第百三話 南国の案内人と国の守護者
フィリピンの街は、想霊との戦いが終わった直後とは思えないほど穏やかさを取り戻していた。
風は軽く、空はどこまでも青い。
しかし彩葉の胸の鼓動だけは、まだ落ち着いていなかった。
「あ、あの......バッグの守護者「彩葉」です!ありがとうございます!」
想霊をすべて倒してくれた少女へ、彩葉は深く頭を下げる。
白い花のような衣装を揺らしながら、その少女は小さく視線を逸らした。
「............別に......私はISMPP――国家共生調停平和盟約所属」
「フィリピンの守護者「サンパギータ」......よろしく」
「いむぷす?こっか......?」
聞き慣れない言葉に、彩葉は首をかしげる。
サンパギータはほんのわずかにため息をついた。
「......まぁ、無理して覚えなくて良いよ、長いし」
「ISMPPはね、リーダーのインドネシアの守護者」
「フィリピンの守護者、シンガポールの守護者、マレーシアの守護者、パプアニューギニアの守護者の」
「五人の“国”シリーズの守護者たちのチームだよ......」
「そうなんですね!......“国”シリーズ?」
「うん」
「“国”シリーズは、その国から生まれたり、その国に認められたらなるもの」
「守護者はね、生まれ方やモノによって“○○シリーズ”って呼ばれる」
彩葉は感心したように目を丸くした。
「そんな分類があるんですね......」
「世界って、思ってたよりずっと広いかも」
サンパギータは興味なさそうに視線を路地へ向ける。
「そうだ、君は観光?」
「まぁ、そんなところです」
「ギリシャのパルテノン神殿に行かなくちゃいけなくて、ここを見ていこうと思って」
「そうなんだ」
サンパギータは一瞬だけ彩葉を見る。
そして小さく肩をすくめた。
「よかったら案内、しようか?」
「いいんですか!」
彩葉の声は一気に弾んだ。
サンパギータはわずかに視線を逸らす。
「うん」
「迷うでしょ?この街」
「だから、どう?」
「よろしくお願いします!」
彩葉は勢いよく頭を下げた。
「うん......じゃぁ、ついてきて」
「はい♪」
◇
こうして二人は歩き出した。
フィリピンの街は先ほどまでの戦闘が嘘のように賑わいを取り戻している。
屋台からは甘い香りが漂い、人々の笑い声があちこちから聞こえていた。
彩葉はその景色に目を輝かせながら歩く。
「すごい......さっきまで戦ってたのに、もうこんなに平和なんですね」
「慣れてるから」
サンパギータの返事は短い。
しかしその足取りは確かだった。
路地を抜け、広い通りへ出る。
そこでは子どもたちが走り回り、音楽が流れ、まるで街全体が生きているようだった。
「ここ、ずっとこういう街なんですか?」
「昔は違った」
サンパギータは少しだけ空を見上げる。
「想霊が出るようになってから、守護者が増えた」
「私もその一人」
彩葉はその横顔を見つめる。
無表情に見えて、その奥にあるものは静かで深い。
「サンパギータさんは、いつもここにいるんですか?」
「必要な時だけ」
「普段は寝てる」
「えっ」
あまりにもあっさりした返事に、彩葉は思わず笑ってしまう。
「ふふっ、意外です」
「守護者って、もっとこう……ずっと戦ってる感じかと」
「戦う時は戦う」
「それ以外は寝る」
「シンプルですね……」
そんな会話をしながら歩いていると、街の雰囲気が少しずつ変わっていく。
人の気配が減り、建物も古くなっていく。
「この先は?」
「港」
サンパギータが短く答えた。
やがて視界が開ける。
海。
広大な青。
水平線。
風が強く吹き抜ける。
彩葉は思わず息を呑んだ。
「わぁ……」
「すごい……」
その瞬間だった。
海面がわずかに揺れた。
ざわり、と。
空気が変わる。
サンパギータの表情が一瞬だけ鋭くなる。
「……来る」
「え?」
彩葉が振り向く前に。
海の中から。
黒い影がゆっくりと浮かび上がってきた。
人の形をしているようで、していない。
揺らぎ、崩れ、怨嗟の声を纏った存在。
「これは……」
サンパギータが静かに呟く。
「さっきのとは違う」
「“海側の想霊”」
影はゆっくりとこちらへ近づいてくる。
しかしその動きは先ほどの群れよりも重く、深い。
まるで海そのものが形を持ったようだった。
「また……」
彩葉は構える。
サンパギータは一歩前に出た。
「下がってて」
その声は先ほどよりも低い。
海風が強くなる。
白い衣が揺れる。
「ここからは、少し面倒」
雲のような装飾がゆっくりと広がる。
地面に小さな陣が浮かび上がる。
しかしその規模は先ほどよりも静かで、深く、重い。
彩葉は息をのむ。
「サンパギータさん……」
「大丈夫」
短い言葉。
だがその一言には確かな重みがあった。
海の影が吠える。
そして戦いが再び始まろうとしていた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




