2 笑える出会い
そよいが今向かっている場所は自身の家ではない。とても静かな住宅街にて建っているらしい一軒家。先ほど受けた高校を合格すれば、三年間居候させてもらうお家である。
それは遠い親戚のお家であれば、通うことになるかもしれない学校からバスを利用し、二十分程の距離となるらしい。
本来なら、すぐに家へ帰るよう中学の担任に言われていたけれど、反抗期とも取れる彼女の行動からは従うことはない。すでに向かっている家へと連絡が済んでいれば、荷物も送っている。今更引き返すことはできなかった。
遅れて学校を後にしたのは功を奏したかもしれない。人目に付きたくなければ、ほとんどの受験生は彼女の向かう先とは真逆にある最寄り駅へと向かっているのだから。
少し歩いていたそよいは俯き気味な顔を上げると、最初の目的地であるバス停を発見する。
周囲には誰もいない。雪に覆われたベンチと薄暗い街灯、そして、しらゆり型のバス停看板が目に映る。交通状況は受験終わりの際に教室にて聞いている。オープンスクールの際に道の確認と下見もしていた。
それでも合っているのか、少し不安そうに周囲へと視線を向けていたのだが、その心配は必要ないようであった。
(あれかな……)
少しの間待っていると、赤信号に捕まっているバスが遠くに見える。
そのまま目の前に到着すれば、バスの電光掲示板を見て間違いないと知り、頭や制服に乗った雪を軽く払ってから乗車。カードを通せば、一番奥の窓際の席に座ってとバスはゆっくりと出発した。
ホッと息を吐き、静寂のバス内を見渡してみる。
乗客の数はまばらであり、ご年配の方や小さなお子さん連れの主婦さん。十五時台といったことも相まってか、バスを利用する人は偏りを見せている。
その中でも、そよいはひとりの人物に目が留まる。
後ろ姿からわかるのは、黒縁の眼鏡に学ランを着用していては、男性といった体格に見えるのだが、痩せ形とも受け取れる人物。同じ中学生であり、受験生なのかといった疑問も含め彼に目が留まったのだが、防寒とも取れる服装は端から見ればしておらず、手に息を吹きかけるような仕草を見せていた。
そよいは問題ない。マフラーに手袋、上はダッフルコートを着用。スカートの下にジャージを履いていないものの、インナーは上下ともにヒートテックを着ていては、雪も降り気温が低い寒さの中でも防寒対策はバッチリである。
足りない点は耳元ぐらいだろうか。それでもマフラーに蹲り耳元に手袋を当てると多少は温かければ、今はバス内の暖房が効いていてと寒さを凌げていた。
(寒そう……)
なんて思っていると、ほかにも乗客がいることから彼から視線を外し、外の風景を見つめながら到着を待つことにした。
しばらくすると乗客も減っていき、窓外の風景も変わっていく。
もうそろそろかな、と小さなため息を零したそよいは、ふと静かなバス内が気になっては視線を移しかえる。
今乗車しているのは、自身と……あの男の子だけ。
まばらにいた乗客は彼を除いて全員が降りてしまえば、それに伴わず乗車されるお客様は存在しない。静かな街並みが広がる車窓をそよいはぼんやりと眺めていた。
ふと気になって見た男の子が、今も同じく乗車している。その姿を目にすると、なんとも言えない気持ちが胸の中に広がれば、気にしてしまうのも無理はなかった。
ついさっきまでの自身と同じで、彼も外の風景を見つめていては、背もたれにぐったりと身体を預けてと体勢までもがいっしょ。始めから乗車していた。となると、あの高校の最寄り駅にあるバスターミナルから乗ってきたのかもしれない。慣れていない土地故に迷うことも考えたけれど、人混みが苦手なそよいは近くにあるバス停を選んだ。だけど向かう先が同じ、もしくは近くとなると、今後このバス内で顔を合わせることも。
……変に意識していると、視線を落とし肩も落とした。
まだ合格したとは限らない。これまでの努力があっても消えないその不安は、誰しも受験を終えると抱く気持ちなのかもしれない。そよいも同じく、受験から解放された余韻に浸ることはできず、静かなバス内で揺られていた。
