第33話 オーク農家の涙。男泣き親父と、ウリ坊初めてのおつかい
オーク農家が泣いていた。
朝から。
市場のど真ん中で。
両手で顔を覆い、肩を震わせ、鼻をすすりながら。
「でっかくなったなあ……」
まだ何も始まっていない。
俺は筆談板を握った。
『何がですか』
「ウリ坊が……初めてのおつかいに行く」
市場が静まり返った。
ウリ坊は、小さな肩掛け鞄を斜めにかけて、胸を張っていた。
「おれ、となり町いく!」
反則。
朝から反則。
オーク農家がさらに泣いた。
「言えるようになったなあ……となり町って……」
いや、そこは普通に言えるだろ。
だが、父親とはそういうものらしい。
◇
用件は単純だった。
となり町の青果組合へ、昨日作った青果市場タスクアサイン表・初版を届ける。
ついでに、向こうの市場から子ども用おつかい安全札と、やわらか湿り布を受け取って帰ってくる。
距離は近い。
道も広い。
ホネ丸の配送路でも安全確認済み。
それでも、ウリ坊にとっては初めてのおつかいである。
「一人で行くの?」
野蒜ちゃんが聞く。
オーク農家が即答した。
「いや、同行者をアサインした」
また使った。
覚えたての横文字を完全に気に入っている。
俺は嫌な予感とともに筆談板を掲げた。
『まさか』
「一番根だ」
『却下』
「なんでだよ。お前、いざとなれば走れるだろ」
『走れる人参ではありません』
「走れるマンドラゴラだろ」
『そこも得意業務ではありません』
だが、ウリ坊が俺の前にしゃがんだ。
「一番根、いっしょにきてくれる?」
反則。
もう駄目だ。
俺は筆談板に書いた。
『行きます』
オーク農家が男泣きした。
「ありがとなあ……!」
早い。
泣くのが早い。
◇
準備は妙に本格的だった。
ウリ坊の鞄には、封筒。
おつかいメモ。
水筒。
小さな干し果物。
緊急用の笛。
そして、俺用の湿った布。
俺は小さな木箱に座らされた。
完全に荷物である。
『同行者では』
「見守り同行者兼、緊急時走行可能根菜だ」
オーク農家が言った。
『肩書きを増やすな』
マンドラきゅんも手を振っていた。
「本物にはちゃんと聞いてね! おつかいもちゃんと聞いてね!」
何をだ。
でも、子どもたちは笑っている。
高麗人参は赤い布の上で頷いた。
「初めての外部折衝です。身だしなみと説明責任を忘れずに」
ハイソなおつかいアドバイス。
ブロッコリーは、いつもの健康そうな顔で言った。
「困ったら、まず止まる。確認する。分からないまま進まない」
まとも。
かなりまとも。
オーク農家は、ウリ坊の頭を大きな手で撫でた。
「気をつけて行けよ」
「うん!」
「道、間違えるなよ」
「うん!」
「知らない人についてくなよ」
「うん!」
「一番根を落とすなよ」
「うん!」
『俺は壊れ物扱いですか』
「壊れ物より叫ぶからな」
それはそう。
◇
出発した。
ウリ坊が小さな木箱を引く。
俺はその中で筆談板を抱えている。
市場の入口で、オーク農家が手を振っていた。
泣いていた。
めちゃくちゃ泣いていた。
「行ってこいよおおお!」
ウリ坊が手を振る。
「いってきまーす!」
反則。
本日最大級。
オーク農家、膝から崩れた。
早い。
まだ市場の角を曲がっていない。
◇
道は平和だった。
春の風。
畑。
小川。
遠くに見えるとなり町の屋根。
ウリ坊は時々、おつかいメモを確認する。
「一番根、これであってる?」
俺は筆談板に書いた。
『合っています』
「となり町青果組合に、封筒をわたす」
『はい』
「やわらか湿り布と、安全札をもらう」
『はい』
「帰る」
『完璧です』
ウリ坊は得意げに笑った。
反則。
平和だった。
だが、平和は長く続かない。
道の途中に、細い橋があった。
橋の真ん中で、荷車が止まっていた。
