黄金の魔女1
第三話 黄金の魔女
幼いクラリーチェはひび割れた道を歩いていた。周囲を見回せば緑が茂る中に荒れ果てた建造物の姿が見える。
かつてこの星の主だった"人"という種はもう居ない。
ひび割れた道の先、折れた摩天楼そびえる青空を見上げて佇んでいるのは一人のウィッチ。
風に黄金の髪がなびき、傍らには漆黒の大剣。
「やっぱり来たわね、クラリーチェ。大丈夫、未来を求めることは罪じゃないわ」
かつて最強の魔女と称されていたウィッチ──エリスがクラリーチェに気がついて振り返った。
「あうううぅ~っ!?」
狭い都心に遠慮なく広がる大邸宅の一角、並みの植物園ほどもある温室の中、万能端末をぎこちない手つきで操作するエリスが吼える。
「エリス、そこじゃなくてそっち! あー、ダメダメ! そこは一回ここ押して戻らなきゃ!」
あまりにたどたどしい様子に、見かねたクラリーチェがガーデンテーブルの上に身を乗り出し、身振り手振りを交えてエリスを導いていく。
「り、理屈では分かっているわ! でも、こんな小さいパネルの狙った場所を押すだなんて、どうしてこんなに精密な動作を求められるのかしら!?」
そう言いながら、エリスは必死の形相で操作を続け、程なくしてクラリーチェの万能端末から着信音が鳴った。
「できた……できたわ、クラリーチェ!」
「ふう、君の場合は通話機能を使うのも大仕事だねぇ」
無事目的が達成されたことに安堵したクラリーチェが椅子に戻ると、脇に控えていたメイドがてきぱきとした動作でテーブルにティーセットを用意していく。
「今日は本当に助かったわ、クラリーチェ」
万能端末をテーブルの上に置き、値段にしてその十数倍はするだろうティーカップを持ってエリスが微笑む。その様子は先程までとは違って実に板についていた。
「いやぁ、びっくりしたよ。エリスの端末から着信があったと思ったら、万能端末の使い方教えてくれって言うんだもの。今使ってるそれは何なのって思っちゃったよ」
「他に思いつく人がいなかったのよ。本当は遥……えっと彼方さんの妹に教えて貰おうと思ったのだけれど、七荻総帥って忙しいのね。最近連絡がつかなくって」
「ううん、頼ってくれたことは嬉しいよ。でも、エリスがこういう事頼むならカナ君じゃないのかなって思って」
「彼方さんだけはダメなのよ。それでは本末転倒だもの」
拗ねるようにエリスが言う。
「カナ君だけはダメ?」
「クラリーチェ、笑わないで聞いてちょうだい。彼方さんにも内緒よ?」
「うん、約束する」
上目遣いで問うエリスに、クラリーチェは笑顔で頷く。
「……私、彼方さんを見返したかったの。もしくは自己嫌悪なのかもしれないわ」
「自己嫌悪?」
「第二都市開発空域でクラリーチェが迷子になった時、彼方さんに置いていかれて思ったの、彼方さんは私と置いて一人で危ないところに行ってしまうんじゃないかって……」
「んー、まあカナ君の性格を考えれば無理もないよね」
事実、エリスを置いていった彼方はその後窮地に陥っている。彼女の読みは正しい。
更に言えば平行世界の彼方は一人でウィッチと交渉に赴いて命を落としたことも知っている。
何しろ、平行世界のエリスは常々それを後悔していたのだから。
「彼方さんが私を置いていくのは、私が頼りないからだと思うわ。だから私が頼もしくなれば頼ってくれるかなって……」
「そして、それなのにそのまま帰ってしまったことを自己嫌悪してるって訳だね。まあ、カナ君の場合は頼りになっても置いてくと思うけど」
クラリーチェは自らの体験を思い出して苦笑いする。
「うぅん、そうよね。私、大げさすぎるのかしら……」
自信なくそう言うエリスに対してクラリーチェは小さく首を振る。
今の彼女の悩み、それは平行世界で彼女が体験した後悔の先取り。そして、それを実際に彼方を失う前に気がつけたという平行世界とは異なる未来がもたらした幸運。
きっと、これだけでも自らがこの世界にやってきた甲斐があったのだろう。
「大丈夫、君の考えは間違っていないよ。大切なものが知らないところで消えてしまうのなら、君は絶対に後悔する」
ファントムにも似た凛然とした声音でクラリーチェが言い切る。
これは叡智の塔の破壊と同じようにクラリーチェが自ら課している一つの約束。
平行世界のエリスはクラリーチェをこちらに送り出し、クラリーチェに課せられていたウィッチの歴史に幕を引く役目を肩代わりした。
だから、自分は大切なものを失う前にエリスを奮い立たせ、平行世界では起きてしまった彼女の後悔を防ぐのだと。
──そうすれば自分だけでなく、自らを送り出した並行世界エリスも救われることになるのだから。
「え、ええ、そうね……!」
急に強く言い切ったクラリーチェに少し驚きながらも、エリスはその言葉にこくこくと頷く。
エリスを発奮させ、焚きつけるような言葉ではあるが、危ない場所に行くように促している訳ではないのだから、これ位は彼方も許してくれることだろう。
「まあ、電話ひとつ覚えただけじゃ、まだまだ足りないと思うけど」
「むぅ、そこは分かってるわ。でも千里の道も一歩からだもの。これから色々頑張って彼方さんを見返すわ!」
「俺がどうしたんだ?」
むっふと意気込むエリスの背後から、件の彼が返答した。
「はも?」
思考の片隅にもなかっであろうご本人の登場に、エリスは油の切れた機械の如くギギギとぎこちなく振り返る。
見つめ合う二人。
一拍。
