の圧縮光のすぐ横を通り、影の中心へまっすぐ突き刺さる。
ズン、と森が震えた。
赤い核がひび割れる。
「……届いた!」
彩葉はそのまま押し切る。
だが影は最後の抵抗を見せた。
黒い腕が何本も飛び出し、ハスへと向かう。
「ハスさん!」
「大丈夫です。」
ハスは一歩も退かない。
茶色い蔓草が大きくうねり、まるで盾のように前へ広がる。
黒い腕はその蔓に絡め取られ、動きを止めた。
「ここで終わらせます。」
低い声。
それは、ずっと一人で背負ってきたものの重さを含んでいた。
彩葉はその横顔を見て、強く頷く。
「うん!」
「一緒に!」
ふたりの力が、同じ一点へ集まる。
彩葉の光が核を締め上げ、ハスの緑の閃光がひびを深くする。
そして――。
バキィン、と乾いた音が森に響いた。
赤い核が砕ける。
その瞬間、影全体が大きくのけぞった。
「ァ……ァァァ……」
今まで不気味に揺れていた気配が、崩れ始める。
黒い腕は根元からほどけ、木々に絡みついていた闇は風に吸われるように散っていった。
森の空気が一気に軽くなる。
重苦しかった静寂が、少しずついつものジャングルの音へ戻っていく。
鳥の声が聞こえた。
葉の揺れる音が戻った。
湿った土の匂いが、ようやくただの森の匂いに変わった。
「……終わりましたね。」
彩葉がそう呟くと、ハスはしばらく黙ってから、静かに目を伏せた。
「ええ……終わりました。」
その声は、安堵と同時に、長く続いていた重荷が少しだけ下りたような響きだった。
影はもうそこにない。
残っているのは、静かな森と、砕けた闇の名残だけ。
彩葉は息を吐いて、少しだけ笑った。
「よかった……」
ハスは彩葉を見た。
その視線には、先ほどまでの拒むような硬さが少し薄れている。
「……あなたが来てくれなければ、少し厄介でした。」
「えへへ……役に立てたならよかったです。」
ハスはほんの少しだけ口元を緩めた。
「ええ。」
「……ありがとうございます。」
緑の森に、静かな風が吹く。
戦いは終わり、ベトナムのジャングルはようやくいつもの呼吸を取り戻し始めていた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




