14 全力のルイーズ
王宮で次官とローランドが向かい合っていた。
「で、なぜ間諜を辞めたいんだい?」
「結婚したい人がいるからです」
「すればいいじゃないか」
「間諜のまま結婚すれば、自分の妻や子に一生嘘をつき続けることになります」
「嘘をつきたくないのか……。お前らしいな。だがローランド。間諜を辞めると君と嫁さんは七年間はイーダスに戻れなくなるが」
「えっ」
ローランドはルイーズが楽しそうに商売をしていた姿を思い出した。
「お前はイーダスの情報を十年近く集めてこちらに送り続けてきたんだ。港のことも街のことも人のことも知っている。そんな人間をそのまま同じ場所に置いてはおけない。他国の者に利用される可能性がある」
「そんなことはっ!」
「ああ、お前はしないだろう。だが、規則だ。お前だけを特別に扱うわけにはいかない。それはわかるな?」
「……はい」
「だが、お前が間諜を続ければそのまま嫁さんとイーダスで暮らせるぞ」
ローランドは王宮を出た足でイーダスに向かう馬車に乗った。いつもの酒場に寄る気にもなれなかった。
(どうするべきか)
間諜を辞めてからルイーズに結婚の申し込みをしようとしていたのに。厄介なことになってしまった。そんな規則は間諜になる時には聞かされていなかった。
(ルイーズの商売を全て手放させることになるのか)
♦︎
ローランドの両親は王都の庶民が住む地区に家を借りて住んでいた。そこから高等学院に通う教師で、父は歴史、母は文法が専門だと聞いていた。
平民たちが暮らす地区で知識層とも言える両親の職業は珍しかった。ローランドは両親を誇りにしていたし、近所の人たちにも尊敬されていた。
その両親が下町の細い路地で強盗に襲われ、ナイフで刺され金品を奪われて死んだのは彼が十歳の時だった。
ローランドは一人っ子だったので、隣の家のご主人が同情して葬式を含めた全ての手続きをこなしてくれた。その結果、ローランドの両親は高等学院の教師ではないことがわかった。
それはすぐに警備隊に連絡され、ローランドは長い時間聞き取りをされた。そこで少年は両親の職業も名前も事実ではないことを知らされた。
そんな事情だったので頼るべき親戚も無く、ローランドはその日から十五歳の誕生日の前日まで孤児院で暮らすことになった。
(父さん、母さん、あなたたちは何者だったの?)
自分の親が語っていたのは全て嘘だったと知り、十歳のローランドは心に大きな傷を抱えた。
父と母の本当の名前はなんというのか、どうやってお金を稼いでいたのか。
やがて(じゃあ、俺はそもそも本当にあの人たちの子供なのか)という疑問さえ浮かんだ。
王都に越して来た時にはもうローランドは生まれていたと両親は言っていて、近所の人は誰も母が自分を産んだ時期を見ていない。
警備隊は推測でローランドの両親は元犯罪者で身元を隠していたのだろうと判断し、犯罪者同士の揉め事で殺されたと結論づけて捜査を終わりにした。
孤児院で過ごす間、眠れない夜には優しかった両親を思い出した。いつも本を読んだり書き物をしていた温厚な父。おしゃべりと読書が好きで料理は下手だった母。
両親を思い出すたびに彼らへの懐かしさと自分を嘘の世界で育てていたことへの憎しみで心が揺れた。
孤児院の卒院が近づくにつれ、ローランドは「嘘をつかずに生きていける仕事」に就こうと思った。
幸い身体は大きく丈夫だったので(軍隊なら嘘をつかずに己の身体ひとつで生きていける)と思って入隊した。
なのに結局自分も正体を偽った暮らしをしている。ルイーズへの思いが育つまではまだ良かった。だが、もう無理だった。
(このままじゃ両親と同じだ)
その思いはゆっくりと休みなくローランドの心に重くのしかかる。何よりも嘘の生活にルイーズを巻き込みたくなかった。
♦︎
