8-13.謀略
(あっちが台所かな? 野菜はあったから、あとは干し肉か何かがあれば……)
泣き疲れてそのまま寝てしまった少女たちをアレックスに任せ、フィルは食事を用意しようと、村のまた別の家で食材を漁っていた。
「……」
ふと棚の上の方に、飴の入ったガラス瓶を見つけた。この家にも幼い子がいたのだろうか。そして、その子が勝手に食べてしまわないよう、隠すように上に置いた……。
(……すみません。いただきます)
悲しみに顔を曇らせつつ、フィルはその瓶を開けて中の飴を取り出し、懐に入れる。
比較的裕福だったと思しき、大きめのこの家の壁もやはりそこかしこが破壊されていた。差し込む光が明るく室内を照らしている。
強みを増したその光に、日が高く昇っていることを改めて認識する。
「……」
なんだか見ていられなくなって、フィルは視線を伏せた。
村人たちの時は止まってしまったというのに、自然の営みは変わらない。当たり前の事だけれど、その対比こそに悲しくなる。
(グリフィスの血だ)
必要な食材を得て家から出ようとした時、左手の部屋の奥に、緑色の液体が大量に広がっていることに気付いた。
「……」
フィルは目を眇め、その部屋に入る。
刃の零れた斧が緑の血だまりに浸かっている。魔物にかなりの傷を負わせたのだろう。
おかしいのは、その周囲に相当量の赤い血が混ざっていることだ。
「怪我をさせられてなお逃げずに攻撃し返した……?」
少女たちに気を取られて鳴りを潜めていた違和感が再び蘇った。
昨日の二体もそうだった。ひどい傷を付けられて、しかも恐らく空腹ではなかったはずなのに、執拗にフィルとアレックスを狩ろうとしてきた。
「ザルアの悪魔だから? だからここまで獲物に執着する……? でも、そんな厄介な性質なら、ロギア爺はそう教えてくれただろうし……」
よく調べようとその緑の脇に膝を落とすと、視界の端で何かがきらめいた。
視線を向ければ、壊れた壁。そこに引っかかった金属製の太い鎖が日差しを反射している。
(なんだ、あれ)
居間という場所に不似合いなそれは、輪のひとつひとつが大人のこぶし大の大きさをしている。ますます奇妙だ。
なぜか変色した鎖の末端には、壊れた輪の残骸が引っかかっている。まるで引き千切られたかのように。
「……」
直感的に嫌な想像に行き当たって、顔をこわばらせると、フィルは鎖に手を伸ばした。
ジャラリという音と共に、重みと金属特有の冷たさが手のひらに伝わってくる。
(まさか……。でも、もし万が一そうなら……)
鎖はやがて体温と同程度に温まった。同時に嫌悪が増していった。
「じゃあ、お兄ちゃんたち、騎士さまなの?」
「キシサマ? ホアンがなりたいって言ってた?」
「男の子はみんなそう。棒とか振り回して迷惑ったらない……あ、でもアレックスとフィルは違うから」
村の外れ、小川のほとりの少女たちとアレックスの側に戻ったフィルは、彼らの会話を聞くともなしに聞きながら、火をおこし、スープを作り始める。
ナイフで香味野菜を切った後、肉の色と感触を感じさせないよう、これでもかというほど細かく切り刻んだ干し肉と一緒に鍋に放り込んだ。
肉なんて見たくもないだろうが、彼女たちに少しでも元気になって欲しい。
(「空腹は人の感情を悪い方に、逆においしい物はよい方向にまわす」って爺さまも言ってたし……)
鍋を火にくべ、材料を炒めれば、かぐわしい香りが立ち始めた。水を注ぎ、残りの野菜を入れて煮込んでいく。
そうして手を動かしながらも、フィルは別事に意識を囚われていた。
(異常なことだらけのザルアの悪魔に、鎖……)
祖父と共に国内をうろついていた頃のことだ。路銀が尽きて、報奨金目当てに隊商の護衛をしていた時、老いた商人が語った昔話の記憶が、千切れた鎖で呼び起こされた。
考えれば考えるほど疑いが強まっていって、眉間に深く皺を寄せる。
「……」
スープが出来上がったと見るや、フィルは無言で鍋を火からおろし、森に自生している香草で肉の臭いを消し去った。
「できました。食事にしましょう」
最後に塩でスープの味を調え、アレックスたちへと顔を向ける。
(……あれは困ってる時の顔だ)
フィルは眉を跳ね上げ、目を瞬かせた。
視線の先、膝に乗せた少女二人にぴったり抱きつかれ、アレックスが途方にくれている。動くに動けないらしい。
「両手に花ですね」
くすっと笑ったフィルに、「花ってなに?」と下の子、ニッカが首を傾げた。上の子、マリーが「馬鹿ね、私たちのことよ」と得意げに答える。
彼女たちの様子に、フィルは静かに息を吐き出した。
