第2話 とりあえずビーツのかわりにボルシチへどぼんしてみる食材としての適性テスト
指定野菜への道は、まず選別所に並ぶところから始まる。
そう信じていた時期が、俺にもあった。
「次は食味検査だ」
オーク農家が言った。
食味。
つまり、味である。
マンドラゴラとして目覚めてから、俺は初めて本当の恐怖を知った。
抜かれるのは怖い。
叫ぶのも怖い。
高麗人参に鼻で笑われるのも腹立たしい。
だが、食味検査。
これは駄目だ。
なにせ俺は、俺自身の味を知らない。
自分が美味いか不味いかを知らない野菜ほど、己の存在に不安を覚えるものはない。
「安心しなさい。一番根をいきなり刻んだりはしないわよ」
野蒜ちゃんが、俺の葉っぱをつまんで言った。
やめろ。そこは髪みたいなものだ。たぶん。
「今日は間引き根で試すの。ほら、あそこ」
畑の端に、俺よりだいぶ小さいマンドラゴラたちが並んでいた。
間引き根。
響きがすでに哀しい。
けれど彼らは妙に堂々としていた。Sサイズの札の前で腕を組み、なかには「加工用上等」とでも言いたげに胸を張っているやつまでいる。
根菜の覚悟、重い。
「指定野菜を目指すなら、食卓に乗る未来から逃げてはいけませんわ」
エシャロットちゃんが白いエプロンを広げながら、きっぱりと言った。
なぜエプロンがそんなに似合う。
「本日の試作は、ボルシチです」
ぼるしち。
俺はその言葉を、土の奥深くまで沈めるように反芻した。
ボルシチ。
赤いスープ。
ビーツが入ってるやつ。
つまり。
「ビーツの代わりにマンドラゴラを使いますの」
やっぱりか。
俺は思わず高麗人参の区画を見た。
木箱の中の高麗人参が、露骨に目を逸らした。
あいつ、逃げたな。
「待て。ビーツの代役なら、色が必要なんじゃないのか」
声を出すわけにはいかないので、俺は必死に身振りで訴えた。
野蒜ちゃんが俺の根っこ手の動きを見て、眉を寄せる。
「何? 色?」
こくこく頷く。
「マンドラゴラ、赤くないじゃんって?」
こくこくこく。
野蒜ちゃんは鼻で笑った。
「そこは品種改良でしょ」
雑。
指定野菜への道、雑。
「今回は試作ですわ。色はトマトと紫キャベツに補っていただきます。主役はあくまで、マンドラゴラ特有の滋味と薬効です」
滋味。
薬効。
美味しいと言わないあたりに、不穏なものがある。
調理場は選別所の隣にあった。
オーク農家が薪を割り、ウリ坊が鍋を運び、野蒜ちゃんが香味野菜を刻み、エシャロットちゃんが妙に優雅な手つきでハーブを並べる。
そして、間引きマンドラゴラ一号がまな板に乗った。
全員が耳当てをつけた。
俺もつけたかった。
「いくぞ」
オーク農家が包丁を構えた。
間引きマンドラゴラ一号は、静かに親指を立てた。
かっこいい。
いや、根っこ指だけど。
包丁が入る。
「――――!」
声にならない悲鳴が、調理場を震わせた。
耳当てをしていたはずのウリ坊が、ぽてんと尻もちをつく。
野蒜ちゃんの葉が逆立つ。
エシャロットちゃんのリボンが斜めになる。
オーク農家の鼻から、つうっと血が垂れた。
「……今年のは、活きがいいな」
活きがいいで済ませていい現象じゃない。
しかし、刻まれたマンドラゴラは、すでにに鍋へ入れられたあとだった。
湯気が立つ。
土臭さ。
薬草っぽい苦み。
ごぼうに似た根菜の香り。
そこにトマトの酸味と、赤キャベツの甘い匂いが重なる。
悪くない。
悪くない、気がする。
煮込まれているのが同族でさえなければ。
「一番根、顔色悪いぞ」
ウリ坊が心配そうに俺を覗き込んだ。
顔色も何も、俺は土色だ。
けれど、たぶん悪かった。
鍋の中で、ボルシチはだんだん赤くなっていく。
真っ赤ではない。ビーツの鮮やかな赤とは違う。もっと鈍くて、土を含んだ夕焼けみたいな色だ。
エシャロットちゃんが小皿に取り、香りを確かめた。
「……見た目は素朴ですわね」
それは褒めていない。
野蒜ちゃんが匙で一口すくう。
「味は?」
ごくり。
全員が見守る。
野蒜ちゃんは黙った。
長い沈黙だった。
やがて彼女は、もう一口すすった。
「……まずくはない」
それは、だいたいまずい時の言い方ではないのか。
「いや、違う。まずくはないのよ。本当に」
野蒜ちゃんは眉間に皺を寄せながら、さらに一口食べた。
「最初は土。次に薬。最後に甘い。で、なぜかもう一口いける」
エシャロットちゃんも口に運ぶ。
上品に目を閉じ、ゆっくり味わう。
「滋養がありますわ」
また美味しいと言わない。
「ですが、悪くありません。むしろ、寒い日にはよろしいかも。体が内側から温まる感じがします」
オーク農家も大きな椀で飲んだ。
「おお。これは働ける味だ」
働ける味。
評価軸が農家すぎる。
ウリ坊がふうふう冷ましながら、一口飲む。
その目が丸くなった。
「おいしい!」
調理場の空気が変わった。
ウリ坊はもう一口飲み、ぱあっと笑った。
「ちょっとくさいけど、おいしい! おれ、これ好き!」
ちょっとくさい。
だが、好き。
子どもに泣かれる可能性を危惧していた俺にとって、その言葉は救いだった。
指定野菜への道に、初めて光が差した。
その時である。
特別栽培区画から、かすかな咳払いが聞こえた。
高麗人参だった。
あいつは木箱の中からこちらを見て、いかにも余裕ぶった顔で言った。
「薬膳なら、我々の領分だが?」
声は聞こえない。
でも、絶対そう言っている顔だった。
野蒜ちゃんが、にやりと笑う。
「悔しそう」
エシャロットちゃんも、上品に匙を置いた。
「ブランド野菜様は、ボルシチに入れていただけませんものね」
高麗人参の根が、ぴくりと震えた。
効いている。
俺は無言で拳を握った。
マンドラゴラ・ボルシチ。
改善点は多い。
色が地味。
香りが薬。
下処理に命の危険。
商品名もたぶん見直しが必要。
だが、ウリ坊は笑った。
農家は働ける味だと言った。
野蒜ちゃんは二杯目をよそっている。
エシャロットちゃんも、黙ってハーブの配合をメモしている。
これは、いける。
指定野菜への第一歩。
まずは、ビーツの代わりにボルシチ。
俺はまだ食べられない。
というか、同族なので食べたくない。
けれど、鍋から立ち上る湯気の向こうで、高麗人参が悔しそうにこちらを見ている。
それだけで、今日の試作は成功と言ってよかった。




