第二都市開発空域5
「ううーっ、酷い目に遭ったわ……。迷子センターなる施設が有ったのが不幸中の幸いね」
高層ビルの中腹から突き出た橋の上、無事彼方達と再会を果たしたエリスは、彼方の右腕を胸の谷間で挟みこむようにして歩いていた。
余程情けない思いをしたのか、その眼はどことなく潤んでいる。
「だからって、そこまでカナ君にべったりとくっつくのはどうかと思うけどね」
そんなエリスに対抗意識を燃やしたらしいクラリーチェが、彼方の左腕を抱きかかえるように掴みながら言う。
「それは確かなんだが、この状態でお前が言っていい台詞でもないと思うんだがな……」
彼方は言いながらさりげなく周囲を見回す。
当初の予定通り巡回しているだろうウィッチの様子を探るためだ。
この状態で歩き回ること数十分、今の所ウィッチの姿を見かけてはいない。
見つけなければ相手の様子は探れないのだが、この状態で出会うのは顔を覚えてくれと言っているようなものだから、好都合といえなくもないのが悩ましい。
「そこは仕方ないよ。エリスにだけカナ君を好き勝手される訳にはいかないじゃない」
「なら、二人とも揃って離れてくれ、それでいいだろう?」
「だ、駄目よ、また迷子になったらどうするの? もう一度迷子センターのお世話になるのは流石の私でも恥ずかしい行為だって分かるわ!」
彼方の腕を捕まえるエリスの力が強くなる。離れる気は毛頭無いと言う意思表示らしい。
「エリス、そもそも迷子センターに頼らなくても万能端末を使えばいい。俺の番号は登録されているだろう?」
万能端末は二十一世紀初頭にスマートフォンと呼ばれていた電子機器の後継であり、普及率ほぼ百パーセントを誇る生活必需品。七荻の主力製品の内一つだ。
スマートフォンの後継機だけあって、通話だけでなくネットワーク接続や電子ウォレットなどなど生活に必須の機能が多数搭載されている。
「うーん、私は使い方が分からないから連絡が取れないけれど、彼方さんが掛けてくれれば通じるかもしれないわ」
だがこの反応が示す通り、エリスは万能端末に大して興味も関心も持っていない。
本来なら授業で使う教科書なども電子書籍として内蔵されているため、エリスの年齢ならば特に避けては通れない代物なのだが、ウィッチとして高い記憶力を持つ上に専属の家庭教師まで居るエリスはそれを必要としなかった。もし万能端末が必要になっても使うのは従者に任せ、エリス本人が万能端末を触ることは滅多にない。
エリスが今所持している万能端末も、他人任せな様子を見るに見かねた彼方が無理やり持たせているものだ。
「お前な……。クラリーチェ、番号を教えるから試しに掛けてみてくれ」
「え、私が?」
「ああ、何しろ俺は両手が塞がっているからな」
次いで彼方がエリスの番号を暗唱する。
クラリーチェに頼んだ理由の半分は言葉通り、そしてもう半分はこれをきっかけにしてこちらの世界でもエリスとクラリーチェが仲良くなれればと言う計らいだ。
「ふぅん、うんうん」
クラリーチェは小さく頷きながら万能端末のタッチパネルに指を滑らせていく。
「エリス、今通話機能を使ってるけど電波が届かないって」
「そうなの? 確認してみるわ」
エリスは彼方の腕を掴んだままごそごそと小さいポーチをかき混ぜ、えいやっと万能端末を取り出した。
「彼方さん、画面に触れても真っ黒いままのだけれど」
「最後に充電したのは?」
「いつなのかしら? うちのメイドも私と同じでこういう電子機器にはとんと疎いから」
「その言葉でよく分かった。十中八九電池切れだな」
「電池切れって……。エリス、現代人として大丈夫なの? 万能端末依存症ってのも有る位なのにさ」
「大丈夫よ。いざとなったら彼方さんに頼むだけだもの」
ね、と彼方に同意を求めるエリスに、クラリーチェは冷ややかな眼差しを向けた。
「カナ君、カナ君。エリスをそんなに甘やかしちゃダメだからね? カナ君が思ってるよりもこの子はやればできる子だから。軽く千尋の谷に突き落とすぐらいで丁度いいんだよ」
「せ、千尋の谷に突き落とすのは軽くじゃないと思うわ。彼方さんは谷底に突き落としたりはしないわよね?」
「流石にそこまではしないが、多少甘やかさないように気をつけないといけないとは思ってる」
「うーっ、私甘やかされているかしら」
不満げに頬を膨らめるエリス。
「そこは後でおいおい反省してみればいい。ほら、ついたぞ」
