第二都市開発空域10
「さてカナ君、問題です。私はとても怒っています、なぜでしょう?」
帰宅早々、疲労困憊の彼方を容赦なく正座させたクラリーチェは、わざとらしく頬を膨らめて彼方と正対していた。
「俺が無茶をし過ぎたから……だな?」
「そう、当ったり前だよ。危なくなったら私を呼んでって言ったよね!? どうしてあんな絶望的な状況で呼ばないのさ!」
「……無茶をしたのは謝る。理由はお前に負担をかけたくなかったからだ」
「むーっ、そうじゃない、そうじゃないでしょ」
自らも正座したクラリーチェは至極不機嫌そうな表情で彼方の両頬に手を当てると、ごちんと彼方の頭に軽く頭突きをした。
文字通り彼方の目の前にクラリーチェの目が映る。その目はどこまでも真剣だった。
「カナ君、君と私の関係は保護者と被保護者? 違うよね、協力関係であり恋人だよね?」
「あ、ああ」
彼方は恋人の所に突っ込みを入れるべきか迷ったが、流石に言い返せる場面立場ではないだろう。
「つまり与えて与えられる五分五分の関係な訳だよ? 危ない? リスクがある? そういう事してるんだから当たり前じゃない」
クラリーチェは顔を彼方の顔から離すと、彼方の鼻先に指をピンと突き立てる。
「私はカナ君に惚れてるの。一緒に未来を創りたいの。一緒にだよ? 分かる? 君に未来を与えて欲しい訳じゃないよ」
「そこまで説明してもらえれば流石に分かる。すまなかった。汗顔の至りだ」
彼方は深々と頭を下げる。
結局、保護者を気取って彼方一人で何とかしようというのは、クラリーチェを思いやったようでこの上なく軽んじた行為であり、彼方の自己中心的な高慢でしかなかったのだ。
エリスの援護を受けるべきだと考えていたクラリーチェが、強引にその約束を取り付けなかったのも、彼方を対等な相手として尊重していたからこそ。
彼女が呟いた言葉を借りれば、今回の彼方は酷いルール違反と言う事なのだ。
「私は最強のウィッチ。自慢じゃないけど個人で可能なことならほぼ全てできるの。けど、どんな優れた個人でも所詮は誤差に過ぎない。そのことは嫌と言うほど思い知ってる」
クラリーチェは腕を組んでため息をつく。
その表情は普段の彼女からは想像できないほど寂しげだった。
滅びるウィッチの中にあり続け、出会った時のように一人で戦い続け、彼女は独りの限界を嫌と言うほど思い知っているのだろう。
「だから俺が力になってやりたかったんだがな」
「……カナ君さ、お説教してる時にその台詞はずるくない? 悔いる顔でそんなこと言われたらお説教続けれないじゃない」
クラリーチェは頬をほんのり赤らめ、口を尖らせた。
「すまん、この場は逸らさず全て受け止めてると決めている。言い返さないから好きなだけ説教してくれ」
「むー、そんな態度の相手にこれ以上言えないよ。とにかく、これからは一人じゃなくてちゃんと私を頼ってね? ちゃんと私も頼るから」
「ああ」
「よろしい、それじゃ今日のお小言はここまで。またこれからよろしくね、カナ君」
クラリーチェは自らの頬を軽く叩くと、笑顔を作って手を差し出す。
彼方はその手を取って、クラリーチェの手をひっぱりながら立ち上がる。
そして心の中で決意する。この少女と共に未来を歩むに相応しい己になるのだと。
***
第二都市開発空域は数時間前の出来事が嘘のように静けさに包まれていた。
普段ならば常駐している技術者の姿はなく、代わりに巣食っていたウィッチ達は全断の剣によって世界から切り離されて浮かんでいる。
ビルの明かりも今日は消え、宵闇の向こうに浮かぶ夜景だけが明かりを灯す。
そんな中、夜景の明かりを掻き消すように眩い明かりを伴って特別便のモノレールが到着した。
ぞろぞろと降りてくるのは制服姿のウィッチ達。少女達は世界から切り離された仲間達を救出すべく漆黒のビルに繰り出していく。
そうしてほとんどのウィッチがモノレールから降りた頃、私服姿の遥もゆっくりと第二都市開発空域に降り立った。私服姿なのはこのような輩と志を共にしないと言う強い意思表示だ。
「……やれやれ、よりにもよってこれを見つけてしまうとは。私も運がありませんね」
遥は小さくため息をつくと、物陰で世界から遮断されていた彩華を助け起こす。
「あらあら、ありがとうございますわ、遥さん」
遥によって世界への干渉権を取り戻した彩華はゆっくりと立ち上がると、乱れた巫女装束を整えるのではなく、胸から臍までを完全に露にするようにはだけさせた。
「うふふ、やはりこちらの方が落ち着きますわね。火照った体に冷たい風が心地よいですわ」
「ふん、痴女め……。つくづく貴方はやることなすこと全て人にとって有害なのですね」
「心外ですわ。わたくし、全ての人々を愛している自信がありましてよ」
はだけた胸元にぴとりと手を当てて彩華は言う。
「ならばその愛が歪んでいるのでしょう。愛であることとそれが無害であることはまるで別の話です」
「まあ、哲学的ですわね。その言葉を肝に銘じて行動していきますわ」
「お好きなように。私は貴方の邪な企みが瓦解しただけで十分満足です」
「まあ、瓦解ですの?」
不思議そうに小首を傾げる彩華。
