第百六話 精霊の輪と静かな午後
フィリピンの午後は、さっきまでの戦いが嘘のように穏やかだった。
広場には子どもたちの笑い声が響き、海風がゆっくりと通り抜けていく。
彩葉はその中心で、少し戸惑いながら立っていた。
「サンパギータさんも一緒に遊びませんか?」
彩葉がそう尋ねると、サンパギータはわずかに視線をそらした。
「私は……」
言いかけたところで、広場の子どもたちが一斉に駆け寄ってくる。
「精霊様もあそぼ~!」
無邪気な声。
小さな手がサンパギータの袖を引っ張る。
サンパギータは一瞬だけ固まった。
「……私はいいから」
「遊んできて」
短く、しかし優しい声だった。
彩葉はその言葉を聞いて少し驚く。
「精霊様?」
子どもたちはもう彩葉の手を引いている。
「こっちこっち!」
「一緒にあそぼ!」
彩葉は慌てながらも笑顔になる。
「わ、わかりました!」
そう言って広場の中心へと引っ張られていった。
サンパギータはその様子を少し離れた場所から見ている。
雲のような装飾がわずかに揺れていた。
子どもたちは砂の上で円を作り、簡単な遊びを始めていた。
彩葉もその中に混ざる。
「えっと、何するの?」
「これこれ!」
子どもたちは小さな貝殻を並べて遊び始める。
海辺ならではの遊びだった。
彩葉はそれを真似しながら笑う。
「なるほど……こういう遊びなんだ」
その様子を見て、サンパギータの表情がほんの少しだけ柔らかくなる。
しかし彼女は動かない。
ただ、見ているだけだった。
海からの風が広場を抜けていく。
その風に混ざるように、遠くの波音が聞こえる。
子どもたちは無邪気に笑い続けていた。
彩葉もその輪の中で自然と声を上げる。
「それ、上手だね!」
「えへへ!」
笑い声が重なる。
戦いの気配はもうどこにもなかった。
サンパギータは少しだけ目を伏せる。
(こういう時間が……)
胸の奥で、言葉にならないものが静かに揺れる。
そのとき、子どもの一人がサンパギータの方を振り返った。
「ねえ、精霊様もこっちおいでよ!」
もう一人が続く。
「一緒に遊ぼ!」
サンパギータは一瞬だけ黙る。
そして、ほんの少しだけ視線を上げた。
「……私は」
言葉が止まる。
雲の飾りがわずかに揺れる。
その沈黙を見て、彩葉が笑いながら手を振った。
「来てくださいよー!」
その声に、子どもたちも続く。
「おねがい!」
「おねがい!」
しばらくの沈黙のあと。
サンパギータは小さく息を吐いた。
「……少しだけ」
そう言って、ゆっくりと歩き出す。
その瞬間、子どもたちが一斉に歓声を上げた。
「やったー!」
彩葉も嬉しそうに手を叩く。
「よかった!」
サンパギータは輪の中へ入る。
最初はぎこちない動きだった。
だが、子どもたちが笑いながら手を引くと、少しずつその表情が変わっていく。
海風が柔らかく吹く。
広場の空気が、さらに明るくなる。
彩葉はその光景を見ながら思った。
(戦ってる時とは全然違う……)
サンパギータは子どもたちと一緒に貝殻を並べている。
その横顔は、さっきまでの戦いの姿とはまるで違っていた。
ただの一人の存在として、そこにいる。
彩葉は微笑む。
「こういうの、いいですね」
誰に言うでもなく呟いたその言葉は、海風に溶けていった。
午後の光はゆっくりと傾き始めている。
だが広場の時間だけは、まだ優しく続いていた。
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次回もお楽しみに




