黄金の魔女3
「──な!」
「はあっ……! はあっ……!」
直後、息を切らせて走ってくるゴシックドレスの少女が一人──
その人物に見覚えがあった彼方は、胸ポケットに手を当ててロッドを起動すると、肩に寄りかかったままのクラリーチェを小さく揺らす。
「クラリーチェ……!」
「ふぇ?」
急に剣呑な声を出した彼方に、クラリーチェは訳のわからないといった様子で彼方の顔を見た後、彼方の目線の先へと自らの視線を移してスイッチを切り替えた。
「お前は……! 七荻彼方! なんて良い所に……! これも天の采配か! た、助けてくれ!」
必死に走っていたゴシックドレスのウィッチ、綾音も彼方の姿を見つけたようで、縋る様な表情で一目散で彼方へと走ってくる。
そして更にその後ろ、綾音目掛けて投擲された因果の槍がひとつ。
「君、後ろ──!」
綾音が振り返るよりも早く、座ったままのクラリーチェが全断の剣を打ち出して槍を破壊する。
「あ、ひっ……!?」
遅まきながら自らが窮地に陥っていたことに気がついた綾音は、引きつった声を出してその場にへたり込んだ。
間髪入れず跳ねる様に立ち上がった彼方が綾音を守るように前に出る。
槍を放った相手もまた、彼方にとって見覚えのあるウィッチだった。
「驚いた。全断の剣を貸与されているとは聞いていたけど、ここまで使いこなしてるのは意外」
「ちなみに、"なんて良い所に"じゃないんだよねー。ここに七荻彼方が居るのは、私達の未来視による逆算で証明済みなんだよー。さっさと庭園憑きに戻れば分かったのにね」
「由愛、沙良……」
「おー、覚えてたじゃん、お兄ちゃん。でも覚悟しときなよー、今日は殺してもいい日だからさぁ!!」
叫ぶと同時、由愛の手に大斧が顕現する。
「クラリーチェ、ここは俺が相手取る! そいつを助けてやってくれ!」
彼方は全断の剣を手にしてクラリーチェ達の前に立つ。
ここまでの様子、綾音と言う少女に敵意はない。ならば目の前で助けを求められている以上、それを見捨てる訳にはいかないだろう。
「分かった、気をつけて! 君、こっちに! ちゃんと後で事情は説明してよね!」
クラリーチェが綾音を引っ張って後ろへと下がるのと入れ替わりで、由愛と沙良が勢いよく彼方へと迫る。
「滅べええええっ!」
しかし、この二人を相手取るだけならば、今の彼方にとっては大した問題ではない。
「断る……!」
大きく一歩前に踏み込み横薙ぎ一閃。
全断の剣を振りぬいて交差する前の二人を両断する。
直後、つま先に力を入れてブレーキを掛けて振り返る。さっきの二人の口ぶり、次があるのは明白だ。
案の定、ぷかぷかと浮かんだ二人の体から勢いよく未来の風景が噴出し、人型のシルエットを形作った。
「まだ有ったか……叡智の塔!」
『うふふふふふふ、ありますとも。こんばんは七荻彼方さん、幕開けのご挨拶に参りましたわ。今宵、この時間、ここより、黎明の日は幕を開けましてよ。そして、その主役は他ならぬ貴方ですの──!』
前回同様、操り人形のように動き出す二人のウィッチ、それよりも早く彼方が動き、叡智の塔のシルエットを切り裂いた。
「残滓は大人しく無に帰れ」
『残滓は大人しく消え去りますわ。ですが、今日はもう一方来ておりますの。貴方もよく知っている人物ですわよ』
「よく知っていう人物だと……」
消失していく叡智の塔を捨て置いて、彼方は剣を構えたまま周囲を見渡す。
しんしんと雪の降りしきる公園は静けさに包まれている。クラリーチェ達を除いて人の気配はない。
──はずだった。
ひゅるりと身を切るような風一陣。
次いで背中を駆けるような強烈な悪寒が彼方を襲う。防衛本能とも言える直感に従い、踵を返す。公園の入り口に立っていたのは、
「はる……か?」
遥の顔に表情はなく、その瞳は虚ろ。手には刀、間違いなく因果調律鍵だ。
