第25話 泣く子とゆるキャラには勝てない濃い顔の若きマンドラゴラの悩みは多分、苦い
翌日。
市場は朝から、やたら賑やかだった。
理由は分かっている。
マンドラきゅんである。
丸い。
かわいい。
手を振る。
転んでも危なくない。
顔が薄い。
怖くない。
抜いても叫ばない。
いや、最後は着ぐるみだから当然なのだが。
昨日の「マンドラゴラと約束しよう会」が妙に好評だったせいで、今日は朝からマンドラきゅんの撮影会が開かれることになった。
市場入口には、すでに札が出ている。
マンドラきゅんと写真を撮ろう!
本物のマンドラゴラもいるよ!
も、なんだ⋯⋯。思いながら、俺は筆談板を握った。
『ついで扱い』
「主役が二人いると、どうしても柔らかい方に子どもが集まりますわね」
エシャロットちゃんが冷静に言った。
柔らかい方。
つまり俺は硬い方。
いや、根菜だから間違ってはいない。
でも、何かが違う。
マンドラきゅんの前には列ができていた。
「マンドラきゅーん!」
「こっち向いて!」
「かわいい!」
「ぎゅーして!」
ぎゅー。
着ぐるみは強い。
抱きつける。
頭を撫でられる。
転んでも笑いになる。
一方、俺はどうだ。
急に触ってはいけない。
抜いてはいけない。
怖がらせてはいけない。
笑いすぎてもいけない。
面倒くさい。
俺、かなり面倒くさい。
指定野菜候補としてどうなんだ。
「一番根」
ウリ坊が、俺の隣にしゃがんだ。
「元気ない?」
反則。
今日も早い。
俺は筆談板に書いた。
『ゆるキャラに負けています』
「でも、本物は一番根だよ」
それはそう。
それはそうなのだが。
子どもは今、みんなマンドラきゅんを見ている。
俺を見てきた子も、だいたいこう言う。
「本物、濃い」
「マンドラきゅんよりこわい」
「でも、ちょっとかっこいい」
「でも、ぎゅーはマンドラきゅんがいい」
最後が重い。
俺は本物なのに、抱っこ方面では偽物に勝てない。
泣く子とゆるキャラには勝てない。
市場の真理を、朝から根に叩き込まれていた。
◇
「今日の課題は、これだね」
ブロッコリーが言った。
出た。
当然いる。
しかも今日は、マンドラきゅんの横に立って満足そうである。
腹黒い。
絶対、昨日の成功を見て「これは使える」と思った顔だ。
俺は筆談板に書いた。
『俺とマンドラきゅんの人気対決ですか』
「違うよ」
ブロッコリーは首を振った。
「本物と広報キャラの役割分担だ」
役割分担。
また急に現代の広報会議みたいな話になった。
「マンドラきゅんは入口。君は本物。入口が広くなれば、本物に触れる前の怖さは減る。でも、入口だけが目立ちすぎると、本物が置いていかれる」
置いていかれる。
まさに今の俺である。
「だから今日は、マンドラきゅん人気を使って、本物のマンドラゴラへの理解につなげる」
なるほど。
理屈は分かる。
だが、感情が追いつかない。
俺は筆談板に書いた。
『俺が地味に傷ついている点については』
「若いね」
ブロッコリーは健康そうに微笑んだ。
若い。
言われた。
濃い顔の若きマンドラゴラ、ゆるキャラに嫉妬する。
字面が弱すぎる。
◇
高麗人参が、赤い布の上から上品にこちらを見ていた。
今日もハイソである。
しかも、マンドラきゅん用の撮影背景に対抗するかのように、自分の背後に小さな金屏風を立てている。
どこから持ってきた。
「本物が広報物に嫉妬するのは、若い証拠です」
そう言っている顔だった。
俺は筆談板に書いた。
『経験者ですか』
高麗人参は、すました顔で根を揺らした。
「高麗人参エキス風味飲料、という存在に何度も悩まされてきました」
重い。
急に重い。
高麗人参本人ではなく、高麗人参っぽさだけが独り歩きする。
それはたしかに厄介そうだ。
「けれど、本物は本物です。広く知られるための入口と、信用を積む本体は別物。混同させないことが肝要です」
今日も正しい。
腹が立つほど正しい。
俺は筆談板に書いた。
『では、どうすれば』
「本物にしかできないことをなさい」
本物にしかできないこと。
濃い顔。
筆談。
拒否。
怖がる。
約束する。