大根の束を積んだ荷車である。
車輪が溝にはまって動かない。
困っているのは、となり町の小さなゴブリン商人だった。
「ああ、困ったなあ。これじゃ市場に遅れる」
ウリ坊が立ち止まる。
「だいじょうぶ?」
偉い。
だが、ここで時間を使いすぎるとおつかいが遅れる。
俺は筆談板に書いた。
『まず状況確認です』
ブロッコリーの教えが早速役に立つ。
ウリ坊は頷いた。
「車輪、はまってる!」
『俺が根で押します。ウリ坊は荷車を引く人に声をかけて』
「うん!」
俺は木箱から根を伸ばした。
昨日の堆肥ほど熱くない。
橋の溝に入った車輪へ、細い根を絡める。
押す。
ゴブリン商人が引く。
ウリ坊も後ろから押す。
「せーの!」
がたん。
車輪が外れた。
荷車が動いた。
ゴブリン商人が何度も頭を下げる。
「助かったよ! ありがとう、走れる人参くん!」
俺は即座に筆談板を掲げた。
『マンドラゴラです』
「えっ、走れるマンドラゴラ?」
『走行は緊急時のみです』
ゴブリン商人はよく分からない顔で頷いた。
ウリ坊は胸を張った。
「一番根はすごい!」
反則。
橋の上で反則。
◇
となり町に着いたのは、予定より少し遅れた頃だった。
市場は、俺たちの町より少し小さい。
でも、活気がある。
看板も多い。
知らない野菜も並んでいる。
ウリ坊は少し緊張していた。
「一番根、ここ?」
『青果組合は奥の建物です』
「うん」
建物の前に着くと、受付の女の人がにこっと笑った。
「あら、おつかい?」
ウリ坊は、鞄から封筒を取り出した。
「これ、青果市場タスクアサイン表・初版です!」
言えた。
言えてしまった。
俺は少し感動した。
受付の人も目を丸くした。
「すごい名前の書類ねえ」
『こちらの市場でもそう思っています』
俺は筆談板を出した。
受付の人は俺を見た。
濃い顔。
花冠なし。
木箱入り。
「あなたが噂のマンドラゴラさん?」
『一番根です』
「あら、本物。思ったより濃い」
『仕様です』
学習済みである。
◇
手続きは無事に進んだ。
封筒を渡す。
受領印をもらう。
やわらか湿り布を受け取る。
子ども用おつかい安全札も受け取る。
完璧。
だった。
だが、受付の奥から、大きな声がした。
「そのマンドラゴラ、少し見せてもらえるか?」
出てきたのは、となり町の青果組合長だった。
立派なカブである。
丸い。
白い。
紫がかっている。
貫禄がある。
「噂は聞いている。指定野菜候補で、PPAP承認済み、視覚的核で、走れる人参だとか」
『最後だけ違います』
俺は筆談板を掲げた。
「ほう。では、少し実演を――」
『しません』
即答。
ウリ坊が俺の前に立った。
「一番根は、急にやらない!」
反則。
となり町でも反則。
カブ組合長は、少し驚いた顔をした。
そして、ゆっくり頷いた。
「なるほど。扱い方も届いているようだ」
試された。
いやな大人だ。
でも、悪い人ではなさそうだった。
カブ組合長は、ウリ坊に小さな丸い札をくれた。
おつかい確認済み
ウリ坊の目が輝いた。
「もらった!」
よかった。
本当に。
◇
帰り道。
問題が起きた。
空が曇った。
風が強くなった。
そして、ぽつり。
雨。
小雨だったが、木箱に入った俺にはなかなか厄介だった。
濡れすぎるのも困る。
乾くのも困る。
マンドラゴラ、管理が面倒。
ウリ坊は慌てて、受け取ったばかりのやわらか湿り布を俺にかけた。
「一番根、寒くない?」
『大丈夫です』
本当は少し寒い。
でも、大丈夫。
ウリ坊が、ちゃんと考えてくれている。
その時、前方の道に影が見えた。
さっき助けたゴブリン商人の荷車が、また止まっている。
今度は大根の束が崩れて、道をふさいでいた。
「まただ!」
ウリ坊が叫ぶ。
