第37話 ところでなぜ俺はマンドラゴラなのだろうか。うっ、頭痛が
朝。
市場の入口に、新しい札が出ていた。
本日の目玉。
晩餐館風タレに合う、濃い根菜。
俺は筆談板を握った。
『濃い根菜とは』
「あなたのことですわね」
エシャロットちゃんが、当然のように言った。
いや、分かる。
分かるが、言い方がある。
昨日、肉屋こと大商店主ヴァンサン・カーンに認められた結果、俺は市場で少し妙な立場になっていた。
肉に合う根菜。
タレに使える根菜。
半滴のパクチー汁にも耐えた根菜。
そして、相変わらず濃い顔の根菜。
根菜。
根菜。
根菜。
俺は筆談板に書いた。
『ところで、なぜ俺はマンドラゴラなのだろうか』
書いた瞬間だった。
ずきん。
根の奥。
いや、頭。
いや、俺に頭があるのか分からないが、とにかく上の方が痛んだ。
『うっ、頭痛が』
「根痛ではなく?」
野蒜ちゃんが言った。
『そこを冷静に分類しないでください』
◇
痛みは一瞬だった。
だが、妙に嫌な感じが残った。
頭の奥に、何か引っかかっている。
俺はマンドラゴラ。
そうだ。
マンドラゴラである。
急に抜くと危ない。
怖がらせない。
声をかける。
筆談板を使う。
濃い顔は仕様。
でも。
なぜ、俺はマンドラゴラなのか。
大根ではなく。
人参ではなく。
高麗人参でもなく。
くわいでもなく。
謎のごぼうでもなく。
マンドラゴラ。
そう考えた途端、また痛んだ。
ずきん。
『うっ』
「一番根、だいじょうぶ?」
ウリ坊が駆け寄ってきた。
反則。
朝から反則。
『大丈夫です。少し、自分が何なのか分からなくなっただけです』
「それは大丈夫じゃないよ!」
ウリ坊が正論を言った。
◇
「本日の課題は決まったね」
ブロッコリーが言った。
出た。
今日も健康そうだ。
だが、少しだけ真面目な顔をしている。
「マンドラゴラ君の自己同一性確認だ」
『野菜売り場で自己同一性を確認するな』
「大切だよ。最近、君には肩書きが増えすぎた」
ブロッコリーは、札を並べた。
指定野菜候補
一番根
濃い顔
視覚的核
プロトコルオーナー
緊急時走行可能マンドラゴラ
肉に認められた根菜
カレー沈没回避個体
約束継承性高
多い。
多すぎる。
俺は筆談板を掲げた。
『半分くらい返上したいです』
「どれを?」
『視覚的核』
「それは却下」
早い。
「肩書きが増えすぎると、本体が見えなくなる。今日は、君が何者なのか整理しよう」
整理。
嫌な言葉だ。
市場で整理と言われると、だいたい棚か在庫か心が荒れる。
◇
まず、高麗人参が前に出た。
赤い布。
金縁のしおり。
相変わらずハイソ。
「根であることは、誇りです」
そう言っている顔だった。
『根ではあります』
「根は土に入り、目に見えぬところで力を蓄える。ゆえに格がある」
高麗人参、今日も格の話をしている。
「あなたはマンドラゴラである前に、根の者です」
根の者。
急に忍者みたいになった。
俺は筆談板に書いた。
『根の者はちょっと嫌です』
高麗人参は不満そうだった。
◇
次に、くわい先輩が来た。
芽がぴょこんと出ている。
今日もめでたい。
「あなたは、芽を出したい者です」
『昨日聞きました』
「芽は形だけではない。見つけてもらい、使い道が増え、名前を呼ばれること。それが芽です」
まとも。
くわい先輩、今日もまとも。
ただし、芽はすごく主張している。
「つまり、あなたはマンドラゴラであり、芽出前の者であり、すでに芽出始めた者でもあります」
『増やさないでください』
肩書きが減らない。
◇
次に、カリフラワー先輩が白く近づいてきた。
背後ではミラーボールが回っている。
まだ片付いていない。
『なぜまだ光っている』
カリフラワー先輩は白く微笑んだ。
「白は光を受け止めます」
そう言っている顔だった。
『片付ける気がない』