「ほあああああああっ!? 彼方さん!? ほああああうううっ!」
椅子からエリスがぴょこんと飛び上がり、テーブルの上のお皿が携帯端末を隠すように挟み込んで音もなく重なる。
更に間髪入れず、浮かんだクッキーが唖然としている彼方の口に次々飛び込んだ。
「ぐふっ!?」
「彼方さん、何故ここにいるのっ!?」
周囲に紅茶の入ったままのティーカップやらケーキやらを浮かべ、エリスが思う存分にうろたえる。
「エリス、エリス、落ち着いて、魔法暴発しちゃってるよ!」
「およよよよ……」
エリスがぺたんと椅子に座り直すと、浮かんだ様々なものがテーブルの上に戻っていく。勿論、万能端末だけは隠されたままだ。
ウィッチとしての能力が高ければ高いほど世界改竄に対するトリガーは軽くなり、クラリーチェクラスになると息をするよりも世界を書き換える方が簡単になる。
故に暴走のような過剰干渉を恐れ、理性で無理やりトリガーを縛っているのだが、驚いたエリスはそれが緩んでしまったようだ。
「いや、第二都市開発空域のことは自分でも反省してな。謝ろうと思ってきたんだ。来客中と聞いていたが、それがクラリーチェだったら問題ないだろう?」
口に詰め込まれたクッキーを食べ終え、少しバツが悪そうに彼方が言う。
「そう! それはなんて間の悪い! 大丈夫よ、彼方さん! 物凄く気にしてるけど気にしてないから!」
「……エリス、支離滅裂なことを言っているように聞こえるんだが」
「いいの! とりあえず、今日は帰って! ごめんね、クラリーチェ。彼方さんを引っ張っていって!」
万能端末を隠したお皿を彼方の視界から遮るように立ち上がると、エリスはぎゅむぎゅむと彼方の胸を押す。
「これはどうなってるんだ、クラリーチェ?」
「タイミングが悪かったって奴だよ。エリスは特に怒ってはいないから今日は出直してあげよう、ね?」
不思議そうな顔をする彼方の手を持って、愉快そうな顔をしたクラリーチェが彼方を温室の外へ誘導していく。
「それじゃあね、エリス。また来るから」
「ええ、助かったわ! 今度来るときは山ほどケーキを用意しておくから楽しみにしていて!」
手を振るエリスに手を振り返し、クラリーチェは彼方を伴って帰っていく。
エリスの役に立てたのは嬉しいけれど、別にそこまで食に対する執念はないんだけどなぁ。と、思いながら。
***
「全く追い出し方が露骨だな。エリスが何を考えているのかさっぱり分からん」
エリスに追い出された帰り道、夕暮れの繁華街を歩きながら彼方がぼやく。
時刻としてはそんなに遅くはないのだが、冬の日暮れは早い。
「そりゃあ、エリスだって秘密の一つや二つはありますよ」
その秘密を共有しているらしいクラリーチェが、どこなく上機嫌な様子で言う。
「秘密か……。よく面倒を見てる分、あいつの両親よりもあいつのことを知ってる自信があったんだがな」
「そう思ってるなら、喜んでおいた方がいいんじゃない? カナ君におんぶだっこだったのが、対等な関係になり始めたってことですよ、それは」
「ああ、そう言う考え方もあるな。確かにそれも俺の反省点になるのか」
ついぞ先日、クラリーチェに教えられたことを思い出しながら彼方は頷く。
「いやぁ、カナ君は真摯だねぇ。好きだよ、君のそう言うところ」
「痛みを伴えば流石の俺でも覚える。しかしクラリーチェ、今日は上機嫌だな」
わざわざ彼方が口に出して言うほど、今日のクラリーチェはご機嫌だ。足取りだけでなく、その語調からも機嫌のよさが伝わってくる。
「そりゃあそうですよ。叡智の塔は封じたし、もう一つ自分で決めた約束も守れそうだから。ようやく自分も自分の未来を最優先にしてもいいかなって」
言って、クラリーチェは蜃気楼のように揺らめく七荻ビルを見上げる。少し前までは大騒ぎされていた七荻ビルだが、今はもう最初からそうであったかのように誰も気に留めていない。
「そうだな、後は歴史の修正ができなくなるまで"待つ"だけでいいんだからな」
「うん、本当はここまで独りでやってから自分の幸せを考えるって決めてたんだけど、カナ君見てたら我慢できなくなって少しフライングしちゃった」
ふふっと悪戯っぽく笑うクラリーチェ。
だが、彼女にしてみれば深い意図はなかっただろう、"自分の幸せを考える"と言う言葉が彼方には少し引っかかった。
「クラリーチェ、自分の幸せは後回しだったのか?」
「んー、私はこの世界に来ただけで報われてるから。なら、その分位は必死になることが私が放棄してきたものに報いることなのかなって。……罪悪感みたいなのかもしれないけど」
少し遠い目をしてクラリーチェが言う。
彼女が何を成そうかは知っているが、何を思って今までの道のりを歩んできたのか、思えば彼方はそれを知らない。
彼方の知りえない平行世界。恐らく彼女にとってはその記憶こそ決意の源であり、あるいは罪悪感の源でもあるのだろう。
「なあ、クラリーチェ、平行世界でのお前を聞いてもいいか?」
だから共に未来を歩むと誓った以上、それを知っておかねばならない。彼方はそう思った。
「え、ええっ……。うーん、別に今更隠すことじゃないけれど、面白くないよ?」
「それでも構わない。俺がお前と一緒に未来を創るというのなら、ちゃんと知っておかないといけないだろう?」
クラリーチェはあまり乗り気そうではなかったが、彼方に押し切られるように頷いた。
「……そう言われると弱いなぁ。分かった、それじゃあ立ち話もなんだから公園にでも行こうか」