ゴブリン商人は泣きそうになっている。
「雨で縄がゆるんで……!」
道は狭い。
このままだと、帰りが遅くなる。
雨は強くなりそうだ。
俺は筆談板を握った。
『ウリ坊。安全札を出してください』
「え?」
『道の端に立てて、通る人に知らせます。俺は根で大根を寄せます』
「でも、一番根、つかれない?」
『緊急時です』
走れる人参。
いいや、マンドラゴラ。
緊急時だけなら、やる。
ウリ坊は頷いた。
安全札を立てる。
ゴブリン商人に声をかける。
俺は根を伸ばす。
濡れた大根は重い。
だが、一本ずつなら動く。
道の端へ寄せる。
ウリ坊も拾う。
小さな手で、一本ずつ。
反則。
本当に反則。
雨の中、ウリ坊は泣き言を言わなかった。
荷車の縄を、ゴブリン商人が結び直す。
俺は筆談板に書いた。
『次から縄の確認を』
「はい……」
ゴブリン商人は深く頭を下げた。
「ありがとう、走れるマンドラゴラくん!」
『緊急時走行可能マンドラゴラです』
もう訂正も疲れた。
◇
市場へ帰り着いた時、雨は上がっていた。
オーク農家は、市場の入口で待っていた。
朝と同じ場所で。
腕を組んで。
顔を真っ赤にして。
すでに泣いていた。
「ウリ坊おおおお!」
ウリ坊が駆け出す。
「ただいまー!」
オーク農家が抱きしめる。
大きな腕で。
ぎゅっと。
泣く。
めちゃくちゃ泣く。
「帰ってきた……ちゃんと帰ってきた……!」
ウリ坊は鞄から札を出した。
「見て! おつかい確認済み!」
オーク農家が崩れ落ちた。
「確認済み……!」
そこで泣くのか。
泣くのだ。
男泣き親父である。
俺は木箱の中から筆談板を掲げた。
『無事完了です』
オーク農家は俺にも頭を下げた。
「一番根、ありがとな。ほんとに……ありがとな」
その声は、いつもの豪快さとは少し違っていた。
俺は少しだけ困った。
そして書いた。
『ウリ坊が頑張りました』
ウリ坊が胸を張る。
「一番根も走った!」
『走ってはいません。根を伸ばしました』
「走れるマンドラゴラ!」
『緊急時のみです』
市場が笑った。
◇
報告会が開かれた。
受領印あり。
やわらか湿り布あり。
子ども用おつかい安全札あり。
おつかい確認済み札あり。
途中で荷車救助二回。
雨天対応あり。
マンドラゴラ軽度疲労。
ホネ丸が記録する。
初めてのおつかい、成功。
同行者:マンドラゴラ一番根。
緊急時根伸展により道路復旧支援。
ウリ坊、確認・声かけ・安全札設置を実施。
オーク農家、出発時および帰着時に男泣き。
最後。
書かなくていい。
オーク農家は鼻をすすった。
「書いとけ。大事な記録だ」
大事らしい。
ブロッコリーが頷いた。
「今日は、良いアサインだったね」
珍しく素直に褒めた。
オーク農家が照れた。
「だろ?」
『調子に乗らないでください』
「次はリソース配分を――」
『禁止』
即座に筆談板を掲げた。
◇
その夜。
W.H.O.ポスターの横に、新しい札が貼られた。
初めてのおつかいは、ひとりで行っても、ひとりじゃない。
確認する。声をかける。困ったら止まる。
いざとなれば、走れる人参――ではなく、緊急時走行可能マンドラゴラがいるかもしれません。
最後。
長い。
だが、今日は許した。
ウリ坊が、札の下に自分で小さく書き足した。
一番根、ありがとう。
反則。
本日最大。
俺は筆談板を持ち上げた。
何か書こうとした。
でも、やめた。
オーク農家がまた泣きそうだったからだ。
指定野菜への道は、今日はとなり町まで行って帰ってきた。
食べてもらったわけではない。
売れたわけでもない。
でも、ウリ坊が初めてのおつかいをやり遂げた。
俺はその横にいた。
いざとなれば走れる人参。
いいや、マンドラゴラとして。
根菜だけど、少し誇らしかった。




