第39話 ああ、プリン様。あなたはどうしてプリントではなく、プリンなの? ⋯⋯プリントであればずっと一緒にいられたのに
梅雨に差し掛かってから、数日後の月曜日。
市場に、冷蔵ショーケースが運び込まれた。
青果市場に。
冷蔵ショーケース。
嫌な予感しかしない。
俺は筆談板を握った。
『野菜ではありませんね』
「本日は、食育連携企画ですわ」
エシャロットちゃんが言った。
便利だな、連携。
最近、青果市場は連携という言葉で何でも呼び込む。
肉屋。
香味夫人。
ミラーボール。
そして今度は冷蔵ショーケース。
中に並んでいたのは、黄金色の小さな器たちだった。
つやつや。
ぷるぷる。
上にはカラメル。
子どもが見た瞬間に負けるやつ。
プリンである。
ウリ坊が、目を輝かせた。
「プリン様!」
終わった。
野菜側、開幕即死である。
◇
冷蔵ショーケースの中央。
ひときわ輝くプリンが鎮座していた。
丸い。
なめらか。
柔らかい。
上品。
だが、カラメルの黒い照りが妙に支配的。
胸の札には、こう書かれている。
プリン様
様。
自称か他称かは知らない。
だが、ウリ坊の反応を見る限り、様で正しいらしい。
プリン様は、ぷるりと揺れた。
「わたくしは、冷やされ、固まり、すくわれるために生まれました」
そう言っている顔だった。
顔はない。
でも、絶対そう言っている。
俺は筆談板に書いた。
『強敵ですね』
ブロッコリーが真顔で頷いた。
「かなり強い。子ども受容、冷蔵訴求、なめらか食感、甘味、見た目、すべてが高い」
分析が速い。
だが、必要ないくらい強い。
プリン様はそこにいるだけで、子どもの心を持っていく。
カリフラワー先輩の白。
くわい先輩の芽。
高麗人参の格式。
俺の濃い顔。
全部まとめて、ぷるぷるの前に沈みそうだった。
◇
「今日の課題は決まったね」
ブロッコリーが言った。
「プリン様に子ども人気を全て奪われず、青果として食卓に残る道を考えること」
『無理では』
「条件は三つ」
来た。
「プリン様を敵にしすぎないこと」
はい。
「野菜側も、食後まで記憶に残ること」
難しい。
「そして、プリントとプリンを混同しないこと」
何だそれ。
その瞬間、オーク農家が紙束を抱えて現れた。
嫌な予感の紙束。
「持ってきたぞ。プリント」
市場が静まり返った。
紙束の表紙には、こう書かれていた。
家庭向け青果説明プリント
ウリ坊がプリン様とプリントを見比べた。
「プリン様と、プリント?」
混乱の種がそろった。
◇
オーク農家は得意げに紙束を配り始めた。
内容はまともだった。
マンドラゴラの扱い方
急に抜かない。声をかける。怖がっていたら待つ。
くわいの食べ方
芽は縁起物。ほくほく。少し苦みあり。
カリフラワーライス
米ではありません。白い野菜の使い方です。
パクチー汁
一滴まで。
最後だけ強い。
そして重要。
俺は筆談板に書いた。
『プリントは良いですね』
オーク農家が頷く。
「残るからな」
残る。
紙は残る。
冷蔵庫に貼れる。
読み返せる。
家庭に持ち帰れる。
プリン様は違う。
食べたらなくなる。
ウリ坊が、そこに気づいてしまった。
プリン様を見つめる。
プリントを見る。
またプリン様を見る。
そして、ぽつりと言った。
「ああ、プリン様。あなたはどうしてプリントじゃないの」
市場が止まった。
「プリントであれば、ずっと一緒にいられたのに」
反則。
本日最大級。
まだ始まって間もないのに最大級。
オーク農家が鼻をすすった。
「ウリ坊……」
そこで泣くな。
◇
プリン様は、ぷるりと揺れた。
「わたくしは、残るためではなく、食べられるために生まれました」
そう言っている顔だった。
