第1話 走るニンジン、畑を出る
目が覚めたらマンドラゴラだった。
そう、いわゆる歩くニンジン的なアレである。
もちろん走り回る。マンドラゴラだからな。
とはいえ、目覚めて最初にやったことが全力疾走だったかというと、そうでもない。俺はまず、自分の頭から生えている葉っぱを見上げようとして首を痛めた。
首、あったんだ。
いや、正確には首っぽいくびれだ。根っこから肩っぽいものが生え、腕っぽい細根が二本、脚っぽい太根が二本。全身はうっすら土にまみれていて、腹のあたりには妙な縦皺がある。
鏡なんて気の利いたものはなかったが、隣の畝に溜まった朝露を覗き込んだ瞬間、俺はだいたいの事情を理解した。
これは野菜だ。
しかも、かなり人相の悪い野菜だ。
「……うそだろ」
呟いた。
その瞬間、畑の上を横切っていた鳥が一羽、びくんと羽を突っ張らせて落ちた。
ぱさり。
音を立てて、目の前の畝に突っ込む。
俺は固まった。
鳥も固まっていた。たぶん、もっと深刻な意味で。
「…………」
喋るの、やめよう。
マンドラゴラの基本性能を、俺はたった一言で理解した。悲鳴どころか、普通の小声でも生き物によろしくない。
これ、社会生活むりじゃね?
そう思ったところで、畑の向こうから、ずしん、ずしん、と地面を揺らす足音が近づいてきた。
現れたのは、オークだった。
緑がかった肌。丸太みたいな腕。豚鼻。申し訳程度に生えた牙。肩には鍬。腰には手ぬぐい。どう見ても魔王軍の前衛職なのに、着ているものは農作業用のつなぎだった。
「おお。起きたか、今年の一番根」
オーク農家は、俺を見下ろしてにんまり笑った。
俺は声を出さずに、こくこく頷いた。
「えらいぞ。抜かれる前に起きるマンドラゴラは見込みがある」
抜かれる前に。
いま聞き捨てならない単語が出た。
俺は後ずさった。根っこの足で。しゃこ、しゃこ、と土を削る音が妙に情けない。
「逃げるな逃げるな。収穫するんじゃねえ。選別だ。時期が来たマンドラゴラは自分で選別所まで歩く。うちは安全栽培だからな」
なんだその地獄みたいな安全基準。
だが、たしかに畑の向こうには小さな小屋があり、その前には札が並んでいた。
Sサイズ。
Mサイズ。
Lサイズ。
規格外。
加工用。
⋯⋯悲鳴注意。
最後だけ物騒すぎる。
「おとー! 一番根、起きた?」
今度は小さな声がした。
オーク農家の足元から、ころころした何かが飛び出してくる。ウリ坊だった。いや、正確にはオークの子どもなのだろう。丸っこい体。短い牙。つなぎの胸元に「みならい」と刺繍が入っている。
かわいい。
悔しいが、かなりかわいい。
「おれ、マンドラゴラ係! 抜かない! じぶんでならぶまで、まつ!」
ウリ坊は誇らしげに胸を張った。
俺は思わず拍手しそうになった。根っこの手で。
そのとき、畑の端から鋭い声が飛んできた。
「ちょっと。いつまで土の上でぼさっとしてんのよ。あんた、今年の指定野菜候補なんでしょ」
振り向くと、細い葉っぱを揺らした女の子が立っていた。
野蒜ちゃんだった。
なぜ名前が分かったのかは知らない。だが、見た瞬間に分かった。土手と春と、勝手に生える生命力を全部まとめて女の子にしたら、たぶんああなる。足元は泥だらけ。目つきは強い。口はもっと強そう。
「まず立ち方がなってない。根菜なら重心を低く。葉っぱを揺らしすぎると、鳥に狙われるわよ」
いや、鳥はさっき俺が落とした。
言えないけど。
「野蒜さん、言い方が少々野趣に過ぎますわ」
反対側から、ふわりと洒落た香りがした。
白くすんなりした首元。薄紫のリボン。いかにも高級スーパーの棚に並びそうな顔をした少女が、片手を頬に添えて立っている。
エシャロットちゃんだった。
「指定野菜を目指すのでしたら、まず必要なのは清潔感。安全性。食卓への提案力。そして、消費者に寄り添う物語性ですわ」
食卓への提案力。
起きて五分のマンドラゴラに要求する概念じゃない。
野蒜ちゃんが鼻を鳴らした。
「物語性で腹が膨れるかっての。大事なのは収量と根張りよ」
「まあ。だからあなたはいつまで経っても野草扱いなのですわ」
「あ?」
「なんですの?」
ネギ科同士の空気が悪い。
俺はそっと後ずさった。
その背中に、ウリ坊が小さな手を添える。
「だいじょうぶ。一番根は、きっと指定野菜になれる」
なんて純粋な目をするんだ。
俺は胸を打たれた。根菜だけど。
そうだ。
いつまでも野山を駆けるだけの野良根菜でいるつもりはない。
俺には夢がある。
指定野菜。
国に認められ、農家に守られ、価格安定制度に包まれ、スーパーの棚に堂々と並ぶ存在。
カリフラワーにできたんだ。俺にできない道理はない。
問題は、抜かれる瞬間に農家さんを殺しかねないこと。
味がたぶん薬草寄りなこと。
見た目が人型で食卓に出すと子どもが泣きそうなこと。
あと、ライバルが高麗人参なこと。
畑の向こう、特別栽培区画。
金色の札が立つ一角で、細長く立派な根をした何者かが、木箱の中からこちらを見ていた。
高麗人参である。
目が合った。
鼻で笑われた気がした。
根菜界の意識高い枠め。
俺は声を出さずに、拳を握った。
見てろよ、高麗人参。
いつか俺は、お前みたいに高級品ぶらず、もっと庶民に寄り添う根菜になってみせる。
煮物に。スープに。薬膳カレーに。マンドラゴラチップスに。
叫ばない品種を使用しています、という安心表示つきで、全国の食卓へ。
「一番根、なんか燃えてる?」
ウリ坊が首を傾げた。
俺は無言で頷いた。
野蒜ちゃんが腕を組む。
「じゃ、まず選別所まで歩きなさい。指定野菜候補が畑で寝坊してたら話になんないでしょ」
エシャロットちゃんも微笑む。
「姿勢を正して。葉先まで美しく。根菜にも品格は必要ですわ」
オーク農家が大きく笑った。
「よし。自走式収穫、開始だ」
俺は一歩を踏み出した。
しゃこ。
土が鳴る。
もう一歩。
しゃこ。
背後で、高麗人参が悔しそうにこちらを見ている。
気がした。
俺は叫ばない。
まだ叫ばない。
指定野菜への道は、まず農家さんを殺さず選別所に並ぶところから始まるのだ。




