第32話 オーク農家はアサインという言葉を覚え数日ぶりに現れた。既に嫌な予感しかしない。
数日ぶりに、オーク農家が市場へ戻ってきた。
肩には鍬。
腰には手拭い。
手には分厚い紙束。
そして、顔がやけに晴れやかだった。
その時点で、俺は筆談板を握った。
『嫌な予感がします』
「まだ何も言ってねえだろ」
オーク農家は笑った。
言っていない。
だが、紙束を持っている。
市場において、紙束はだいたい事件である。
PPAP。
情報リテラシー。
持続的可能青果部門。
野菜版イコモス。
どれも紙から始まった。
紙は怖い。
畑より怖い。
「今日はな」
オーク農家は、胸を張った。
「アサインを決める」
市場が静まり返った。
俺は筆談板に書いた。
『覚えたての横文字を畑に持ち込むな』
「使ってみたくなるだろ」
やっぱり覚えたてだった。
◇
長机の上に、紙が広げられた。
題名。
青果市場タスクアサイン表
終わった。
もう終わった。
その下には、野菜たちの名前と担当業務がびっしり書き込まれている。
ジャガイモ先輩。
基盤安定担当
豆苗。
再生進捗担当
パイナップル卿。
長期育成ビジョン担当
アボカド博士。
種子管理・数値化担当
高麗人参。
格式・対外説明責任担当
しいたけ部長。
旨味リスク低減担当
パセリ。
余韻設計担当
パクチー汁。
一滴管理対象
マンドラきゅん。
顧客接点担当
俺。
視覚的核兼プロトコルオーナー
俺はしばらく黙った。
そして筆談板に書いた。
『肩書きが重い』
「似合ってるぞ」
『似合いたくありません』
視覚的核。
プロトコルオーナー。
どちらも野菜に振るロールではない。
オーク農家は得意げに言った。
「前にPPAPやっただろ。あれで分かったんだ。市場も畑も、誰が何をやるか決めねえと回らん」
それは分かる。
分かるが、言葉が怖い。
「だからアサインだ」
覚えたての横文字は、使う者の目を輝かせる。
その輝きが一番危ない。
◇
「今日の課題は決まったね」
ブロッコリーが言った。
出た。
この緑、絶対アサイン表を事前に見ていた顔である。
「役割を決めること自体は悪くない。ただし、向いていない仕事を振ると事故になる」
まとも。
かなりまとも。
しかし、嫌な予感は強まった。
オーク農家は、さらに紙をめくる。
「まず、マンドラゴラ一番根」
『はい』
「お前は、昨日の鍵回収で実績があるから、危険箇所対応班リーダーにアサインだ」
『却下』
即答した。
根がまだじんじんしているのだ。
堆肥の中から鍵を引っ張り出したのは、緊急事態だったからであって、得意業務ではない。
「でも実績が」
『実績で危険業務を固定化するな』
ホネ丸が、からんと帳面を開いた。
「重要な指摘。成功事例の安易な標準化は危険」
そう。
それだ。
俺は頷いた。
オーク農家は少し困った顔をした。
「じゃあ、危険箇所対応班は誰に……」
全員の視線が野蒜ちゃんへ向いた。
野蒜ちゃんは包丁を持っていた。
「何でこっち見るのよ」
見られる理由は、だいたいその包丁である。
◇
アサイン表の見直しが始まった。
まず、マンドラきゅん。
顧客接点担当。
これは妥当だった。
ゆるい。
丸い。
抱きつける。
本物には聞いてね、と言える。
ただし、オーク農家の表には補足があった。
必要に応じて本物代行
俺は筆談板を掲げた。
『代行はできません』
マンドラきゅんが手を振る。
「ぼく、代行しないよ! 本物にはちゃんと聞いてね!」
偉い。
かなり偉い。
オーク農家は「そうか」と赤字で修正した。
本物代行不可。入口担当。
次。
高麗人参。
格式・対外説明責任担当。
これは本人が完全に受け入れた。
赤い布の上で、今日もハイソに頷いている。
「説明責任は、格式ある者の務めです」
そう言っている顔だった。
だが、補足欄に、
必要に応じて謝罪会見
と書いてあった。
高麗人参の根が止まった。
「謝罪?」
そう言っている顔だった。
俺は筆談板に書いた。
『格式があるからって謝罪を押しつけるな』