深い。
プリンのくせに深い。
高麗人参が赤い布の上で静かに頷いた。
「消えることにも、格式があります」
出た。
何にでも格式を見いだす根菜。
カリフラワー先輩は白く微笑む。
くわい先輩は芽を揺らす。
エッセントゥーナ夫人は銀の匙を伏せる。
なぜか市場全体がしんみりし始めた。
俺は筆談板を掲げた。
『待ってください。相手はプリンです』
しかし、ウリ坊は真剣だった。
「食べたら、いなくなる」
重い。
子どもの食べ物への感情は、時々重い。
プリン様を食べたい。
でも、食べたらなくなる。
プリントなら残る。
でも、プリントは食べられない。
これは難問だった。
◇
「なら、両方必要だね」
ブロッコリーが言った。
さすが健康そうな黒幕。
「プリン様は食べられて記憶に残る。プリントは読まれて手順が残る。青果も同じだ。食べて消える部分と、家庭に残る知識がある」
まとも。
かなりまとも。
だが、プリン様が強すぎる問題は残っている。
そこでエシャロットちゃんが言った。
「青果プリント付き、野菜ソースのプリンにしましょう」
市場が凍った。
野菜ソース。
プリンに。
ウリ坊の顔が曇る。
「プリン様に、野菜?」
危険。
これは危険だ。
下手をすると、子どもの夢を破壊する。
プリン様もぷるりと震えた。
俺は筆談板に書いた。
『正気ですか』
「正気ですわ。ですが、マンドラゴラは入れません」
『安心しました』
「顔が濃いので」
『理由』
◇
試作一号。
カリフラワープリン
白い。
見た目は悪くない。
だが、食べるとカリフラワーが妙に真面目に顔を出す。
ウリ坊が言った。
「プリン様が、給食になった」
失敗。
カリフラワー先輩の白が少し曇った。
ミラーボールだけは回っていた。
腹立つ。
試作二号。
くわいカラメルプリン
芽出度い。
ほくほく。
だが、プリンのなめらかさの中に、くわいのほくっとした存在感が強すぎる。
ウリ坊が言った。
「プリン様の中に、先輩が座ってる」
失敗。
くわい先輩は満足そうだった。
座るな。
試作三号。
高麗人参プリン
高麗人参が自ら提案した。
ハイソな香り。
高級感。
体によさそう。
だが、ウリ坊が一口食べて困った顔をした。
「大人のプリン様」
失敗。
高麗人参は誇らしげだった。
褒めていない。
◇
市場が悩む中、エッセントゥーナ夫人が銀の匙を鳴らした。
「プリン様に野菜を混ぜ込むから、悲劇になるのです」
夫人は静かに続ける。
「プリン様はプリン様として立たせる。青果は横で、記憶を支える。主役を壊してはいけません」
昨日の肉と同じだ。
主役を倒すのではなく、記憶に入り込む。
ただし、プリン様は肉より繊細。
香りを間違えると、すぐ夢が壊れる。
夫人は、野菜たちを見回した。
「使うのは、果物寄りの青果。パイナップル卿」
パイナップル卿が王冠を掲げた。
「甘酸の王冠、いざ」
さらに。
「アボカド博士」
アボカド博士がつやっと光る。
「なめらかさで受け止めよう」
そして。
「マンドラゴラ一番根」
『入れないと言いましたよね』
「プリント担当ですわ」
『紙の方』
そう来たか。
◇
完成したのは、こうだった。
プリン様は、そのまま。
ぷるぷる。
黄金。
カラメル。
何も混ぜない。
その横に、小さな青果ソース。
パイナップルを細かく刻み、少し煮る。
アボカドをほんの少し合わせて、酸味を丸める。
香りづけは、エッセントゥーナ夫人の銀の匙で一撫で。
パクチー汁はなし。
全員が安心した。
そして俺は、プリントを作る。
プリン様と青果ソースの楽しみ方
一、まずプリン様をそのまま一口。
二、次に青果ソースを少し。
三、混ぜすぎない。