泣き腫らした目元は真っ赤で、やはり痛々しいが、少し寝たせいかちょっと落ち着いているようにも見える。
もちろん嫌というほど知っている。ひどいショックを受けた後、表面上元気に見えるようになる人がいること。それが内面まで本当に元気になったことを意味したりはしないことも。
「……」
少女たちは、今度は競うようにアレックスの首に抱きつき始めた。その幼い顔をじっと見つめてしまう。
彼女たちが隠れていたという地下倉庫の上には、おびただしい量の血液があった。あれは彼女らの両親か、それに類する人たちが彼女らを守ろうとした証拠なのだろう。
これほどひどいことがあるだろうか。小さな彼女たちはこれからそういった記憶を抱えて生きていかなくてはならない。そしてその記憶の重みに壊れないために、強くあることをこの先強いられる――命を賭けて愛し、守ってくれる人たちは既にいなくなったというのに。
「……さて、花のようなお嬢さま方、昼食の用意が整いました。こちらへどうぞ」
内心を押し隠し、フィルは敢えてにっこり微笑みかける――“その時”が来るまでそうしていようと思う。
それから食欲がないのだろう、ためらう彼女たちの前に、家探しの最中に見つけた色とりどりの飴を差し出した。
「食事が終わったら、お二人で分けるというのはどうですか?」
「赤いのとピンクの、どっち?」
「ピンク!」
「じゃあ、今度は私。青いのと緑ので……青」
「えー、ニッカも青がいいー」
食事を終えた少女たちが、飴の分配に熱中している。
「アレックス」
思惑通り彼女たちの気を引くことに成功して、フィルはアレックスに声をかけた。少女たちから死角となる茂みへと彼を誘導する。
「グリフィスに破壊された家屋で見つけました」
そこに隠しておいた鎖を差し出した瞬間、アレックスの空気が張り詰めた。
「これは……グリフィスのものか」
(アレックスもそう思うなら、考え違いじゃないってことだ……)
体の奥底から憎しみに似た怒りが湧き上がってきて、フィルは顔を歪めた。
「昔、魔物を交配し、利用しようという学問があったと聞いています」
老商人の祖父の時代のことだそうだ。そのために魔物の卵の取引があったという。結局人の手には扱いきれなくて廃れたと言っていたけれど、西大陸では未だにドラゴンの亜種である飛竜が残っていて、それを一部の部族が使用しているとも話してくれた。
「アレックス?」
厳しい顔でフィルの話を聞いていたアレックスが、その鎖を左右に引っ張った。
ギッと音を立てた後、いかつい見た目に反してあっさりと千切れ、小片が飛び散る。
目を丸くしたフィルの前で、アレックスはさらに険しく眉間に皺を寄せた。
「プレビカ鉄だ。グリフィスの毒に含まれた酸のせいだろう、急激に劣化している。酸に著しく弱い性質といい、褐色を帯びた色合いといい、間違いない」
断定して、彼はそこで一旦言葉を切った。鎖を見据えたまま、目を鋭く眇める。
緊張をはらんだ冷たい空気に、フィルは知らず息を殺す。
「この鉄は質の悪さゆえに、プレビカですらほとんど使用されていないんだが、確か領主一族が質の改善を狙って細々と研究を続けていたはずだ」
「プレビカの領主? って、確か……」
『ハフトリーが最初の訪問は、彼の領地にするようってうるさいんだよねえ』
「フェルドリック……」
幼馴染のふてぶてしい顔を思い出した瞬間、全身からざっと血の気が引いた。
「村に信号弾があるはずだ。フィル、しばらくあの子たちとここで待っていてくれ」
何かを押し殺したような声音でそう告げるなり、アレックスは駆け出していった。
* * *
国境近くのタンタール要塞の一室。
その部屋の窓からは、北側諸国との国境となっている山脈が見えた。青く連なる山々の頂は未だ雪を冠していて、そこから冷気が降りてくる。
わずかに開いたガラスの隙間から、涼やかな風が室内に流れ込んだ。
フェルドリックの太陽光のような金の髪が、微かに揺れた。本来であれば心地よいはずのそれに、内心の苛立ちを一層煽られて、眉間に皺を寄せる。
「では、出発は予定通り本日午後ということでよろしいでしょうか」
内心を顔に出す――フェルドリックにとってそれが本来ありえないことなら、人の心情に聡いロンデールがそんなフェルドリックに気を払う様子がないこともまた異常だった。近衛騎士団の副団長であり、今回の視察で警護責任者を務める彼は、抜かりのない人間でもあるが、彼は彼で気にかかることがあるらしい。
「……」
昨日から彼には不自然なまでに上の空で、今もフェルドリックが返事をしないままでいることに何の疑問も呈さず、黙り込んでしまった。