『さて、それでは参りましょうか』
普段の遥とは全く異なる叡智の塔の声音。庭園憑き、もはや疑う余地は無い。
「遥、助けてやる!」
妹の変貌に動揺は隠せない。だが元に戻したければ戦う他は無い。
彼方は苦々しい表情で全断の剣を構える。
『先にひとつ申し上げておきますが、こちらの方は庭園の"依り代"、数多の情報が集う箱。ただの庭園憑きとは性能が全く異なっておりましてよ』
遥、跳躍。
瞬く間もない瞬時の肉薄。
彼方の肩口に因果の刃が迫る。
「ぐっ……!」
彼方は全断の剣でそれを受け止め、辛うじて袈裟斬りにされるのを防いだ。
『さあさあ、お兄様。助けたいのでしたらゆっくりしている暇はありませんわ。こちらの方の自我は刻一刻と消え去っているのですもの』
鍔迫り合いの最中、明確な悪意を持って庭園の声音が囁く。
「何……!」
『庭園憑きよりも多くの情報が入るがゆえ、自らの人格はその情報の海に希釈されていく。それが叡智の塔の依り代となる代償でしてよ、うふふふふ』
その言葉に鍔迫り合いをする彼方の腕に力が入る。
そしてそれはいつも持ち合わせていた冷静さを欠いたことを意味していた。
故に気づくのが一瞬遅れてしまう、遥の背後に刀を構えた二つのシルエットが出現したことに。
「シルエットが武器を構えた!? 因果調律鍵も平行世界の記録に含まれるのか!」
「まずい……因果調律鍵を再現できるレベルなんて、もはやカナ君でどうこう出来る相手じゃない!」
彼方が驚愕の声を上げ終えるよりも早く、クラリーチェが駆ける。
しかし、それよりも早く──彼方が因果の刃に貫かれた。
暗転するように視界が闇に閉ざされ、次いで五感全てが消えていく。時間と空間の概念が消え去った闇に彼方は意識だけたゆたう。
生も死も全てが自らの外にあり、自らが持っていた世界に対する決定権一切を喪失する。これが世界から遮断されるということ。
だが、彼方の全てが闇に飲まれて遮断される寸前、彼方の五感が、意識が、全ての感覚が急速に回復していく。
視界が戻り、自らの胴体を正面から貫くシルエットの刃と交差するように、背面から貫いているだろう見慣れた剣の刃が見えた。
「カナ君、全断の剣! 横薙ぎ!」
クラリーチェの声で自らの手が未だ全断の剣を握っていることに気がつき、彼方は剣を力任せに横に薙ぐ。
シルエットの胴体が両断され、彼方を正面から貫いていた刃が消失する。
両断されていないもう一方のシルエットが刀を構え、消失したシルエットに代わって再度彼方に刃を突きたてようと動き出す。
──それを遥が一刀両断した。
「うぐうぅう……! 逃げてください、お兄様ッ──!」
「遥、正気に戻ったのか!?」
遥は何も答えずに彼方を突き飛ばすと、胸元を強く握り締めよろよろとした足取りで公園から歩き去っていく。
追いかけようとする彼方だが、それを阻むように現れた幾つものシルエットが武器を構えて行く手を阻む。
「クラリーチェ! シルエットの相手を頼む、俺は遥を追わないといけない!」
「カナ君、落ち着いて! 熱くなり過ぎてる! 私も君も動けない。このままじゃ死んじゃうよ、君!」
彼方はそこでようやく気がついた。自らを背後から貫いている刃は全断の剣であり、クラリーチェが突き立てているものであることに。
『うふふふ、お二人の絆を見せていただきましたわ。続きは七荻ビルにて見せていただきますわね。……それではよき黄昏を』
遥の姿が見えなくなると、そう言い残してシルエットは霧散していく。
クラリーチェはそれを見届けると全断の剣を彼方の体から引き抜いた。
「ぐっ……」
引き抜かれると同時、彼方は鈍く痛み始めた頭を抱える。
「カナ君、大丈夫?」
「ああ……多分ロッドが破壊されたことによる脳の過負荷だ。暫くすれば収まる」
