黄金の魔女2
それは未来と言う名の過去の記憶。
幼いクラリーチェはひび割れた道を歩いていた。周囲を見回せば緑が茂る中に荒れ果てた建造物の姿が見える。かつてこの街の、この星の主だった"人"という種はもう居ない。
人と言う種が滅びてから大よそ八年。クラリーチェが産まれるほんの少し前に滅びたその種をクラリーチェは知らない。
もしもその種が絶滅していなければ、ウィッチが人より優れていると驕っていなかったのなら、廃墟しかないこの世界にも未来があったのだという。
それはクラリーチェには選ぶ権利すらなかったもの。自らが種の幕引きを義務付けられて産まれる前に分岐してしまった"もしも"の先にあるもの。
故にクラリーチェはそのもしもに想い焦がれ、この先に居るだろうウィッチを探して歩いていた。
ひび割れた道の先、折れた摩天楼そびえる青空を見上げて佇んでいるウィッチが一人。廃墟を抜ける風に黄金の髪がなびき、傍らには漆黒の大剣が突き刺さっている。
彼女こそが黄金の魔女と称され、クラリーチェが産まれるまで最強の名を欲しいままにしていた存在。
「エリス」
「やっぱり来たわね、クラリーチェ」
エリスが背後のクラリーチェに気がついて振り返る。
「うん、決めた。私、エリスの提案通り平行世界に行くよ」
「そう! それがいいわ。こんな所に居ても緩慢な滅びを迎えるだけだもの。貴方の庭園と全断の剣なら、きっと私の因果調律鍵で引き裂いた世界の根底を潜り抜けられるわ」
エリスはむっふと意気込むと、地面に突き刺さった漆黒の大剣をぽんぽんと叩いた。
「でも……他のウィッチ達は悲しむかな? 私が種の終わりを看取ってくれるから安心して死ねるって言っていたし」
「いつも思うのだけれど、貴方って生真面目よね。子供っぽくないって言うか……」
「うーん、周りは大人ばかりで同年代が居なかったから。でも、子供っぽいって言うのは多分エリスみたいな感じだよね?」
「な、な、な、な! 私、こう見えても大人で淑女よ!? 一人でちゃんと着替えもできるのだけれど!? 甘く見て貰っては困るわ!」
わたわたと必死に否定するエリス。
それを見てクラリーチェは苦笑いする。
「でも、そんな子供っぽいエリスが私は好きだけれどね」
「コホン、ありがとう。そこはお礼を言っておくわ。でも貴方の考えの方はダメよ? 終わりから逆算したら、その先に辿り着く事はないのだもの。それはダメな生真面目さなの」
「うん、分かってる。だから私は平行世界に行くって決めたの」
「分かっているのならそれでいいのよ。大丈夫、未来を求めることは罪じゃないわ。それにこの結果を招いたのは大人の責任。子供の貴方が罪悪感を持つ必要はないの、いいわね?」
エリスはにっと笑って見せるとクラリーチェの頭を撫でる。
「うん」
「それと……これは餞別よ、これを持って行きなさい。賢い貴方だもの、使い方は分かるはずよ」
エリスはクラリーチェに板状の機械を手渡す。
「何これ?」
「人間が簡単な魔法をできるようにする機械。魔法の正式名称である因果調律を使って、そのまま因果調律機って言うらしいわ。今はもう居ない私の幼馴染の持ち物よ」
「ああ、あのよく話に出てくる幼馴染の……でも、いいの? つまり形見じゃない」
「いいのよ、あの人達にはそれ以外にも色々なものを貰ってるから。でも、私はあの人達に何も返すことができなかった。……だから、私は返せなかった分を貴方にあげるわ。遠慮なく受け取って」
エリスは寂しげな顔をすると折れた摩天楼を見上げる。その顔は子供であるクラリーチェにはできない大人の顔だった。
「ねえ、エリス。それなら一つ、追加でお願いをしていいかな?」
「なあに?」
「平行世界に移る時、私は君と同い年がいい。そうすればまた君と友人になれるだろうから」
「分かったわ。それじゃ、ついでに向こうの私を叩き起こしておいて。きっと、あの人が頑張ってる横で、一人何も知らずのんびりしてるはずだから」
「任せて」
「クラリーチェ、旅立ちは笑顔で行きなさい。幕引きが心残りなら私がしてあげる。その代わり、貴方はちゃんとここには無かった未来に辿り着くのよ」
エリスは暗い表情をしていたクラリーチェをぎゅっと抱きしめた後、にこっと笑顔を作って見せる。
クラリーチェはその笑顔に無理やり作った笑顔で返答し、それを見たエリスは力強く頷くと地面に突き刺さった大剣を引き抜いた。