同じような気持ちなのか、そう彼へと一瞥すると、気づかないうちにバスは停車していたようで、目的地である名称がアナウンスで流れ始めていた。耳にしたそよいは次で降りるため、内心焦りながら左手側にある降車ボタンへと手をかけ、その勢いのままにボタンを押して見せる。
すると、バス内にお馴染みであるアナウンスが流れては安堵する。自然と前方へと視線を向けることになれば……彼へと視線が惹かれていた。
それだけなら、どうということもないだろう。目を逸らせば終わる話、それ以上のことはないのだから。……そう、それ以上のことはないはずなのに目を離せないでいる。他人ということもあって確実に逸らしていただろうその視線は、釘付けとなってしまう。
泣いている。
どうしてかわかるはずもない。乗客がふたりだけになってからというもの、鼻を啜る音を時折耳にはしていた。それでも、彼の服装から寒かったのかなと思うだけであった。
だけど、その思いと今目に映る姿は違った。寒そうに震えていない。遠くを見つめている横顔からは、流れる大粒の涙が静かに頬伝い、零れ落ちていく。
彼の表情に口を噤めば、呆然とするかのように固まってしまう。
自分を見ているようだった。胸が締め付けられるこの感覚。目頭が熱くなり、息が詰まったかのような状態。頭が真っ白になって、震えてしまう体。自分のことのように思えて仕方のないあの姿は、ゆっくりと視界から映らなくなると、彼は眼鏡を取ってはハンカチで涙を拭い、今度は目元へと強く押すように当てていた。
その姿までも目で追っていると途中我に返り、俯いた。少し気になってしまい、顔を上げると、彼と目が合ってしまっては慌てて逸らすことになっていた。
次で到着だというのに、長いこと居座っているように感じた。距離こそはあまりなかったように思えるも、人の泣いている姿を見入ってしまった。気まずい、心苦しいと、罪悪感に駆られてしまい、到着までの間、外の景色だけを見続ける。
目の前の景色が頭に入ってくることはなかった。
目的地へとバスが停車すると、取っていたマフラーは抱え、もう外で着ければと後回しにして降りようとする。
視界には入った。それでも、すれ違いざまに視線は向けないようにした。
もし目が合ってしまえば相手も辛いだろう。そのあと無視する形になってしまえば余計に傷つける。配慮を考えてのその視線も心も緊張していたが、通り過ぎれば問題ない。変わらず降車口へと前に進み、カードをタッチしては降りるだけ。
「ッ!!」
そのはずだったが──ゴンッ! と手すりにぶつかったような鈍い音が、後ろから聞こえてしまえば足を止めてしまう。何があったのかと後ろを振り返ってみると……案の定、彼が蹲っていた。
とても痛そうなのはぶつかった音からでもよくわかる。それも顔から行ってしまったらしく、彼は身体を震わせながらぶつかった箇所を手で強く抑えていた。
異性のため迷ってしまうはずだった。声を掛けるかどうか。
別に同じ中学校の人ではない、勘違いかはわからないが、とばっちりのようなものは受けることもないはず。それでも、声を掛けるのはやめておこう。心苦しいが、触れないことが一番安全だと、今までの人生で学んだはずだから。
「……大丈夫ですか?」
……学んだはずなのに、自然と赴いた足は嘘を吐けないでいた。
彼の顔を間近で見ると、同じ中学生かと少しだけ疑った。鼻筋は同じく通っていて、男性にしては綺麗な肌。ずれ落ち、取られた眼鏡からは切れ長の目つき。整った顔立ちであれば、少し大人びた雰囲気を感じ取ることになる。
「これ、落としましたよ……」
話しかけてしまった。そんな思いとは裏腹に、彼は顔を抑えながらも、話が嚙み合わないようなことを口にしては差し出してくる。
それは片方の黒い手袋。見覚えどころか自身のであった。
降りることばかりで頭が一杯になっていた。そんなそよいは、包まったマフラーを広げると、その中からもう片方の黒の手袋が出てくる。手袋を包んでいたことを忘れていたのであった。
「ごめん、ありがとう……」
落としてしまったのだと気が付くと同時、自分のせいで顔をぶつけるような事が起きたのだと思うと謝りつつ礼を言った。
しっかりと伝わっただろうか。自身の声音に思いが乗っているのか、そよいは少し不安になる。感情を籠めて口にしようが、あしらわれることが多かったから。