昨日の午後、アレックスとフィルと別れた後、フェルドリックと一行はアレックスが「ザルアの悪魔」と呼んだグリフィスに再度遭遇した。
『人ってのは絶対的な恐怖を前にすると、動けなくなるんだぞ? アル曰く、そうならないために、体が勝手に動くようになるまでひたすら訓練するんだそうだ』
祖父アドリオットが聞かせてくれた、若かりし頃の冒険譚を実は作り話と決め付けていたが、あれを目にした今となっては、考えを改めざるを得ない。
幸いその時は一体だけで、近衛の一名が毒液によってひどい火傷を負い、騎士団の一名が軽く腕を痛めただけで、なんとか事なきを得たが。
『……死んじゃった、かな』
日が暮れかかる森中の道を急いで要塞に向かう途中、青ざめたままのジュリアン・セント・ミレイヌがぼそりと呟いた言葉が、どうしようもなく癇に障った。
『ねえよ、馬鹿』
『あの二人、揃ってりゃ異常なくらい強えんだぜ?』
『大体魔物退治は得意だって、フィルが言ってただろうが』
『おう、あいつは殺しても死なん。足りない頭はアレックスが補ってるだろ』
口々にそう返していた騎士団員たちの顔にも、普段にはない固さを認め、事態の深刻さを否応なしに悟った。
そんな『ザルアの悪魔』は、昨晩フェルドリックの睡眠をも奪った。
人間の弱さを嘲笑い、嬲るかのように振る舞う、まさに悪魔のような化け物――あれを三体も目の前にしてたった二人――本当に無事に、いや、生きていられるのだろうか……?
結局要塞に戻ってこなかった二人に、嫌な想像が広がっていく。
「……そうだな、予定通りで構わない」
タンタール国境警備隊を訪ねたのは非公式なもので、今日の午後にはここを発って国境沿いに東に向かい、二日後にはハフトリーの居城に到着する予定だった。
そもそもここに自分と五名程度の近衛騎士がいたところで、なんらの役に立つ訳でもない。あの魔物は国境警備隊と派遣されてきた騎士団に任せて、自分は自分のすべきことをするべきだとわかっている。
「……了解しました。すぐに準備を」
だか、ロンデールが一瞬物言いたげな表情を見せたことで、フェルドリックはついに顔を歪ませた。
ノックの音が室内に響き、知らず沈黙していたフェルドリックとロンデール双方の物思いを破った。
「殿下、少しご相談が」
開いたドアから、騎士団のウェズ第一小隊長とタンタール国境警備隊長が姿を見せる。
「なんだ、ウェズ?」
――あの二人に何かあったのだろうか?
いつもオドオドとしている壮年の国境警備隊長の困り顔はともかく、騎士らしく陽気で言いたいことを言い、したいことをするウェズらしくない表情に、胃の腑が内側から掻き乱された。
「ここから南南東、ちょうどあの川の下流あたりから信号弾が上がったようです。恐らくアレックスかフィルからだと思うのですが……」
「どちらかが死んだか」
声音だけは普段と同じものを作り出すことに成功したが、語尾が一瞬震えた。
(こんな形で置き去りにされるのか? 冗談じゃない、まだ何一つ動いていないというのに――)
傍らでロンデールが、「フィル殿」と呟く声が聞こえた。
「いえ、そうでは。意味を量りかねていまして、それでご相談に上がった次第です」
一瞬苦笑したウェズがそう言いながら、また眉根を寄せた。それでフェルドリックは気を取り直す。
まだそうと決まったわけではないらしい。ならば、出来るすべてをしなくてはならない。この先、あの二人を逃がす気はないのだから――。
「さっさと内容を言え」
視界が晴れる感覚と共にじろりとウェズを睨めば、彼は肩をすくめた。
「信号弾の解読内容です――『初旅に風聖鳥の加護のあらんこと オルス』と」
「その、短文に送信者の名というごく普通の形式の信号ですので、私は白岩村の者が殿下のご視察を知って、代表者が神のご加護をお祈り申し上げているのではないかと……」
「だが、村にオルスという名の者がいるかどうか、白岩村出身の警護隊員にあたっても、心当たりがなかったんだろう?」
「それはそうなのですが……」
(何かしらの暗号だな)
フェルドリックは無言のまま、目を床に落とした。
白岩村は片田舎の小さな集落だ。当然何の官舎もない。そんなところに今回の視察が漏れるはずもなければ、それを伝える必然性もない。
(となると、こんな真似をしたのはアレックスだ)
それから人知れず息を吐き出した。
つまりはあいつも無事ということだ。そうでないなら、アレックスがそんなに冷静である訳がない。
「……さすがにしぶとい」
無意識に笑った後、フェルドリックは窓の外へと視線を向け、再び思考の淵へと意識を沈める。
問題はアレックスだ。彼は一体何を伝えんとしているのだろう?




