第百四十話 海を越えて追うもの
タイの森に、ようやく静けさが戻っていた。
焼け焦げた木々の間を、夜風がそっと抜けていく。
先ほどまで暴れていたラクシャーサの気配は完全に消え、残っているのは戦いの熱と、かすかな土と煙の匂いだけだった。
彩葉はゆっくりと息を吐く。
「……終わったんですね」
その言葉に、ラーチャプルックがクラビー・クラボーンを肩に担いだまま、軽く笑った。
「うん。やっとね。」
ユミは弓を下ろし、少しだけ空を見上げる。
「今回は人数が少なければ危なかった。」
「えへへ~」
パダウがサウン・ガウを抱え直しながら、のんびりと笑う。
「でも、勝てたからいいよね~。」
彩葉はその場にしゃがみ込み、地面に手をつくようにして小さく肩を落とした。
「すごかったです……みなさん、本当に……」
「彩葉ちゃんもだよ。」
ラーチャプルックは笑って、彩葉の頭を軽く撫でる。
「最後の封印、あれがなかったらかなり危なかった。」
「え……」
「ほんとほんと。」
パダウも頷く。
「みんなの力が合わさったから勝てたんだよ。」
彩葉は少しだけ照れたように笑う。
そのとき、ユミが静かに口を開いた。
「ところで、彩葉。」
「はい?」
「お前はこのあとどうするつもりだ。」
その問いに、彩葉は少しだけ考えた。
今までの旅路。
日本の海を越え、フィリピン、インドネシア、マレーシア、そしてタイ。
たくさんの守護者に会った。
妖怪にも、精霊にも、神にも。
そのひとつひとつが、確かに彩葉の中に積み重なっている。
「……私は」
彩葉はゆっくりと立ち上がる。
「断界同盟を追いたいです。」
その言葉は、夜の森にまっすぐ落ちた。
ラーチャプルックの表情が少しだけ引き締まる。
「断界同盟……やっぱり、そこに行き着くか。」
彩葉は頷いた。
「はい。」
「日本でも、フィリピンでも、インドネシアでも、マレーシアでも、タイでも……変なものを見ました。」
「アスワングも、想霊も、呪いの樹も……全部、あの組織とつながっている気がして。」
パダウが静かに目を細める。
「それは……たぶん正しいと思うよ。」
ユミも低く頷いた。
「ラクシャーサもそうだったな。あの歪みは自然発生ではない。」
ラーチャプルックは腕を組んで、少しだけ夜空を見上げる。
「じゃあ、目標が見つかったんだね。」
「……はい。」
「断界同盟を追う。」
その言葉を口にした瞬間、彩葉の中にあった迷いが少しだけ形をなくした気がした。
自分はただ旅をしているだけではない。
この世界のどこかで歪みを広げている存在を追う。
それが今の自分の道なのだと、はっきりと感じられた。
「そっか。」
ラーチャプルックは小さく笑った。
「なら、ここでじっとしてる暇はないね。」
「はい!」
するとユミが、少しだけ真剣な顔で彩葉を見る。
「追うなら、気をつけろ。」
「断界同盟は一枚岩じゃない。国ごとに違う形で動いてる可能性もある。」
「はい。」
「そして、奴らの裏にはもっと大きな何かがいるかもしれない。」
彩葉はその言葉を噛みしめるように聞いた。
「……わかりました。」
パダウがくすっと笑う。
「でも、そんなこと言われても彩葉ちゃんは止まらなそうだね~。」
「えへへ……」
ラーチャプルックも笑う。
「そういう顔してる。」
「どこへ向かうの?」
「次……中国に行きたいのベトナムですね」
「ベトナムか。」
彩葉の目が少しだけ輝く。
「はい……!」
「そこから先、もっと色んな情報が集まるかも。」
「海を越えればすぐだよ。」
ユミも頷いた。
「ベトナム側でも異変が出始めていると聞く。」
「なら、そこへ向かうのが自然だ。」
彩葉は大きく頷く。
「はい!」
「行きます!」
その返事を聞いて、ラーチャプルックは満足そうに笑った。
夜が明けきらない森を抜け、街へ戻る道を少し歩いたあと、四人は海岸までやってきた。
遠くには静かな海。
その向こうに、まだ見ぬ国の影が薄く揺れている。
「ここからは海か。」
ユミが呟く。
「うん。」
ラーチャプルックも頷く。
「タイからベトナムへは、海を渡るのが早い。」
彩葉は足元の波を見つめた。
深い青。
どこまでも広がる海。
あの先に、次の国がある。
次の出会いがある。
次の異変があるかもしれない。
「……行ってきます。」
小さな声だったが、はっきりしていた。
ラーチャプルックはにっこり笑って手を振る。
「いってらっしゃい。」
「断界同盟、ちゃんと追いかけてね。」
「はい!」
パダウもサウン・ガウを軽く鳴らした。
「またどこかで会えたら、今度はゆっくりお茶でもしようね~。」
「はい!」
ユミは弓を背に戻し、静かに一礼する。
「気をつけろ。」
「ありがとうございます。」
彩葉は深く頭を下げたあと、ゆっくりと海へ向き直った。
足元の水面が、彼女の一歩ごとに静かに揺れる。
やがて、海の向こうにベトナムの方角が見えてきた。
まだ遠い。
だが、確かにその先へ向かって進んでいる。
彩葉は胸の奥で、改めて誓った。
断界同盟を追う。
世界を歪めるものを止める。
そして、自分の旅の意味を見つける。
そうして彼女は、夜明け前の海を越えて、ベトナムへ向かって歩き続けるのだった。
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