第8話 雨の日の根菜は、ぱりぱりを失う。よろしい、ならばしっとりと逆転するのみ
雨が降った。
しとしと、ではない。
ざあざあ、である。
春の収穫祭、二日目。
昨日の晴天が嘘みたいに、空はどんより灰色で、広場の土は早朝からぬかるみ始めていた。
屋台の屋根を叩く雨音。
湿った木箱の匂い。
濡れた葉っぱ。
跳ねる泥。
客足は、少ない。
そして、何より。
「一番根」
野蒜ちゃんが、試作品を一枚持ち上げた。
「くるくる、死んだわ」
死んでいた。
昨日まで、あれほど軽快にぱりぱりしていたくるくるマンドラゴラが、雨の日の湿気を吸って、しんなりしている。
くるくる、ではない。
へにょへにょ、である。
俺は筆談板に書いた。
『揚げ直せば』
「五分後には、またへにょるわね」
野蒜ちゃんが言った。
終わった。
くるくるマンドラゴラ、雨に弱い。
食べ歩き屋台として、致命的だった。
「ですが、悪いことばかりではございませんわ」
エシャロットちゃんが、落ち着いた声で言った。
「雨の日は、お客さまが温かいものを求めます。昨日のような食べ歩きだけが勝負ではありません」
なるほど。
つまり、雨の日メニュー。
ボルシチか。
俺は筆談板に書いた。
『ボルシチ復活ですか?』
「重い」
野蒜ちゃんが即答した。
ひどい。
「朝から雨の収穫祭で、赤黒い薬膳スープはちょっと攻めすぎですわね」
エシャロットちゃんも追撃した。
ひどい。
ボルシチに親を煮込まれたのか。
いや、こっちは同族を煮込まれている。
俺の方が被害者では?
広場を見渡すと、他の屋台も雨に苦戦していた。
タラの芽の天ぷらは、湿気で少し勢いを失っている。
高麗人参は、すぐに温かい高麗人参茶へ切り替えていた。
対応が早い。
腹立つ。
カリフラワー先輩の屋台は、白いポタージュを湯気たっぷりに出していた。
強い。
雨の日のスープは強い。
白い。
温かい。
やさしい。
濡れた客が、吸い込まれるように寄っていく。
くそ。
雨の日まで白い先輩は強いのか。
そして審査員席には、もちろんブロッコリーがいた。
濡れても健康そうだった。
野菜としての完成度が憎い。
「雨だね、マンドラゴラ君」
ブロッコリーが穏やかに言った。
「食卓に入る野菜は、晴れの日だけ売れればいいわけではない。天候への対応力も、大切だ」
出た。
正論。
傘に紛れて刺してくるな。
「今日の課題は、雨の日でも売れるマンドラゴラ料理だ」
やっぱり来た。
雨の日課題。
黒幕、天気まで使うのか。
「条件は三つ」
ブロッコリーは、葉についた雨粒を払った。
「温かいこと」
分かる。
「子どもが濡れた手でも食べやすいこと」
難しい。
「そして、カリフラワーのポタージュより、雨の日にふさわしいこと」
重い。
毎回、条件が重い。
カリフラワー先輩が困ったようにこちらを見た。
「兄さん、雨の日にポタージュよりふさわしいものって、かなり難しいわよ」
「だから成長する」
便利だな、その言葉。
俺は筆談板を握った。
雨の日でも売れるマンドラゴラ料理。
温かい。
濡れた手でも食べやすい。
カリフラワーのポタージュに勝つ。
無理では?
「一番根、顔が終わってる」
ウリ坊が心配そうに言った。
終わってない。
たぶん。
いや、少し終わっている。
その時、屋台の端で、オーク農家がぽつりと言った。
「おやきはどうだ」
おやき。
全員が、オーク農家を見た。
「雨の日は、焼いた粉ものがうまい。手でも持てる。中身は熱い。腹にもたまる」
おやき。
くるくるでもない。
チップスでもない。
ボルシチでもない。
マンドラゴラおやき。
ありか?