ローランドとルイーズが二人で海辺を歩いていた。(ここなら誰にも話を聞かれる心配がない)とローランドは辺りを見回す。
ルイーズの髪に付けられた髪飾りを見つめると、ルイーズが恥ずかしそうに微笑んだ。
「髪飾りをありがとうございました。一生大切にします」
「そんなにたいそうな物じゃないよ。また何かいいのがあったら贈ろう」
「ありがとうございます」
ルイーズはもはや涙が出そうだ。こんな嬉しいことがあるだろうか。箱を開けて髪飾りを見た時はヘナヘナと座り込んでしまった。それからは毎日ずっと嬉しくてフワフワしていた。
(もしかして私のこと。いえ、ただのお礼かもしれない。期待しすぎるのはやめよう)
これを何回繰り返したことか。
やがてローランドが何度か深呼吸してから口を開く。
「ルイーズ。この数年間、俺は君のことをずっと好ましいと思っていたんだ。俺と一緒になってくれないだろうか」
ルイーズは飛び上がらんばかりに嬉しかったが、ローランドの顔を見て喜ぶのを控えた。ローランドの顔が苦しそうなのだ。
「嬉しいです。私もローランドさんのことがずっと好きでした」
「え?」
「やっぱり気づいてなかったんですね。私、十歳で初めてローランドさんにお会いした時から、ずっとあなたに片想いしてました」
ルイーズの指先は緊張で震えている。それを悟られたくなくて、彼女は笑顔のままぎゅっと両手を握りしめた。
「そうか。それは……とても嬉しいよ」
「あの、ローランドさん、どうしてそんな苦しそうなお顔を?」
しばらくしてローランドが覚悟を決めて口を開いた。
「実は僕はとある規則に縛られている。その規則が何なのかを話すことは許されていない。君と結婚して君を面倒なことに巻き込みたくなければ、イーダスを出て七年間はどこか他の場所で暮らさなければならないんだ」
ルイーズの足が止まる。ローランドも足を止めた。
「君がどんなに移動販売の仕事を大切にしているか知っている。結婚を申し込む俺がそれを手放せというのは自分勝手すぎるとは思っている。だけど俺は」
「一緒に行きます。一緒に行かせてください。移動販売の仕事はどこででもできます。今のお客さんたちのところへは他の人が行くことになりますけど、商品さえしっかり揃えておけば引き継げばいいのです」
ルイーズは必死だった。ローランドの言葉を遮って懇願した。
「そんな簡単なことでは」
「簡単なことです。ラカン商会は、実はかなり人手を抱えているんです。私一人が抜けたところで問題ありません。惣菜だって今はネールさんがいます。私の穴埋めはいくらだってできます。でも、私にとってローランドさんの代わりは誰にもできません。お願いします。私をローランドさんと一緒に連れて行ってください」
(今全力を出さないでいつ出すの。がんばるのよ私)
自分を叱咤しながら言い切った。
この機を逃したら二度と自分の片想いは成就しないとルイーズは思った。ローランドをここで自分が繋ぎ止めなければ、彼はどこかへ一人で行ってしまう気がしてならない。
ルイーズの言葉を聞いたローランドは目を閉じて「はぁっ」と深く息を吐いた。
「そうか。それを聞いてほっとしたよ。君を諦めなければならないかと、昨夜は眠れなかったんだ」
「私の家族はイーダスに住んでいてもいいのでしょうか」
「それはもちろんだ」
「なら、なおさら問題はありません。どうぞ私を一緒に連れて行ってください」
ルイーズに全く迷いはなかった。
ローランドが大きな身体でそっとルイーズを包み込んだ。
「一緒に行こう。いや、俺と一緒に行ってくれ、ルイーズ」
ここまで極めてのんびりした展開でした。それでも続けて読んでくださった方々に心から感謝しております。本当にありがとうございます。
次回からはローランドとルイーズの旅の話になります。