彼方は鈍い足取りで公園のベンチまで歩くと、崩れるように腰掛けた。
「ほら、カナ君飲んで? 市販薬だけど気休めにはなると思うから」
「すまん」
彼方はクラリーチェが持っていた市販の鎮痛剤を受け取ると、水も使わずそのまま無理やり飲み込む。
「お前が止めたのは俺のロッドが壊れていたからだったんだな。迂闊だった。ロッド抜きでは因果調律鍵を使わない簡単な魔法でも人は死ぬ」
「そう、そりゃ私が居れば君に対する魔法を防ぎながらでもある程度は戦えるよ? でも私も万全の状態じゃない。守りの要である庭園抜きじゃどうしても君の安全は保障できないの」
「悪かった……。お前にああ言った手前、いきなり死んだら笑い話にもならないからな」
「本っ当だよ。あんな風に言ったんだもの、ちゃんと長生きして貰わないと困るからね?」
クラリーチェは呆れたようにため息をつくと、彼方の隣に腰掛ける。
「それで、君。色々と聞きたい事があるんだけれど、教えてくれるかな?」
「い、いきなりわれ、わた、私か!」
おろおろと二人のやり取りを見ているだけだった綾音が、びくりと体を震わせる。
「君は何で追われていたの? さっきの話しぶりからすると、君はもう庭園憑きじゃないみたいだけれどそれが理由?」
「うむ、それが理由だ。私はもう一度庭園憑きになるのを拒んだ。あれを入れてしまうと、普段できないようなことも平然とできてしまう。私はそれが怖くなった……」
「人格の変更と消失か……」
遥の人格が消失すると言う言葉を思い出し、彼方は直ぐにでも駆け出したい衝動に駆られるが、それを何とか押さえ、その代わりに膝の上で自らの手を強く握った。
「つまり、まだ叡智の塔を出し入れできる状況にある訳だよね。枝分け用の叡智の塔は破壊され、七荻ビルにある本体は封印されているはずなのに」
クラリーチェは語気を強めて言う。苦労してきたことが無駄だったのかもしれないのだから、無理も無い。
「御巫大臣が七荻遥の中に忍ばせておいたらしい」
「忍ばせた? 魔女担当大臣は人間だって聞いていたけれど」
「私は詳しくは知らないが、神降ろしの要領でウィッチと同じように情報の操作だけはできるのだと聞いた」
「クラリーチェ、叡智の塔に御巫彩華の意思が含まれている可能性はあるのか?」
それは彼方が常々思っていた疑問。叡智の塔が本当に平行世界の記憶と意思だけを詰め込んだものならば、庭園憑きが揃ってこうも荒々しい存在にはなっていないはずなのだ。
平行世界のエリスのように滅び行く世界を良しとしていない者も居たことだろう。
現に平行世界最後の結実たるクラリーチェは叡智の塔を阻止する為に躍起になっている。
にもかかわらず、星の支配者などと言うもっともらしいオブラートに包んで、ウィッチ達は揃って滅びの未来をなぞっている。その矛盾も叡智の塔に御巫彩華が混ざっているのなら有り得る話だ。
「話してることが事実なら十分にあるよ。意図しなくても情報なんてバイアスが掛かるんだからね。そう言う情報の取捨選択による世界誘導の連続で運命を変えること、それが最も原始的な魔法なんだよ」
「そうか、なら御巫彩華が諸悪の根源で間違いないだろう。あれはそう言う生き物だ」
これまでに対峙してきた叡智の塔が持つ狂気、口調、声音。どれもよくよく考えれば御巫彩華のそれに似ている気がした。
「むー、こんなの間違いなく罠だよね。……けど、それでも行くしか選択肢はない訳か」
クラリーチェは大きく深呼吸をして立ち上がると、彼方に向けて手を差し出す。
「急ごう、カナ君。君の妹さんを御巫彩華の狂気を入れる器になんてできないよ」
「すまない、クラリーチェ」
クラリーチェの手を取って、彼方も立ち上がる。
見据える先、七荻ビルは深い宵闇の中で静かに揺らめいていた。