漆黒の大剣が紐解かれ、そこに異なる法則を持ったもう一つの宇宙が誕生する。
クラリーチェは揺らめく虚ろの庭園を纏い、その宇宙を全断の剣で切り裂いて姿を消していく。
そんな刹那の後、傷口が塞がる様に世界は元の静けさを取り戻し、エリスはそこに独り佇んでいた。
「……私が受け取ったもの、できる限りあの子に渡したわ。今の私を見れば、彼方さんも大人になったなって褒めてくれるわよね」
クラリーチェを送り出したエリスは折れた摩天楼──七荻ビルを見上げる。
「でもね、私が本当に手を差し伸べたかったのは……彼方さん、あの時の貴方にだったのよ」
その呟きに応える者は既になく、言葉はただ蒼い空へと溶けていった。
***
「と、言うわけ。……だから、私がこちらに来たことにより生じただろう叡智の塔を壊すのは義務であり、エリスの後悔を事前に取り除くのも私の義務なの」
彼方の隣、公園のベンチに腰掛けたクラリーチェが、ふうと白い息を吐き出して空を見上げる。すっかり暗くなった空にはふわりふわりと雪が舞い始めていた。
この少女はどれだけの物を背負ってきたのだろうか、彼方はその重さを今まで知ろうとしなかった己を恥じた。
十年もの間を戦い続ける決意、彼女にとってのそれは自らが幸せになることや捨てて来たものに対する罪悪感だったのだろう。
「……クラリーチェ、その生真面目さは多分いいものじゃない」
他を寄せ付けない最強のウィッチであるクラリーチェは自分よりも強い存在。彼方は心のどこかでそう思っていた。
けれど、彼女もまた同じように悩める一人の人間なのだ。
だから独りではなく共に歩む未来を求めた。今ならばそのことがはっきりと分かる。
「うん、似た台詞をエリスに言われたことがあるよ。今思えばカナ君の受け売りだったのかもしれないね……あ、なるほど、そうか」
「何だ?」
「一目惚れもする訳だなぁって、だって、私にとってのカナ君はエリスに何度も聞かされたおとぎ話の王子様その人なんだもの」
はにかむ様に笑うクラリーチェ。
急な王子様扱いにどう返答したものかと迷う彼方。
「大丈夫。私が昔話をしたからって、すぐ明確な何かをよこせなんていわないから。ただ……今は君の時間を少し共有させて?」
クラリーチェは彼方の言葉を待たずにそう言うと、目を閉じて彼方の肩に寄りかかる。
彼方はそのぬくもりをしっかりと受け止めた。
「クラリーチェ、俺の時間が必要なら幾らでも使えばいい。だから無理だけはするなよ」
「そんな軽く言っちゃっていいの? 私、遠慮なく使っちゃうよ」
「俺が応えられる範疇ならな。俺はまだ自分の未来すら見えていないが、お前と一緒に未来を歩くなら分けられる時間はあるはずだ」
「ちなみにカナ君。その文脈で未来って言うと、私の気持ち全部受け入れてくれるように聞こえるからね」
「む……。それは、その……確かにそうだな」
言われて確かにと納得し、少し恥ずかしくなった彼方はバツが悪そうに頬をかいた。
「ふふ、これはまだまだ時間がかかりそうですねぇ。……でも、ゆっくりなのも悪くないかな。ちゃんと明日があるのなら、続く未来があるのなら、君とそうやって積み重ねる時間だって素敵で大切な時間だもんね」
「……そうか、クラリーチェ。お前にとっての未来は終点の見えている風景だったんだな」
彼方にとって明日は常に来るものであり、明日が来ないかもしれない。明日が全ての終わりだなどと意識して日々を過ごしたことはない。
しかし、彼女にとっての未来は指折り数えていく有限なものだったのだろう。
彼女の強引なアプローチなども、今になって思えばその現れだったのかもしれない。
「うん……でも今はちゃんと素敵な未来があるって信じられる。だから、まずは君やエリスや皆と一緒に来なかった明日に行ってみたいな」
肩に寄りかかったクラリーチェは上目遣いで彼方を見上げると、優しい声音でそう言った。
「ああ、そうだな」
寄りかかったクラリーチェをそのままにして彼方は七荻ビルを見上げる。この七荻ビルが揺らめく限り滅びの未来は訪れない。
なら皆でここから進んでいけばいい。指折り数える有限な未来ではなく、無限に続くと錯覚するような広がる未来に。
──だが、そんなことを考えるにはまだ早い。そう言って二人を嘲笑うかのように、七荻ビルを中心としたビル街の明かりが一斉に消えた。




