第百四十三話 罪を背負う守護者の名
ベトナムの人里には、午後の光がやわらかく差し込んでいた。
市場の呼び声。
自転車の鈴の音。
鍋を叩く音や、通りを行き交う人々の笑い声。
森の中で感じた重たい空気が嘘のように、ここでは生活の匂いがはっきりと息づいている。
彩葉は先ほどジャングルで出会った少女のことを気にかけたまま、村の広場に立っていた。
すると、近くの店先に座っていた年配の女性が、彩葉の服装を見て少し驚いたように声をかけてきた。
「旅人さんかい?」
「あ、はい!」
彩葉は慌てて頭を下げる。
「バッグの守護者の彩葉です。少し前に森で、守護者の方らしき人に会って……」
その言葉に、女性の表情が少しだけ変わった。
「あぁ……あの子かい」
「知ってるんですか?」
「そりゃあね。あの森の近くじゃ、よく見かけるから」
女性はそう言うと、少しだけ声を落とした。
「ベトナムの守護者『ハス』だよ」
彩葉ははっとする。
「ハスさん……」
ようやく名前が分かった。
でも、それ以上に気になることがある。
「あの人、どうして一人で戦っているんですか?」
女性は一瞬だけ視線を外した。
店先で揺れる風鈴が、ちりん、と小さく鳴る。
「……あの子はね」
「あの戦争のことを、自分の罪だと思っているんだよ」
「え?」
彩葉が聞き返すと、女性は静かに続けた。
「昔、様々な国ではたくさんの悲しいことがあっただろう?」
「……はい」
もちろん彩葉も知っている。詳しくはなくても、戦争の悲しみが国を傷つけたことは、旅をしながら何度も聞いてきた。
女性は遠い目をしたまま語る。
「あの子はね、あの戦争での出来事を全部、自分の責任みたいに背負ってるんだ」
「自分がもっと強ければ」
「もっと早く守れれば」
「そう思い続けてる」
彩葉は黙って聞くしかなかった。
「それで、一人でジャングルへ行って」
「“奇形な霊”と戦ってるのさ」
「奇形な霊……?」
女性はうなずく。
「枯葉剤の影響で死産や奇形で生まれ、命を落とした子どもたちの霊が、想霊の影響で暴走したものだよ」
彩葉の胸の奥がぎゅっと縮む。
それはあまりにも痛ましい話だった。
命が生まれるはずだった場所で失われ、さらに霊となってもなお歪められてしまうなんて。
「そんな……」
「だからあの子はね、誰にも頼らないんだよ」
女性は静かに言う。
「自分のせいだって思ってるから」
彩葉は拳を握った。
森で出会ったハスの横顔が、頭に浮かぶ。
あの少女は、戦っているのに、どこか孤独だった。
人を巻き込みたくないような、でも本当は誰かに助けてほしいような、そんな曖昧な傷を抱えていた。
「……私、もう一度行ってきます」
気がつくと、彩葉はそう口にしていた。
女性は少し驚いたように目を見開いたが、すぐにやさしく笑った。
「そうかい」
「うん、行っておいで」
「はい!」
彩葉は深く頭を下げると、すぐに村の外へ向かって歩き出した。
石畳の道を抜け、再び木々の多い方へ戻る。
さっきまでの穏やかな空気とは違い、胸の中には強い思いがあった。
ハスは一人で戦っていた。
でも、本当にそれでいいのだろうか。
罪だと思い込んでいるのなら、なおさら伝えなければならない。
それは彼女だけの責任ではないと。
ひとりで背負う必要はないと。
彩葉は森の入り口で立ち止まり、深く息を吸った。
湿った土の匂い。
緑の匂い。
そして、わずかに残る、あの不穏な気配。
「……待っててください」
そう小さく呟くと、彩葉はもう一度ジャングルの奥へ足を踏み入れた。
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