(そんなこと、気にしなくても)
あったから。ではなく、どうせ伝わらない。
目線を下に落とし、映る視界は黒の鉛筆で塗りつぶしていく。もっと前向きな気持ちであれたなら、そう頭の中が落書き状態になってしまう。それでも、彼は視線こそこちらに向けなかったが、立っては頷いてと反応を示してくれていた。
もう大丈夫だろう。暗い感情を抱え、彼に軽く頭を下げたそよいは、運転手さんにも軽く会釈し足早にバスを降りる。
……緊張した。ただその感情もここまで。外に出ると再び冷気とご対面しては、寒いと脳内が上書きされる。この地域も雪は止んでいるようだけど、凍えそうな空気に身体が縮こまり、すぐにマフラーと拾ってくれた手袋で完全防御に入っては、首元に蹲る。
これで問題ない。そう思いたかったのだが、
(寒い……)
それでも寒かった。
「大丈夫?」
「はい、ありがとうございました」
あまりの寒さに固まっていると、低い声音ながらも柔らかいお礼の言葉を耳にする。
てっきり、バスはここから去っているものだと思い込んでいた。だから驚いてしまう。隣から足音を耳にしては視線を移す。
「「……」」
頬を赤く染めた彼が、目に映っていた。
降りる場所が同じだったらしい。彼は立ち止まっていては、そよいも同じ状態。バスがこの場から去ろうとも、互いに沈黙したまま動けないでいる。
降りて右か左か。地図が記載された紙を持っていたので、それくらいはバスの中で確認していた。あとは道に沿いながら歩けば一度だけ曲がってと、近くにある大きな公園が目印だとも頭の中には入れている。だからといって、そう簡単に一歩踏み出すことができるわけではない。寒さで固まってしまったかのように足は動かなかった。
どうしてかなんて、自分でもわからなかった。
「失礼します……」
静寂の中、口を開いたのは彼だった。遠慮気味に掛けられた声には内心驚きながらも自然と頷き、足音が遠ざかるのを待っておく。同じく動き出すのは気まずいため、躊躇った。
「うおっ!?」
ただ、彼は不幸に陥っているのだろうか。雪を踏みしめる足音はすぐに止んでしまえば、ツルン、というかのように彼は足を滑らせてしまっては、ズテン! と積もった雪の上へと、盛大に尻もちを付いたのであった。
肩を跳ねさせたそよいは、今度は声を掛けるのではなく、盗み見るように彼へと視線を向けてみる。
顔が赤いのは、寒さだけでないことが理解できよう。それはあっという間に、覆い隠せないくらい真っ赤に染まってしまえば、恥ずかしそうにこちらから顔を逸らしていた。
コミュ力の高い女子なら、ここをフォローしては笑って切り抜けることもできるだろう。今のそよいには厳しい行動。それでも、自身の胸の内には特に気まずいといった感情が浮かんでくるわけでもなければ、心配よりも先に別の感情が浮き出てくる。
面白い、と。
彼には悪いが、久しぶりに芽生えたこの感情はクスクスと笑えるようなもの。過去の暖かい感情が蘇るようなものであった。
ただ、表には出ていないのだと鏡で確認せずともわかっている。少し暖かくなった感情が冷めていくのを感じ取る。連動するはずの心と表情、そして声音。それを繋ぐ糸が、細く、柔く、余分の長さが存在していない。刃物が少し触れただけで切れてしまう。ほつれた糸は強引に結ぶことが難しい。だからこそ、今も変わりない暗い表情のまま。笑い方を見失っている今、複雑な心境に陥りそうになる。
それでも、今のように少しずつでも心から思えていけば。
誰にも話したくはない。それでも……と、淡い期待を抱いていると、彼がゆっくりと立ち上がりこちらに身体だけを向ける。視線を交わすことになると、躊躇う様子もなく一言。
「気をつけて帰ってください」
この言葉を皮切りに、彼は再び歩き出してはこの場から去っていく。
最後はこちらに顔を向け、苦笑する姿を見せていた。それは手を差し伸べてと、自分がすべき姿ではと思ったことは、心の中にしまっておく。
気まずさの表れだろう。そう思うことにすると、彼の歩く姿を見たそよいは再び広げた紙へと視線を移すと、残り少しの目的地へと向かうのであった。




