第百二十六話 夕暮れの語らいと宙を漂う首
マレーシアの穏やかな午後。
木々の間を吹き抜ける風は優しく、遠くでは鳥たちの鳴き声が響いていた。
彩葉はブンガ・ラヤとバンダ・ミス・ジョアキムと共に森の中の開けた場所で休憩していた。
先ほどの占いの話が終わり、少しだけ緊張していた空気も落ち着いている。
彩葉は近くに咲く花を眺めながら小さく息を吐いた。
「なんだか不思議です。」
紙を折りながら聞き返す。
「なにがですか?」
「旅を始める前は、こんなにたくさんの守護者さんに会えるなんて思ってなくて。」
ブンガ・ラヤがふわふわと浮かぶクッションの上で寝転がった。
「そうだねぇ~。」
「私も昔は自分以外の守護者なんて知らなかったなぁ~。」
彩葉は驚いた。
「そうなんですか?」
「うん~。」
「当時は今みたいに情報もなかったしねぇ~。」
「妖怪だった頃は森の中でひっそり暮らしてたから~。」
バンダが苦笑する。
「師匠は本当に外に出ませんでしたからね。」
「何百年も森に引きこもっていたのです。」
「引きこもりではないよ~?」
「研究してたんだよ~?」
「どっちも同じでは?」
「違うよ~?」
二人のやり取りを見て彩葉は思わず笑った。
旅を続けてきて思う。
守護者はみんな強い。
だが同時にみんな普通なのだ。
笑ったり。
悩んだり。
夢を語ったり。
誰かを大切にしたり。
神話に出てくる英雄のような存在ばかりではない。
それぞれが自分の人生を歩いている。
そんなことを考えているとバンダが尋ねた。
「彩葉は旅の途中で一番驚いたことはなんですか?」
「えっと……。」
少し考える。
そして真っ先に思い浮かんだ。
「みんな優しかったことです。」
二人が目を瞬かせた。
「優しかった?」
「はい。」
「最初はもっと怖い人ばかりだと思ってたんです。」
「でも違いました。」
「みんな優しかった。」
ブンガ・ラヤが嬉しそうに笑った。
「それは良かったねぇ~。」
「守護者は基本的に優しい存在だからねぇ~。」
「もちろん例外はいるけど~。」
バンダも頷く。
「誰かを守りたいと思うからこそ守護者になるのです。」
「だから優しい方が多いのでしょう。」
彩葉は何度も頷いた。
その言葉はとても納得できた。
守護者という存在は力を持つ。
だが力だけでは守護者にはなれない。
誰かを守りたいという想いがあるからこそ守護者なのだ。
「私ももっと頑張ります。」
「みんなみたいになりたいです。」
その言葉にブンガ・ラヤが笑う。
「もう十分だと思うけどなぁ~。」
「え?」
「だってぇ~。」
「君はもう誰かを守りたいと思ってるでしょ~?」
彩葉は少しだけ照れた。
「そう……かもしれません。」
「なら十分だよ~。」
その時だった。
風が止まった。
鳥の鳴き声も消えた。
まるで森そのものが息を潜めたような静寂。
バンダの表情が変わる。
「……。」
彩葉も気付いた。
何かいる。
空気が重い。
嫌な気配。
まるで腐った血の臭いが風に混じったような感覚。
その瞬間。
頭上から女の声が響いた。
「楽しそうにしてるねぇ。」
彩葉が反射的に空を見上げる。
「!?」
そこにいた。
首だけ。
いや。
首だけではない。
長い髪。
女性の顔。
そして首から下には無数の臓器。
腸。
胃。
血管。
それらが赤黒く垂れ下がりながら空中を漂っている。
異様。
あまりにも異様な姿だった。
彩葉の顔が青ざめる。
「なにあれ!!?」
バンダが即座に彩葉の前へ出た。
周囲を回っていた紙が一斉に展開する。
「下がってください!」
ブンガ・ラヤもゆっくり立ち上がる。
普段の緩い雰囲気が消えていた。
その目が鋭く細められる。
「なるほどねぇ~。」
「やっぱり来たかぁ~。」
首だけの妖怪はケラケラと笑った。
臓器がぶらぶら揺れる。
「ひひひひひ。」
「警戒しなくてもいいじゃないか。」
「久しぶりの再会なんだからさ。」
彩葉は背筋に寒気を感じた。
圧倒的な妖気。
今まで会った妖怪たちとは質が違う。
濃い。
重い。
禍々しい。
ブンガ・ラヤが静かに告げる。
「あいつは~。」
「アスワングの一種。」
「ペナンガランだね~。」
その名を聞いた瞬間。
バンダの表情が険しくなった。
「ペナンガラン……。」
ペナンガランはニヤリと笑う。
「覚えていてくれて嬉しいよ。」
「妖怪王。」
「シンガポールの守護者。」
「そして旅人ちゃん。」
彩葉は拳を握った。
またアスワング。
また人を襲う怪物。
ポンティアナック。
マナナンガル。
そして今度はペナンガラン。
ペナンガランはゆっくりと三人を見渡した。
そして不気味な笑みを浮かべる。
「ポンティアナックとマナナンガルの仇。」
「取らせてもらうよ。」
森の空気が一気に張り詰めた。
風が唸る。
木々が揺れる。
彩葉はバッグを握り締めた。
ブンガ・ラヤは静かに前へ出る。
バンダの周囲には無数の紙が舞う。
そして空中には不気味な笑みを浮かべるペナンガラン。
夕暮れが近づく森の中。
新たな戦いの気配が静かに広がっていた。
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