……ゆるキャラは、嫌と言えない。
あ。
少しだけ、分かった気がした。
◇
事件は、昼前に起きた。
マンドラきゅんの列に並んでいた小さな子が、両手を伸ばして言った。
「本物も、ぎゅーしたい」
市場の空気が止まった。
マンドラきゅんはぎゅーできる。
だが、本物はできない。
俺は、急に抱きしめられたらたぶん驚く。
驚いたら、叫ぶかもしれない。
叫ばなくても、怖い。
俺にとっても、その子にとっても危ない。
俺は筆談板に書いた。
『ごめんなさい。抱っこはできません』
子どもは、文字を読んだ。
目が、みるみる潤んだ。
まずい。
泣く。
泣く子だ。
泣く子には勝てない。
その子は、ぽろっと涙をこぼした。
「本物、いやなの?」
重い。
ものすごく重い。
俺は慌てて筆談板を消し、書き直した。
『いやだからではありません。危ないからです』
「マンドラきゅんは、いいって言う」
マンドラきゅんが、横で固まっている。
着ぐるみの笑顔が、こんなに困って見えることがあるのか。
周囲の大人たちも困った顔になった。
泣いている子。
ゆるキャラ。
本物の危険情報。
全部がぶつかった。
ここで俺が折れれば、その子は泣き止むかもしれない。
でも、「本物も抱っこできる」という誤解が残る。
それは駄目だ。
昨日、さんざん約束したばかりだ。
急に触らない。
怖がっていたら待つ。
本物には、ちゃんと聞く。
俺は筆談板を握った。
書く手が少し震えた。
『抱っこはできません。でも、となりで写真ならできます』
子どもは、まだ泣いていた。
「ぎゅーがいい」
痛い。
泣く子、強い。
泣く子とゆるキャラには勝てない。
でも、ここで勝とうとしてはいけない。
俺は少し考えた。
そして、マンドラきゅんを見た。
『マンドラきゅん、代わりに抱っこをお願いします』
マンドラきゅんが、ぱっと両手を広げた。
「ぎゅーは、ぼくがするよ! 本物の一番根は、隣で見守るよ!」
子どもは、涙をこぼしながらマンドラきゅんに抱きついた。
マンドラきゅんが、やさしく受け止める。
俺は、その隣に立った。
花冠。
濃い顔。
筆談板。
そして、板に大きく書く。
『聞いてくれてありがとう』
子どもは、マンドラきゅんの腕の中から、俺を見た。
「本物、怒ってない?」
『怒っていません』
「ぎゅーできないけど?」
『となりにはいます』
子どもは、少しだけ鼻をすすった。
「じゃあ、写真とる」
勝った。
いや、勝ってはいない。
泣く子にも、ゆるキャラにも勝っていない。
でも、約束は守れた。
◇
その写真は、思った以上に好評だった。
マンドラきゅんに抱きつく子ども。
その隣で、濃い顔の本物マンドラゴラが筆談板を掲げている。
聞いてくれてありがとう
子どものお母さんは、目元を押さえていた。
「これ、いいですね」
何が。
いや、分かる。
ただの記念写真ではない。
抱っこできないものに、無理に抱きつかなかった写真。
泣いたけれど、約束を守れた写真。
本物が、隣にいてくれた写真。
マンドラきゅんが入口になり、俺が約束を守る。
役割分担。
ブロッコリーが静かに頷いた。
「これだね」
これらしい。
すぐにエシャロットちゃんが札を書いた。
マンドラきゅんとぎゅー。
本物の一番根とは、となりで約束写真。
うまい。
かなりうまい。
マンドラきゅんを否定しない。
本物に無理をさせない。
子どもも笑える。
安全も守れる。
高麗人参が、上品に頷いた。
「入口と本体の導線として、美しい」
言い方がハイソ。
でも、今回は分かる。
◇
そこから、列の流れが変わった。
まず、マンドラきゅんとぎゅーする。
次に、本物の俺の前に来る。
子どもが質問する。
「隣で写真いい?」
『いいです』
「葉っぱさわっていい?」
『今日は見るだけ』
「濃い顔って言っていい?」
『感想なら』
「本物、濃い!」
『仕様です』
そして写真。
俺は、子どもごとに筆談板の文字を変えた。
『聞いてくれてありがとう』
『待ってくれてありがとう』
『抜かないでくれてありがとう』
『今日は見るだけでありがとう』
『濃いは感想です』
