第4話 THE朝市決戦 叫ばない根菜の売り方は防音屋台と、マンドラゴラチップスの可能性
朝が来た。
指定野菜を目指すマンドラゴラにとって、最初の関門となる朝市である。
俺は防音屋台の中にいた。
防音屋台。
言葉の時点でかなり嫌だ。
屋台なのに、窓は二重。
屋台なのに、壁が分厚い。
屋台なのに、入口に「耳栓貸出中」と書かれている。
これ、野菜を売る場所じゃなくて、危険生物の展示施設じゃないか?
「安全性の訴求は大事よ」
野蒜ちゃんが言った。
いつも通り足元は泥だらけで、いつも通り自信満々だった。
彼女の前には、試食用の皿が三つ並んでいる。
一つ目。マンドラゴラ・ボルシチ改。
二つ目。マンドラゴラの薬膳きんぴら。
三つ目。マンドラゴラチップス。
最後だけやたら庶民派だ。
「初見のお客さまには、まずチップスですわね」
エシャロットちゃんが、白いクロスを屋台の台へ敷きながら言った。
「薄く切って、しっかり水にさらし、二度揚げ。香りはハーブ塩で整えました。マンドラゴラ特有の土っぽさを、香ばしさとして受け止めていただく作戦ですわ」
なるほど。
土臭いじゃなく、香ばしい。
物は言いようだな。
「あと、商品名ですけれど」
エシャロットちゃんが、小さな看板を掲げた。
そこには、流れるような文字でこう書かれていた。
【大地のめざめチップス】
おしゃれ。
いや、でも俺だぞ。
マンドラゴラだぞ。
抜くと人が死ぬ系の歩く根菜だぞ。
大地のめざめ、で済ませていいのか?
「叫ぶ根菜チップスよりは売れるでしょ」
野蒜ちゃんが言った。
それはそう。
俺は黙って頷いた。
声を出すな。
叫ぶな。
農家さんを殺すな。
子どもを泣かせるな。
カリフラワー先輩より多く手に取られろ。
今日の目標を、俺は胸の中で繰り返した。
根菜だけど胸はある。
たぶん。
「一番根!」
屋台の外から、ウリ坊が顔を覗かせた。
頭には小さな三角巾。手には試食用の爪楊枝。胸元のつなぎには、昨日までの「みならい」に加えて、「ししょくがかり」と書かれた布が縫いつけられている。
かわいい。
滅茶苦茶かわいい。
「おれ、いちばんに買う!」
ウリ坊はそう言って、握りしめていた銅貨を台の上に置いた。
オーク農家が後ろで腕を組みながら頷く。
「身内の購入は売上に含めねえぞ」
厳しい。
農政は身内に厳しい。
「でも、最初のお客さまには違いありませんわ」
エシャロットちゃんが微笑んで、チップスを一枚、ウリ坊の皿に置いた。
ウリ坊は両手でそれを受け取り、真剣な顔で見つめた。
マンドラゴラチップス。
薄い。
少し茶色い。
端がくるんと丸まっている。
見た目は、まあ、普通の根菜チップスだ。
問題は味。
ウリ坊が、ぱり、と噛んだ。
全員が固まった。
高麗人参すら、特別栽培区画からこちらを見ていた。
カリフラワー先輩は、隣の白い屋台で静かに試食準備をしている。
ブロッコリーは、その少し後ろで健康そうに微笑んでいる。
腹立つな、あの緑。
「……」
ウリ坊が、もぐもぐした。
そして、ぱあっと顔を輝かせた。
「おいしい!」
勝った。
いや、まだ早い。
だが、かなり勝った。
「ちょっとにがいけど、ぱりぱり! おいしい!」
ちょっと苦い。
また出た。
でも、おいしい。
子どもに泣かれなかった。
むしろ笑った。
これはでかい。
「よし、開店!」
野蒜ちゃんが声を張った。
「いらっしゃい! 歩く根菜の新時代! 防音完備、悲鳴対策済み! 大地のめざめチップス、試食やってるよ!」
売り文句が強すぎる。
朝市の客たちが、ちらちらとこちらを見た。
そりゃ見る。
防音屋台だし。
中に俺がいるし。
隣にはオーク農家とウリ坊だし。
野蒜ちゃんは声がでかいし。
エシャロットちゃんは無駄に優雅だし。
近づいてきた最初の客は、背中に籠を背負ったおばあさんだった。
「まあまあ、これが噂のマンドラゴラかい」
おばあさんは、俺を見て目を細めた。
俺は丁寧に頭を下げた。
葉っぱが揺れる。
「おとなしいねえ」
いまだけです。
そう書こうとして、やめた。
営業に不利すぎる。
代わりに筆談板へ、
『本日は叫びません』
と書いた。
おばあさんは、けらけら笑った。
「そりゃ助かるよ。うちのじいさん、心臓が弱いからね」
指定野菜候補として、笑えない話だ。
おばあさんはチップスを一枚つまみ、口に入れた。
ぱり。
「おや」
ぱりぱり。
「……悪くないねえ。ごぼうより軽い。芋より薬っぽい。酒のつまみにいいかもしれないよ」
酒のつまみ。
新たな販路である。
俺は筆談板に書いた。
『ありがとうございます』
「礼儀もいいじゃないか。ひと袋おくれ」
売れた。
一袋。
マンドラゴラチップス、初販売である。
ウリ坊が小さく跳ねた。
野蒜ちゃんが拳を握った。
エシャロットちゃんがすぐに包装紙を差し出した。
オーク農家が黙って頷いた。
俺は泣きそうになった。
泣くな。
まだ泣くな。
マンドラゴラの涙の効能が分からない。
そこから、客は少しずつ増えた。
「これ本当に叫ばないの?」
『本日は叫びません』
「生では食べられる?」
『おすすめしません』