「持ち出された叡智の塔の一部は消滅し、未だ第二空中都市もファントムも健在。それはつまり魔女議会が掲げる歴史の修正は失敗に終わったという事。実に喜ばしいことです」
「そのようですわね、残念ですわ」
「貴方達の行おうとしている歴史の修正は、平行世界の記憶と言う舵取りがあって始めて意味を成すもの。それが無い今、もはや歴史を修正する意味が無い」
勝ち誇るように言う遥に、彩華は含みのある笑顔を向ける。
「ええ、困ってしまいましたわ。叡智の塔による歴史の修正を行うには、七荻ビルで封じられた叡智の塔本体を取り出す必要が出てしまいましたもの」
「逃げるファントムを捕まえられるとは思いません。黎明の日とやらはもうすぐなのでしょう? ふ、到底間に合いませんね」
「ファントムさんは捕まえられませんわ。でも、正義感あふれる貴方のお兄様なら……きっと飛び出してきてしまいそうですわよね」
「な、何故そこでお兄様の名が出てくるのです!」
最愛の兄に対する不穏な空気に、遥が動揺を露わにして問いただす。
「今日ここで出会いましたの。素敵なお兄様ですわよね。敵対宣言をいただいた時なんて、わたくし、思わずきゅんとときめいてしまいましたわ」
「くっ、やはりですか。だから近づけたくなかったと言うのに……」
危惧していた通りの展開が起こったことを知り、遥が渋面を作る。
「その後、崩落しそうな第二都市開発空域を止めに尽力する様なんて、わたくし、もう、思い出しただけでまた達してしまいそうですわぁ」
嫌悪感をあらわにする遥を意に介さず、彩華は両手を頬にあてて蕩けた表情で言う。
「そして……最後の最後、彼方さんが窮地に陥ったとき、ファントムさんが助けに来ましたの。見捨てて隠れていれば勝利は確実でしたのに、あれが絆と言うものなのでしょうね? うふふふふふ」
「くううっ、彩華ッ! さてはお兄様を餌にファントムを釣る魂胆ですね!?」
鬼の形相をした遥は自らの獲物である刀型の因果調律鍵を構えて彩華の首筋に突きつけた。
「お兄様に危害を加えるつもりだと言うのなら……この場全員を相手取ってでも私が止めます。いいですね!?」
「まあ、怖い。でも、彼方さんに危害を加える人が居るのなら……それは他ならぬ遥さん、でしてよ?」
彩華が遥の目の前でつうっと指を滑らせる。
途端、遥の体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「な……っ?」
地面に這いつくばった遥は搾り出すように驚きの声をあげる。
体は自らの意思に従わず、記憶の片隅には自らが知るはずもない記憶が明確に生じている。
「魔法とは世界という情報を解析し作り変えることだと伺っておりますわ。つまり、遥さんのように力のあるウィッチさんは、より多くの情報を取り扱えるのですわね。圧縮した状態の叡智の塔なら気がつかないほどの情報量を」
「知らぬ間に私の中に叡智の塔を忍ばせておいたというのですね……!」
遥もウィッチの端くれ、その理屈は分かる。ウィッチになった途端、飛躍的に記憶力や計算力が上昇する者が居るのもそのためだ。
だが、ウィッチではないはずのこの少女が何故それを扱えているのか、それが分からない。
「御巫は古くは神降ろしにて栄えた一族。この場合の神とは即ち世界と言う器に蓄積された情報を意味しますの。つまりは叡智の塔と同じ要素を持つものですわ」
「つまり貴方もウィッチ──!」
「遥さん、早とちりはいけませんわ。わたくしはウィッチのみが取り扱える情報を集め、選り分け、蓄積することはできても行使はできない収納箱。人がウィッチという新種に進化するプロセスの途中で生じた存在、そう解釈しておりますわ」
言って、にっこりと彩華が微笑む。
「……貴方が諸悪の根源であったことには変わりないでしょう。ファントムの登場で生じたであろう平行世界との接点。それを使ってひたすらに情報をかき集め、蓄積させたもの、それが叡智の塔の正体!」
「私ができるのは巫女として降ろした神を同じ素質を持つものに受け渡すことだけですの。庭園と言う明確な形を成したのはウィッチさん達の成せる業でしてよ?」
どうして人をああも見下すウィッチ達がこの少女だけを重用するのか、遥はその理由を完全に理解した。
そして、庭園憑き共も歪む訳だ。叡智の塔に含まれる"意思"と言う情報の中に、この少女の意思が含まれているのならば、人にとって有害な存在に成り下がるのも道理だ。
「わたくし、人で良かったと思いますの。間もなく訪れる黎明の日によって、人の歴史は確実な終焉を義務付けられる予定ですわ。定められた終わりの前で、わたくしは他の人々と同じように惑い、後悔し、必死になって今を生き抜いていく、想像しただけで胸が高鳴りますわぁ! そんな最後の輝きを放つ人類史を、遥さんは他のウィッチさん達と一緒に笑覧くださいましっ! ふふっ、うふふふふふふふふふふ!」
彩華は衣服を脱ぎ捨て一糸纏わぬ姿となると、両手を天に掲げて高笑いする。その姿は正しく魔宴の主宰。
這いつくばった遥は、その姿を殺気を込めた眼差しで見据えることしかできなかった。