橋を渡り終えた三人が辿り着いたのは、高層ビルを取り巻くビルのひとつにある屋上フードコート。
隣接した高層ビルは大海原を見下ろせるように全面ガラス張りになっているため、このフードコートからなら中の様子を確認できる。巡回しているウィッチの様子を探るのにももって来いという訳だ。
「二人とも席を取っておいてくれ、俺は注文をしてくる」
「うん、分かった」
「彼方さん、迷子にならないようにね」
「ならないから安心して待っていてくれ」
ようやくその両腕を開放された彼方は、腕を軽く回した後、手早く注文を済ましてパンケーキを受け取ると、ビルの様子を窺えるよう少し大回りしながら席を確保しているだろう方向へと歩いていく。
「しかし、本当に姿が見えないな。ショッピングモールの警備員程度には見かけると思っていたんだが……」
遠目に高層ビルの内部を観察しながら彼方は首を傾げる。
幾らウィッチの総数が少ないとはいえ、ここの下層にはその本拠地があるのだ。
気ままな年頃の少女達とは言えここまで見かけないものだろうか。
と、見回しているうちにビルの人混みに違和感があることに気がつく。ビルの中を歩いていた時は散り散りだった人の流れが、今はひとつの方向に向けて流れている。
「あの人の流れはどこに向かっているんだ?」
何かイベントでもあるのだろうか、目敏いクラリーチェならば知っていることだろう。
彼方は僅かな違和感を覚えつつも席を確保しているはずのクラリーチェ達を探す。
その時、地鳴りのような音共にビルが一度ぐらりと揺れた。
「────揺れた!?」
揺れが収まるのと同時、彼方は緩んでいた思考を一気に緊急時のものへと切り替える。
揺れも音も一度だけで今は収まっている。だが一度でも揺れたのが大問題なのだ。
魔法によって物理法則が改竄されている浮遊建造物は地震は勿論のこと風などの影響も一切受けない。
ロッドによって行使できる魔法は、ウィッチのそれと同じく因果律の制御解析による世界の改竄だ。昔話の魔法のように"魔法が解ける"などと言う事態は起こらない。
つまり浮遊建造物が揺れるとしたらその理由はただ一つ、何者かによって浮遊建造物が再改竄された場合だけ。そしてそれは恐らく──落下を意味する。
「居た、二人とも!」
だとすれば悠長にしている暇などない。
彼方は大急ぎで二人の居場所を見つけ、急ぎ足で席へと向かう。
「あら、彼方さん。お先にドーナツを貰っているわよ」
席にやって来る彼方を見つけ、道中で買ったチョコがけのドーナツを食べているエリスが、いつも通りのんびりとした様子で言う。
しかし、向かいの席に座るクラリーチェは既に彼方と同じように剣呑な空気を漂わせていた。
「その様子だと俺の勘違いじゃないみたいだな」
「勘違いならどれだけよかったことだろうねぇ、せっかく楽しく談笑してたのが台無しだよ」
「あら、クラリーチェの機嫌が急に悪くなったと思ったら、彼方さんもなのね」
「この建物が揺れただろう。普通、浮遊建造物は揺れないんだ。揺れるとしたら……」
言いかけた所で彼方は口をつぐむ。
周囲に居る人々もエリス同様にのんびりとしたままだ。
ただ魔法で浮かんだだけの建物が観光スポットになっているだけあって、まだ魔法は一般レベルにまで普及しているとは言い難い。一般人にとって魔法のイメージは未だにファンタジーに出てくる魔法のままなのだ。
つまり周囲の人々が落ち着いているのは魔法に対する理解がない故のこと。
ならばここから先を言ってはいけない。
彼方が慌てふためいて危機を煽れば、反動で凄まじいパニックを引き起こしかねない。
「確かに物理法則が再改竄されてるみたいだけれど、彼方さんが慌てなくても大丈夫じゃないかしら? そのためにウィッチが常駐しているんでしょう、ここ」
危機感を抱いている二人の様子を見て、エリスはマイペースを崩さずにそう言って次のドーナツに手を伸ばす。
「うぅん、いや……まあ普通はそう考えるよね。魔法に対する知識があってもさ」
確かにとクラリーチェが苦笑いする。
この事態を引き起こしているだろう存在が、本来その抑止力となるはずの存在なのだと誰が思うだろうか。
「俺は周囲の様子を確認してくる。ビルの人の流れを見るに改竄されているのはここだけじゃなさそうだ」
彼方は手にしていたパンケーキをテーブルに置くと一目散に高層ビルへと踵を返す。
しかし、それよりも早く元凶の一端が飛来する。それは蒼穹を切り裂いて舞い降りた一人のウィッチだった。