四、食べたらなくなるけれど、味は覚えていてよい。
最後だけ、少し感情が入った。
ウリ坊がじっと読んだ。
「味は、覚えていていい」
『はい』
「プリン様、いなくなっても?」
『はい』
プリン様が、ぷるりと揺れた。
◇
試食。
ウリ坊が、まずプリン様をそのまま食べた。
顔がとろけた。
「プリン様……」
強い。
やはり強い。
次に、青果ソースを少しのせる。
パイナップルの甘酸っぱさ。
アボカドのなめらかさ。
プリン様のやさしい甘さ。
ウリ坊の目が丸くなる。
「プリン様が、遠足に行った」
何その表現。
でも、分かる。
プリン様はプリン様のまま、少し明るい場所へ行った感じがする。
ウリ坊はもう一口食べた。
「プリン様、なくなるけど、これ、覚えてる」
市場が静かになった。
オーク農家が泣いた。
早い。
今日は本当に泣くのが早い。
◇
販売が始まった。
名前は、
プリン様と青果ソース。プリント付き。
そのままだ。
だが、売れた。
子どもたちはプリン様に集まる。
でも、プリントも持ち帰る。
「まずそのまま!」
「混ぜすぎない!」
「青果ソースちょっと!」
「味は覚えていていい!」
何の合唱だ。
でも、悪くない。
パイナップル卿は得意げに王冠を掲げた。
アボカド博士は「なめらかさの補助に成功」と黒板に書いた。
カリフラワー先輩は白く見守っている。
高麗人参は、自分の高級プリン構想を諦めていない顔だった。
やめろ。
子どもにはまだ早い。
◇
俺はプリントを配った。
食べられない。
でも、残る。
冷蔵庫に貼られるかもしれない。
机の上で折られるかもしれない。
鞄の中でくしゃくしゃになるかもしれない。
それでも、少し残る。
プリン様は食べられて消える。
でも、味が残る。
プリントは食べられない。
でも、言葉が残る。
どちらも、ずっと一緒にいる方法としては不完全だ。
でも、不完全だからよいのかもしれない。
俺は筆談板に書いた。
『プリン様はプリン様でよかったのですね』
プリン様は、ぷるりと揺れた。
「プリントでは、すくわれませんから」
そう言っている顔だった。
上手い。
プリンのくせに上手い。
◇
夕方。
冷蔵ショーケースは空になった。
プリン様は全員、食べられた。
ウリ坊は最後のプリントを大事そうに鞄へ入れていた。
「一番根、これ持って帰る」
『ありがとうございます』
「プリン様、いなくなったけど、覚えてる」
『はい』
反則。
本日最大。
オーク農家がまた泣いた。
もう好きに泣いてほしい。
◇
その日の記録には、こう書かれた。
プリン様、来場。子ども受容極めて高。
プリントとの混同により、ウリ坊が存在の儚さを認識。
青果ソースはパイナップル、アボカドを使用。マンドラゴラはプリント担当。
プリン様は混ぜ込まず、横に添えることで尊厳を保持。
味は消えるが記憶に残る。プリントは残るが食べられない。
高麗人参プリン、大人向けすぎるため保留。
最後。
保留するな。
夜。
W.H.O.ポスターの横に、新しい札が貼られた。
食べたらなくなるもの。
読んだら残るもの。
どちらも、誰かと一緒にいる方法です。
その下に、ウリ坊が小さく書き足した。
プリン様、またきてね。
一番根、プリントありがとう。
俺は筆談板を持ち上げた。
何か書こうとした。
でも、やめた。
プリン様はもういない。
けれど、今日の市場には、まだ少し甘い記憶が残っていた。
指定野菜への道は、今日は冷蔵ショーケースの前で立ち止まった。
食べられて消えること。
言葉として残ること。
どちらも、食卓に近づくためには必要なのだろう。
根菜だけど、そう思った。
なお、プリントは少しカラメルでべたついていた。