最後だけ、なぜか一番人気だった。
子どもたちは笑う。
怖がらない。
でも、急に触らない。
マンドラきゅんも、台本を守っている。
「本物には、ちゃんと聞いてね!」
偉い。
昨日よりかなり偉い。
ゆるキャラは、強い。
だが、正しく強ければ味方になる。
俺は、それを少しずつ理解し始めていた。
◇
午後になると、しいたけ部長がやってきた。
笠を渋く傾けている。
「我にも、しいたけきゅんを作れば子ども人気が出るだろうか」
そう言っている顔だった。
俺は筆談板に書いた。
『もわもわ部長の方がよさそうです』
しいたけ部長は沈んだ。
だが、近くにいた子どもが言った。
「もわもわ部長、ちょっと見たい」
しいたけ部長の笠が、ぴくりと動いた。
需要があった。
市場のゆるキャラ化が広がる予感がした。
ゴーヤは「にがにがゴーやん」を検討し始めた。
ピーマンは「ぴーまる」。
高麗人参は、静かに拒否した。
「私は本物のみで十分です」
そう言っている顔だった。
ハイソ。
ゆるキャラに屈しない高級根菜。
少しだけかっこいい。
◇
夕方。
泣いていた子が、もう一度やってきた。
手には、さっき撮った写真。
マンドラきゅんに抱きつく自分。
隣に立つ俺。
筆談板の文字。
聞いてくれてありがとう
その子は、少し照れたように言った。
「本物、ぎゅーできないけど、となりにいてくれた」
俺は筆談板に書いた。
『はい』
「また写真とる?」
『いいです』
「今度は泣かない」
『えらい』
子どもは、誇らしげに笑った。
反則ではない。
これはもう、反則を超えていた。
泣く子には勝てない。
でも、泣き止んだ子と約束できるなら、それは勝ち負けではない。
たぶん。
ウリ坊が、横から覗き込んできた。
「一番根、今日、マンドラきゅんに勝った?」
俺は少し考えた。
そして書いた。
『勝ってません』
「負けた?」
『負けてもいません』
「じゃあ?」
俺は、マンドラきゅんを見た。
丸くて、かわいくて、顔が薄くて、子どもに抱きつかれて少しよれよれになっている広報用着ぐるみ。
俺とは違う。
でも、俺の代わりに抱きしめられる。
俺のところまで子どもを連れてきてくれる。
そして、俺が言えない声で、約束を伝えてくれる。
俺は筆談板に書いた。
『一緒に仕事しました』
ウリ坊は、ぱあっと笑った。
「じゃあ、なかま!」
なかま。
ゆるキャラと本物。
偽物と本体。
入口と約束。
そういう仲間も、あるのかもしれない。
◇
その日の記録には、こう書かれた。
マンドラきゅん撮影会、成功。
本物マンドラゴラへの理解、向上。
泣いた子、一。
約束を守って泣き止んだ子、一。
マンドラゴラ本人の嫉妬、確認。
ただし、最終的に役割分担を理解。
最後。
書かなくていい。
俺は筆談板を掲げた。
『嫉妬ではなく、課題意識です』
ホネ丸が帳面を見て、からんと音を立てた。
「課題意識、やや嫉妬寄り」
やめろ。
記録するな。
ブロッコリーは健康そうに笑っている。
高麗人参はハイソに頷いている。
マンドラきゅんは、子どもに手を振っている。
ウリ坊は俺の花冠を直してくれた。
「一番根、本物だから濃いんだよ」
昨日と同じ言葉。
でも、今日は少し違って聞こえた。
濃いから本物なのではない。
怖いこともあるから本物。
嫌と言えるから本物。
抱っこできない理由を伝えられるから本物。
それでも、隣に立てるから本物。
なら、この濃い顔も、まあ、少しは仕事をしているのかもしれない。
その夜。
W.H.O.ポスターの横に、新しい札が増えた。
ぎゅーはマンドラきゅん。
約束は本物の一番根。
どちらも、マンドラゴラを知る入口です。
まとも。
かなりまとも。
俺は頷いた。
その下に、小さくウリ坊の字で追記があった。
本物は、濃いけどやさしい。
俺は筆談板を持ち上げた。
抗議しようと思った。
でも、やめた。
今日はそれでいい。
泣く子とゆるキャラには勝てない。
だが、泣く子とゆるキャラがいるから、本物の俺まで届く道もある。
濃い顔の若きマンドラゴラは、その日、少しだけ大人になった。
たぶん。
いや、仕様です。