ブロッコリーが頷く。
「責任者と説明者は分けた方がいいね」
高麗人参は、ほっとしたように赤い布を整えた。
ハイソは謝罪会見に弱いらしい。
◇
次。
豆苗。
再生進捗担当。
これは強い。
豆苗は得意げに揺れた。
「二回目がありますので」
だが、オーク農家の補足欄には、
全再生野菜の生育責任
とあった。
豆苗が一気にしおれた。
パイナップル卿。
アボカド博士。
豆苗。
全部、育つ速度が違う。
水も違う。
日当たりも違う。
時間も違う。
豆苗一人に全再生野菜を任せるのは無茶だ。
俺は筆談板に書いた。
『再生勢を一括りにするな』
パイナップル卿が王冠を揺らす。
「王冠には王冠の時間がある」
アボカド博士もつやっと光る。
「種には観察単位が必要である」
豆苗が少しだけ元気を取り戻す。
「私は水替えなら得意です」
ブロッコリーがまとめた。
「豆苗は短期再生。パイナップルは長期育成。アボカドは観察教材。責任を分けよう」
まとも。
アサイン表が、少しずつまともになっていく。
なお、なぜ市場でこんな会議をしているのかは分からない。
◇
次。
パクチー汁。
一滴管理対象
担当ではない。
対象である。
パクチー汁は椀の中で不穏に揺れた。
「管理される側なのか」
そう言っている気配だった。
全員が頷いた。
これは仕方ない。
パクチー汁は自由にすると全体を支配する。
スポイト。
封印。
一滴。
この三つが必要である。
オーク農家は真面目に書いた。
パクチー汁:一滴以上投入時、是正処置。
嫌な現場感が出た。
ピーマン勇者が目を逸らした。
過去に二滴目未遂があるからだ。
◇
そして、しいたけ部長。
旨味リスク低減担当
しいたけ部長の笠が、渋く傾いた。
「我はリスクなのか」
そう言っている顔だった。
俺は筆談板に書いた。
『香りが強すぎる時はリスクです』
しいたけ部長が沈む。
しかし、ウリ坊が言った。
「でも、部長がいるとおいしくなる」
しいたけ部長の笠が、ぴくりと持ち上がる。
反則。
今日も反則。
ブロッコリーが言った。
「リスク低減ではなく、旨味調整担当だね」
オーク農家が修正する。
しいたけ部長:旨味調整担当。もわっと注意。
部長は少し納得したようだった。
もわっと注意は残った。
◇
最後に、俺の欄へ戻った。
視覚的核兼プロトコルオーナー
何度見ても重い。
「これは変えねえ」
オーク農家は言った。
『なぜ』
「お前がいないと、みんな約束を忘れるからだ」
市場が静かになった。
「急に抜かない。怖がらせない。説明する。強いものは一滴まで。苦手なものは半分から。再生できるからって雑にしない。土へ帰るものも見えなくしない。そういうの、だいたいお前の周りで決まっただろ」
俺は、筆談板を少し下げた。
それは、まあ。
確かに。
俺は主役になりたい。
指定野菜になりたい。
カリフラワーにできたんだから俺にもできるはず。
そう思ってここまで来た。
でも、いつの間にか、俺の周りには札が増えた。
約束。
説明。
プロトコル。
管理。
持続的可能。
ゆるキャラとの役割分担。
たぶん、俺は食材である前に、面倒な約束の塊になっている。
俺は筆談板に書いた。
『視覚的核は外してください』
「そこはイコモスに言え」
駄目だった。
◇
会議は無事に終わるはずだった。
だが、オーク農家はさらに一枚、紙を出した。
アサイン実地確認
嫌な予感。
「決めただけじゃ駄目だろ。実際に動かしてみねえと」
そう言うと、彼は市場に向かって声を張った。
「よし、閉場前の緊急売り場改善をやる。各自、アサイン通りに動け!」
緊急。
実地。
各自。
市場が一気に慌ただしくなる。
マンドラきゅんは入口へ。
「本物にはちゃんと聞いてね!」
豆苗はおかわり棚の水を確認。
パイナップル卿はクラウンの葉先を整える。
アボカド博士は種の瓶を数える。
高麗人参は説明札の誤字を直す。
しいたけ部長は香りを控えめにするため、風下へ移動。
パクチー汁はスポイトごと封印箱へ。