カリフラワー先輩は、俺の前に白い札を置いた。
濃いまま来なさい。
昨日と同じ言葉。
だが、今日は少し違って見えた。
白い先輩は、俺に白くなれとは言わない。
濃いまま来いと言う。
つまり、俺はマンドラゴラである前に、俺の色で食卓に立つ者。
ずきん。
『うっ』
「また痛い?」
ウリ坊が不安そうに覗き込む。
『大丈夫です。少し、いい話っぽくなっただけです』
「いい話で痛いの?」
『たまに』
◇
次に、アボカド博士が黒板を出した。
やめろ。
「分類しよう」
やめろ。
黒板には、こう書かれていた。
マンドラゴラとは何か
その下に選択肢。
A 野菜
B 薬草
C 魔物
D 根菜
E 広報資産
F 危険物
G プロトコル
H 本人
多い。
しかも最後だけ急に哲学。
俺は筆談板に書いた。
『Hでお願いします』
「即答は非科学的である」
『分類される側にも都合があります』
アボカド博士は、つやっとした顔で言った。
「では複数回答可としよう」
『余計嫌です』
ホネ丸が帳面を開いた。
「マンドラゴラ一番根。現時点で野菜性、薬草性、魔物性、根菜性、広報性、危険物性、本人性を併有」
『危険物性を入れるな』
ホネ丸は真面目に頷いた。
「急抜き時リスクあり」
『事実で殴るな』
◇
そこへ、マンドラきゅんが現れた。
丸い。
かわいい。
顔が薄い。
胸にはいつもの札。
本物には、ちゃんと聞いてね!
「ぼく、マンドラきゅん!」
元気だ。
薄い顔で元気だ。
「一番根は、本物!」
市場が静かになった。
マンドラきゅんが、両手を広げる。
「ぼくは入口! 一番根は本物!」
簡単。
とても簡単。
なのに、刺さった。
俺は本物。
何の。
マンドラゴラの。
ずきん。
また痛む。
だが、さっきより少し軽い。
『本物とは』
俺は筆談板に書いた。
マンドラきゅんは、少し考えた。
「いやって言える方!」
市場が止まった。
丸いゆるキャラが、突然かなり核心を刺してきた。
俺は抱っこできない。
急に触られたら怖い。
嫌な時は、筆談板で嫌と書く。
マンドラきゅんは笑って受け止める。
俺は、断ることができる。
それが本物。
ずきん。
『うっ』
「また!?」
ウリ坊が慌てた。
『今のは、かなり効きました』
◇
ブロッコリーが、静かに言った。
「つまり、君は分類名だけでマンドラゴラなのではない」
健康そうな顔なのに、今日は妙に先生らしい。
「急に抜かれると怖い。声をかけてほしい。扱い方を読んでほしい。食べられる未来から逃げたくない。でも、何も聞かずに決められるのは嫌だ」
市場が静まり返る。
「それを、ずっと伝えてきた。だから、君はマンドラゴラなんだと思う」
俺は、筆談板を握った。
ずきん。
痛い。
でも、今度は逃げるような痛みではなかった。
何かが、土の奥から持ち上がってくるような痛み。
記憶。
ではない。
たぶん。
でも、何か。
◇
その瞬間、パクチー汁が光った。
『お前は光るな』
俺は反射で筆談板を掲げた。
市場中が笑った。
緊張が一気にほどける。
なぜ光ったのかは誰にも分からない。
パクチー汁も分かっていない顔だった。
エッセントゥーナ夫人が銀の匙を伏せる。
「香りの強いものは、場の空気を読まずに発光することがありますわ」
『ありません』
俺は書いた。
だが、少し助かった。
考えすぎていた頭痛が、笑いで少しだけ薄れた。
◇
ところが、問題は終わらなかった。
昼前、客の一人が俺を見て言った。
「あ、この走れる人参ください」
ずきん。
痛い。
俺は筆談板を掲げた。
『マンドラゴラです』
「じゃあ、マンドラ人参?」
『混ぜないでください』
「濃い大根?」
『違います』
「薬草?」
『でもありますが、今は野菜を目指しています』
「魔物?」
『その線も否定しきれませんが、食材候補です』
「つまり何?」
ずきん。
痛い。
かなり痛い。