野蒜ちゃんが目を細めた。
「刻んだマンドラゴラを味噌で炒めて、包む?」
「薬草臭は味噌で丸められますわね」
エシャロットちゃんが即座に乗った。
「そこへ刻み野蒜と、少しのエシャロット。香りを重ねれば、雨の日に合います」
自分たちを入れる気か。
ヒロインたち、食材としての覚悟が高い。
俺は筆談板に書いた。
『それは共食いでは』
「薬味よ」
野蒜ちゃんが言った。
強い。
エシャロットちゃんも微笑む。
「料理に寄り添うのも、野菜の務めですわ」
ヒロインが強すぎる。
ウリ坊が手を上げた。
「おれ、包む!」
かわいい。
でも中身は熱いから気をつけろ。
試作はすぐ始まった。
間引きマンドラゴラを細かく刻む。
昨日のくるくる用下処理で、悲鳴はかなり弱くなっていた。
温める。
声をかける。
柔らかい布で支える。
怖がらせない。
そして刻む。
やっぱり怖い。
だが、叫びはほとんど出ない。
間引き根は、調理台の上で静かに親指を立てていた。
お前たち、本当に何なんだ。
刻んだマンドラゴラを、味噌と砂糖少しで炒める。
野蒜ちゃんが刻んだ野蒜を入れる。
エシャロットちゃんが細かく刻んだエシャロットを入れる。
香りが変わった。
土っぽさが、味噌の香ばしさに沈む。
薬草っぽさが、野蒜の青い香りに押される。
エシャロットの甘みが、苦味の角を丸くする。
悪くない。
かなり、悪くない。
「生地、いけるぞ」
オーク農家が、小麦粉の生地をこねていた。
厚めに伸ばし、具を包む。
ウリ坊が、真剣な顔で小さなおやきを一つ作った。
形は少し歪んでいる。
だが、かわいい。
火にかけた鉄板へ並べる。
じゅう。
雨音とは違う、温かい音がした。
焼き目がつく。
味噌の香りが立つ。
湯気が出る。
屋台の前を通りかかった親子連れが、足を止めた。
「いい匂い」
子どもが言った。
勝った。
いや、まだ早い。
でも、かなり勝った。
エシャロットちゃんが、さっと札を書いた。
雨の日限定
マンドラゴラ味噌おやき
ほかほか
ちょっと元気になる
また最後。
もう定型になっている。
「一番根、試食!」
ウリ坊が、半分に割ったおやきを持ってきた。
湯気が出ている。
中身は、味噌色。
刻んだマンドラゴラが、具としてちゃんと存在している。
見た目に怖さはない。
完全に、雨の日の屋台飯だ。
ウリ坊が、ふうふう冷まして、かじった。
もぐ。
目が丸くなる。
「おいしい! あったかい!」
強い。
温かいは正義。
野蒜ちゃんも食べる。
「いいじゃん。苦味が味噌に合う」
エシャロットちゃんも頷く。
「これは売れますわ。ぱりぱりではなく、ほかほかで勝負です」
俺は筆談板に書いた。
『販売開始』
そこからは早かった。
「雨の日限定! ほかほかマンドラゴラ味噌おやきだよ!」
野蒜ちゃんの声が雨の広場に響く。
「濡れた手でも持ちやすい、包み紙つきですわ」
エシャロットちゃんが紙で包む。
「おれが包んだやつもある!」
ウリ坊が自慢する。
すぐに列ができた。
雨で冷えた客たちは、湯気に弱かった。
手に持てる。
温かい。
味噌の匂いがする。
濡れた子どもが両手で包むと、それだけで絵になる。
強い。
おやき、強い。
カリフラワー先輩のポタージュも売れている。
だが、ポタージュは器がいる。
スプーンがいる。
片手がふさがる。
雨の中では少し面倒だ。
こちらは包んで渡せる。
歩きながら食べられる。
手が温まる。
雨の日に、ふさわしい。
ブロッコリーの顔が、少しだけ真面目になった。
効いている。
たぶん。
すると、高麗人参の屋台が動いた。
高麗人参しょうが茶
また対応が早い。
しかも雨に強い。
腹立つ。
タラの芽は、雨で天ぷらの勢いが落ち、少し不機嫌そうだった。
山菜勢、晴れの日ほどの圧はない。
カマドウマはいない。
良かった。
雨の日のカマドウマは勘弁してほしい。
順調だった。
かなり順調だった。
だが、雨の日には雨の日の敵がいる。
ぬるり。
屋台の脚元で、何かが動いた。
細長い。
ぬめる。
ゆっくり進む。
ナメクジだった。
一匹ではない。
またか。
昨日はカマドウマ。
今日はナメクジ。
収穫祭、虫と軟体が多すぎる。
「塩!」
野蒜ちゃんが叫んだ。
「待って!」
エシャロットちゃんが止めた。
「屋台前でナメクジに塩は絵面が最悪ですわ!」
正しい。
食品屋台の前でナメクジが溶けるのは、完全にアウトである。
俺は筆談板を握った。
『殺さず誘導します』
「また?」
野蒜ちゃんが言った。
まただ。
俺はもう、虫さんにもやさしい屋台の一番根である。
ナメクジにも対応しなければならない。
とはいえ、音で誘導できる気はしない。
ナメクジ、耳あるのか?