「薬効は?」
『個人差があります』
「顔が怖いねえ」
『仕様です』
「かわいい!」
『ありがとうございます』
最後の子どもは、ウリ坊の友だちらしい小さなオークだった。
怖がられなかった。
むしろ葉っぱを撫でられた。
俺は少しだけ誇らしかった。
それにしても、チップスは強い。
ボルシチは説明がいる。
きんぴらは試食のハードルがある。
だが、チップスは手に取りやすい。
ぱりっとしている。
軽い。
怖いもの見たさでも食べられる。
マンドラゴラは、薄く切って揚げるべきだったのか。
自分の存在意義が油で開けていくのは、少し複雑だ。
「順調ですわ」
エシャロットちゃんが、売上札を一枚動かした。
俺たちの屋台の前には、小さな列ができている。
隣のカリフラワー先輩の屋台も、もちろん人気だった。
白いスープ。
カリフラワーのフリット。
カリフラワーライス。
どれも上品で、どれもきれいで、どれも食卓に置いた時の絵が見える。
強い。
だが、こちらも戦えている。
そう思った、その時だった。
ブロッコリーが動いた。
「みなさん」
健康そうな声が、朝市に響いた。
嫌な予感がした。
「本日は、カリフラワーとマンドラゴラの新しい挑戦をご覧いただき、ありがとうございます。ここで、緑黄色野菜協会からのお知らせです」
緑黄色野菜協会。
そんなものがあるのか。
いや、ありそうだな。
野菜界だし。
ブロッコリーは、にこやかに続けた。
「食卓に新しい野菜を迎えるには、安全性の確認が不可欠です。そこで、今から簡単な実演をお願いしたい」
実演。
野蒜ちゃんの顔が険しくなった。
エシャロットちゃんが、ゆっくりと扇子を閉じた。
オーク農家が鍬に手をかけた。
ブロッコリーは俺を見た。
「マンドラゴラ君。君は本当に、叫ばずにいられるのかな?」
やっぱりそう来たか。
朝市の客たちが、ざわめく。
カリフラワー先輩が、少しだけ眉を寄せた。
「兄さん、それは」
「心配いらないよ。無理に叫ばせるわけではない。ただ、消費者の前で安全性を示してもらうだけだ」
正論。
だが、嫌な正論。
ブロッコリーは穏やかに言った。
「たとえば、収穫時を想定して、軽く葉を引かれても声を出さない。これくらいは、指定野菜を目指すなら必要な訓練だろう?」
葉を引く。
つまり髪を引っ張るようなものだ。
たぶん。
やめろ。
普通に嫌だ。
だが、断れば安全性に疑問がつく。
受ければ叫ぶかもしれない。
叫べば終わり。
子どもも泣く。
農家さんも倒れる。
指定野菜の道も遠のく。
汚い。
緑が濃いだけある。
俺は筆談板を握った。
野蒜ちゃんが低く言う。
「やめときな。あいつ、完全に潰しに来てる」
エシャロットちゃんも続ける。
「別の形で安全性を示せばよろしいですわ。罠に乗る必要はございません」
ウリ坊が、不安そうに俺を見上げた。
「一番根……」
俺はウリ坊の顔を見た。
小さな手。
ししょくがかりの布。
信じきった目。
ああ、もう。
そういう顔をするな。
俺はため息をついた。
声は出さない。
筆談板に一行だけ書く。
『やります』
朝市が静まった。
ブロッコリーが、満足そうに笑った。
カリフラワー先輩は、何か言いたそうにしていたが、言わなかった。
オーク農家が、防音屋台の扉を開けた。
「危なかったら、すぐ止める」
俺は頷いた。
屋台の外へ出る。
朝の空気が葉先に触れる。
客たちの視線が集まる。
高麗人参が、木箱の中からじっと見ている。
ブロッコリーが近づいてきた。
「では、失礼」
緑の葉先が、俺の頭の葉っぱを軽くつまむ。
引かれた。
ぞわっとした。
根の先から、頭の葉まで、叫びが駆け上がってくる。
まずい。
これは、まずい。
声が出る。
俺は歯を食いしばった。
歯、あるんだな。
いや、いま考えることじゃない。
叫ぶな。
叫ぶな。
農家さんを殺すな。
子どもを泣かせるな。
指定野菜になるんだろ。
カリフラワーにできたんだ。
俺にできない道理は――。
「がんばれ、一番根!」
ウリ坊が叫んだ。
その声で、俺の中の叫びが止まった。
代わりに出てきたのは、声ではなかった。
葉っぱだった。
頭の葉が、ぴん、と立つ。
次の瞬間、葉先からぽん、と小さな花が咲いた。
白くない。
緑でもない。
土の色に近い、地味な小花だった。
朝市の客たちが、息をのんだ。
ブロッコリーの手が止まる。
野蒜ちゃんが目を丸くした。
エシャロットちゃんが、口元を押さえた。
カリフラワー先輩が、小さく笑った。
「……咲いた」
誰かが言った。
俺は叫ばなかった。
代わりに、咲いた。
意味は分からない。
でも、たぶん、悪くない。
ウリ坊が、ぱあっと笑った。
「一番根、きれい!」
反則。
完全に反則。
泣きそうになった。
だから俺は、必死に泣かないように、筆談板を掲げた。
『本日は叫びません』
朝市のあちこちから、笑いが起きた。
拍手が起きた。
そして、その拍手の中で、ブロッコリーだけが、健康そうな笑顔を少しだけ硬くしていた。
勝った。
少なくとも、今日のところは。
マンドラゴラチップスは、そのあと完売した。




