第百七話 精霊が選んだ居場所
子どもたちの別れの声が、フィリピンの夕暮れに溶けていく。
「バイバ~イ!」
「またね~!」
無邪気な声が重なり、砂浜の向こうへと走っていく背中が小さくなっていく。
彩葉はその姿に手を振り続けた。
「またね~!」
波音がそれに返事をするように、静かに寄せては返る。
やがて子どもたちの姿が見えなくなったとき、広場には少しだけ静けさが戻った。
その静けさの中で、サンパギータは小さく呟く。
「……バイバイ……」
その声は風に混ざって、ほとんど消えかけていた。
彩葉は隣に立ち、彼女の横顔を見つめる。
「サンパギータさん?」
呼びかけると、サンパギータは少しだけ視線を動かした。
「……なに」
短い返事。
だがその声には、どこか疲れではない揺らぎがあった。
彩葉は少し迷いながらも言葉を続ける。
「聞いていいですか?」
「精霊様って……」
サンパギータは一度だけ目を伏せた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……うん」
「私のこと」
「私ね、最初は“ドゥウェンデ”っていう精霊だったの」
彩葉は目を見開く。
「え!?で、でも守護者なんですよね」
サンパギータは頷く。
「そう」
「私は後天的に守護者化した守護者なの」
その言葉は、波音よりも静かだった。
しかし確かな重みを持っていた。
彩葉は思わず一歩近づく。
「後から守護者になることがあるんですか!?」
サンパギータは少しだけ視線を遠くへ向けた。
「うん、まれだけど」
「ISMPPはそういう存在の集まりでもある」
その名前が出た瞬間、風が少しだけ強くなる。
「ISMPPは争いを好まず、平和的解決を掲げている同盟」
「リーダーが私を導いて、私はそこに入った」
「最初は戸惑ったけど……」
サンパギータは一瞬だけ言葉を切る。
その沈黙は短いが深いものだった。
「……みんな、優しくて」
彩葉はその言葉をじっと聞いていた。
そして静かに頷く。
「居場所なんですね」
サンパギータは少しだけ目を細める。
「……そうかも」
その声には、否定も肯定も完全には含まれていなかった。
ただ、そこに“時間”が積み重なっていることだけが感じられた。
彩葉は笑顔を浮かべる。
「はい!」
その明るい返事に、サンパギータは少しだけ肩の力を抜いた。
海は夕暮れ色に染まり始めている。
オレンジと青が混ざる空の下で、二人は並んで立っていた。
やがてサンパギータがぽつりと呟く。
「……昔はね」
彩葉は静かに聞く姿勢になる。
「ただの精霊だった」
「守る理由も、意味も、なかった」
風が二人の間を通り抜ける。
「でも、呼ばれた」
「必要とされた」
「それで……ここにいる」
その言葉は、説明ではなく記憶だった。
彩葉は少しだけ考えてから言う。
「それって……すごく大事なことですね」
サンパギータはすぐには答えない。
しかし、少しだけ視線を落としたあと、静かに言った。
「……そう思う」
海の向こうで、太陽がゆっくり沈んでいく。
波が金色に染まり始める。
彩葉はその光景を見ながら、小さく息を吐いた。
「私も、そういうの見つけたいです」
サンパギータは横目で彩葉を見る。
「あなたはもう、旅をしている」
「それ自体が答えになることもある」
その言葉に、彩葉は少しだけ驚いたあと、笑った。
「じゃあ、まだ途中ですね!」
サンパギータはほんのわずかに口元を緩める。
「……そう」
風がまた吹く。
今度は少し優しい風だった。
夕暮れのフィリピンの海は、静かに二人を包んでいた。
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