ピーマン勇者はタイムセールの木べらを掲げる。
みんな、意外と動けていた。
俺は。
俺は、中央に立った。
濃い顔で。
筆談板を持って。
プロトコルオーナーとして。
何をするんだ、これ。
そう思った瞬間、子どもが走ってきた。
「マンドラきゅん、どこ?」
俺は筆談板に書いた。
『入口です』
別の子。
「豆苗、水なくなってる!」
『豆苗さんへ。水確認』
豆苗がさわさわ走る。
いや、走ってはいない。
運ばれていく。
別の客。
「このアボカド、種もらえる?」
『観察カードを読んでから一個だけ』
アボカド博士が頷く。
さらに別の客。
「パクチー汁、二滴いける?」
『いけません』
即答。
ピーマン勇者が隣で震えた。
「勇者もそう思う」
成長したな。
俺は、次々に筆談板を書いた。
全部、自分でやるわけではない。
誰が担当かをつなぐ。
誰に聞けばいいかを示す。
何を守るかを見せる。
それが、プロトコルオーナー。
なるほど。
ちょっとだけ分かった。
◇
しかし、そこで問題が起きた。
しいたけ部長が、風下に移動しすぎて、魚屋の前に行ってしまったのだ。
魚屋の客が言った。
「今日、なんか旨味すごくない?」
しいたけ部長の笠が誇らしげに持ち上がる。
まずい。
もわっとしている。
俺は筆談板を掲げた。
『部長、戻りすぎない程度に戻ってください』
しいたけ部長は渋く頷いた。
次に、マンドラきゅんが入口で人気を集めすぎて、通路が詰まった。
「ぎゅー!」
「写真!」
「もう一回!」
顧客接点担当、強すぎる。
俺は書いた。
『列を曲げてください』
ホネ丸が、からんからんと誘導ロープを出す。
さすが配送ギルド。
さらに、パイナップル卿の王冠を見た子どもが、
「これもぎゅーできる?」
と言い出した。
パイナップル卿は堂々と答えた。
「王冠への接触は許可制である」
そう言っている顔だった。
俺は筆談板に書いた。
『本物にはちゃんと聞いてね、を適用』
マンドラきゅんが遠くから叫ぶ。
「本物にはちゃんと聞いてね!」
便利。
すごく便利。
オーク農家が、腕を組んで満足そうに頷いている。
「アサイン、回ってるな」
悔しい。
覚えたての横文字なのに、少し回っている。
◇
閉場前。
実地確認は成功した。
大きな事故なし。
パクチー汁二滴なし。
マンドラきゅん混雑は誘導で解消。
豆苗の水切れなし。
アボカド種の配布は一人一個。
高麗人参の説明札は相変わらずハイソ。
しいたけ部長は、もわっとしすぎず旨味を保った。
俺は、中央で筆談板を抱えていた。
疲れた。
かなり疲れた。
危険作業をやったわけではない。
堆肥から鍵を回収したわけでもない。
でも、いろんな方向から飛んでくる質問と混乱を、担当へつなぐのは普通に大変だった。
ウリ坊が、俺の横に来た。
「一番根、今日、みんなをアサインしてた!」
『俺はされる側だったはずです』
「でも、ちゃんとつないでた!」
反則。
本日最大。
俺は筆談板に書いた。
『つなぐ根菜です』
「つなぐ一番根!」
また肩書きが増えた。
◇
その日の記録には、こう書かれた。
青果市場タスクアサイン表、初版運用。
覚えたて横文字による混乱、軽微。
マンドラゴラ一番根、視覚的核兼プロトコルオーナーとして中央連携を実施。
本人、肩書きの重さに不満。
パクチー汁、管理対象のまま。
しいたけ部長、もわっと注意継続。
オーク農家、アサインという言葉をさらに気に入る。
最後。
一番まずい。
オーク農家は、紙束を大事そうに抱えていた。
「次は、リソース配分ってやつも覚えたんだ」
市場が凍った。
俺は筆談板を掲げた。
『次回予告みたいに言うな』
ブロッコリーが健康そうに笑っている。
高麗人参はハイソに目を閉じた。
マンドラきゅんは元気に手を振った。
ウリ坊は楽しそうだった。
俺だけが、次の紙束の気配に震えていた。
指定野菜への道は、ついに人員配置まで来た。
いや、人員ではない。
野菜員配置である。
根菜だけど、本当に嫌な予感しかしなかった。