俺は筆談板を握ったまま固まった。
つまり何。
それが分からない。
野菜。
薬草。
魔物。
根菜。
食材。
危険物。
本人。
どれも合っている気がする。
どれも違う気もする。
その時、ウリ坊が前に出た。
「一番根!」
客がウリ坊を見る。
「一番根は、一番根!」
反則。
本日最大。
説明になっていない。
だが、誰より正しい。
俺は一番根。
市場でそう呼ばれている。
ウリ坊がそう呼んでくれる。
マンドラゴラである前に。
指定野菜候補である前に。
濃い顔である前に。
俺は、一番根。
ずきん。
痛みが、一度だけ強く走った。
そして、すっと消えた。
◇
俺は筆談板に書いた。
『俺はマンドラゴラです』
客が読む。
『急に抜くと危ないです』
子どもたちが頷く。
『でも、ちゃんと聞いてくれれば怖くありません』
マンドラきゅんが手を振る。
『今は、指定野菜を目指しています』
ブロッコリーが頷く。
『名前は一番根です』
ウリ坊が笑った。
客は少し驚いた顔をして、それから笑った。
「じゃあ、一番根の説明カードください」
『どうぞ』
カードが一枚、持っていかれた。
買われたわけではない。
でも、少し届いた。
◇
午後。
市場では急遽、説明札が作り直された。
マンドラゴラ一番根
野菜を目指しています。
薬草っぽいところもあります。
魔物っぽい噂もあります。
でも、まずは本人に聞いてください。
急に抜かない。怖がっていたら待つ。
まとも。
かなりまとも。
ただし、下の方に小さく、
顔の濃さは仕様です。
とある。
もうそこは消えないらしい。
俺は筆談板を掲げた。
『仕様表記は必須ですか』
ホネ丸が答えた。
「苦情予防」
『苦情を前提にするな』
◇
高麗人参が、赤い布の上で上品に言った。
「名が定まるとは、格の始まりです」
くわい先輩が芽を揺らす。
「呼ばれるところから芽が出ます」
カリフラワー先輩が白く微笑む。
「色を失わずに立ちなさい」
ロマネスコ先輩が螺旋を震わせる。
「名は根に宿り、根は濃き顔に宿る」
『最後が台無しです』
でも、今日は少しだけ笑えた。
◇
夕方。
頭痛は完全に治まっていた。
原因は分からない。
分類されすぎたせいか。
肩書きが増えすぎたせいか。
肉に認められて根菜として揺らいだせいか。
それとも、ずっと考えないようにしていたことに、ようやく触れたからか。
なぜ俺はマンドラゴラなのか。
答えは、まだ全部は分からない。
でも、今日分かったことがある。
俺は、マンドラゴラだから一番根なのではない。
一番根と呼ばれて、マンドラゴラとして立っている。
それで今は十分だった。
◇
その日の記録には、こう書かれた。
マンドラゴラ一番根、自己同一性揺らぎを発症。
頭痛あり。根痛との区別は未確定。
分類候補:野菜、薬草、魔物、根菜、本人。
ウリ坊の「一番根は一番根」により症状軽快。
説明札を改訂。本人確認を最優先とする。
パクチー汁、理由なく発光。要観察。
最後。
やっぱりお前は何なんだ。
夜。
W.H.O.ポスターの横に、新しい札が貼られた。
名前を呼ぶ前に、決めつけない。
分類より先に、本人確認。
一番根は、マンドラゴラです。たぶん。
『たぶんを消してください』
俺は筆談板を掲げた。
ブロッコリーが健康そうに笑った。
「余白だよ」
『カリフラワー先輩の影響を受けすぎです』
カリフラワー先輩は、ミラーボールの下で白く微笑んでいた。
ウリ坊が俺の横に来る。
「一番根は、一番根だよ」
反則。
最後まで反則。
俺は筆談板に書いた。
『はい』
なぜ俺はマンドラゴラなのか。
まだ分からない。
だが、俺は今日も一番根として市場にいる。
濃い顔で。
筆談板を持って。
急に抜かれないように願いながら。
指定野菜になりたいと、まだ思っている。
根菜だけど。
いや、マンドラゴラだけど。