分からない。
なら、別の手だ。
俺はおやきの味噌具から、少しだけ野蒜を抜き、離れた空き箱のそばに置いた。
さらに、湿った葉を入れる。
ナメクジたちが、ゆっくり向きを変えた。
遅い。
とても遅い。
だが、向かっている。
客たちは、その様子を見守った。
雨音の中、ナメクジが一列に進む。
地味。
地味すぎる。
でも、なぜか子どもたちは真剣だった。
「がんばれ」
「もうちょっと」
「そっちじゃない」
「ナメちゃん、はやく」
ナメちゃん。
名前がついた。
まずい。
情が湧く。
五分かけて、ナメクジたちは空き箱に入った。
オーク農家が、そっと蓋をした。
拍手が起きた。
何の拍手だ。
ナメクジの移動完了に拍手する収穫祭。
平和なのか、狂っているのか分からない。
エシャロットちゃんが、また札を足した。
虫さんにもナメちゃんにもやさしい屋台
やめろ。
どんどん食品屋台から遠ざかっている。
だが、なぜか客は増えた。
「ここ、子どもが喜ぶのよね」
「昨日はカマドウマも逃がしたらしいよ」
「おやき一つください」
「ナメちゃん見たあとに食べるのも変だけど、いい匂いだし」
いいのか。
本当にいいのか。
でも売れている。
雨の日限定マンドラゴラ味噌おやきは、次々に売れた。
くるくるほど派手ではない。
だが、雨の日には強い。
手が温まる。
腹にたまる。
味噌がうまい。
苦味が合う。
子どもも食べられる。
カリフラワー先輩が、こちらのおやきを一つ買いに来た。
「これ、いいわね」
白い先輩は、湯気の立つおやきを両手で持って微笑んだ。
「雨の日に、ちゃんと似合っている」
勝った。
いや、まだ審査は終わっていない。
でも、これはかなり嬉しい。
俺は筆談板に書いた。
『ありがとうございます』
「あなた、カリフラワーに成り代わるより、雨の日に隣で売っている方が強いかもしれないわ」
ぐさり。
また白い正論。
だが、今回はそこまで嫌ではなかった。
隣。
成り代わるのではなく、隣。
最初は腹が立った言葉だ。
でも、雨の日のポタージュとおやきが並んでいるのを見ると、少しだけ分かる。
白いスープと、味噌おやき。
どちらも温かい。
どちらも雨の日にいい。
客は片方だけではなく、両方買うかもしれない。
それは、負けなのか?
まだ分からない。
でも、悪くない気がした。
ブロッコリーが歩いてきた。
健康そうな顔で、おやきを一つ持っている。
「雨の日の対応、見事だったよ」
褒めるな。
怖い。
「晴れの日はくるくる。雨の日はおやき。君は少しずつ、食卓への入り方を増やしている」
言っていることは正しい。
だから腹が立つ。
「ただし」
来た。
「雨の日限定で終わるのか、定番化できるのか。そこが次の課題だね」
課題を出すな。
無限に課題を出すな。
でも、俺は筆談板を握った。
『定番にします』
書いてから、自分で少し驚いた。
定番。
俺が目指している指定野菜は、きっとそういうものだ。
晴れの日だけでも、祭りの日だけでもない。
日常に入る。
食卓に、当たり前みたいに置かれる。
怖いもの見たさではなく、ちゃんと選ばれる。
そのためには、くるくるだけでは足りない。
おやきもいる。
ボルシチも、たぶんいつかいる。
チップスだって捨てたものではない。
マンドラゴラは、まだ自分の使い道を探している途中なのだ。
雨は、夕方まで降り続いた。
くるくるマンドラゴラの売上は伸びなかった。
しかし、マンドラゴラ味噌おやきは完売した。
完売。
雨の日に。
カリフラワー先輩のポタージュも完売。
高麗人参しょうが茶も完売。
タラの芽は、少し余った。
山菜勢が悔しそうにこちらを見ている。
良い。
かなり良い。
俺は屋台の片付けを見ながら、筆談板に小さく書いた。
『雨の日も、悪くない』
ウリ坊が、最後の小さなおやきを半分くれた。
「一番根、あしたもがんばろうな!」
反則。
雨で冷えた根っこの奥が、少し温まった気がした。
マンドラゴラが雨に濡れると何が起こるのか。
まだ分からない。
だが、今日のところは一つ分かった。
ぱりぱりを失っても、終わりではない。
しっとりには、しっとりの勝ち方がある。
ただし。
しっとりマンドラゴラ
この名前だけは、絶対に売れない。
俺は筆談板に、力強く書いた。
『その商品名は禁止』
エシャロットちゃんが、そっと書きかけの札を隠した。
危なかった。
雨の日の根菜界は、油断ならない。




