『生きることは、恥ではありません』
叩きつけるような雨が降り始めた。辺りが薄暗くなり、リシャットの目が爛々と輝き出す。
金色の粒子が辺りを包むように広がる。それが覆われているところは雨が幾分か防がれているようだ。
リシャットもライレンも、睨みあったまま動かない。リシャットはこれからどう動くか迷っているから。ライレンは、濃密な死すら生温いと感じるほどの消滅の気配を金色の魔力から感じているからだ。
リシャットの力は以前の数百倍に膨れ上がっており、現在も尚少しずつ、確実にその総量を増している。
それは力加減を間違えれば簡単に町ひとつ吹き飛ばしてしまうくらいのものである。
勿論本気を出せばこの世界丸ごと無かったことにもできるだろう。
それを理解しているのは他でもないリシャットであり、下手に力を使ってしまうことを恐れて戦うことそれ自体を避けようとしている。
ここまで感情が高ぶるのは何十年も無かった。
1歩、ライレンが踏み込む。リシャットは一瞬体を硬直させる。それと同時に金色のオーラが揺らいだ。だが、それも直ぐに元のように戻る。
互いに一歩も引けないような状況だった。
すると突然リシャットが顔をあげて山頂付近を見詰める。ぼそりと何かを呟くと金色の粒子が徐々に薄くなっていく。
「………鉄砲水、だ…………」
目を瞑り、柏手を打つ。何か言葉を紡ごうとした口が塞がれて一瞬焦る。
「っ⁉」
【今ここは戦場ですよ? よそ見していていいんですか?】
邪魔されたことへの怒りからか、それともライレンに煽られたことによる挑発か。リシャットは反射的にライレンに向かって魔法を唱えていた。
端折りに端折って紡がれた言葉はたった一言。
「水の鞭」
初級の初級といわれる攻撃魔法でもリシャットが唱えれば凶器にしかならない。
自分の魔力をほとんど使うことなく周辺の雨水が巨大な鞭のような形をとり、ライレンに襲い掛かる。
口が動いた瞬間に重力魔法と土魔法で無理矢理自分の体を弾き飛ばすという選択を取ったためにライレンはギリギリでそれを避けることができた。
だが、鞭の勢いはそのまま地面に向い、山肌が抉りとられるように切り落とされた。
当たったら、ヤバイ。ここまで本気でそう考えたことなどあっただろうか。
しかも超初級魔法でこれである。熟練度も低い水系統の魔法だったからむしろこれで済んだだけかもしれない。
もしこれが使いなれている魔晶属性系のものだったとしたら。失われるのは山どころではないのかもしれない。
これをみて驚いているのはライレンだけではない。リシャットも自分がやったことに驚いていた。精々深々と地面に跡をつけるくらいの勢いでやったのに大きく山を削ることになるとは想像していなかった。
威力計算が、出来ない。
「………っ!」
削り取られたようにへこんでいる山を見て、数歩後退る。ほんの少し、手が震えていた。
溢れ出ている魔力がまた揺らぎ、透明に近い色になっていく。
遮るものがなくなって、魔力である程度防がれていた雨がリシャットの肩や頬に打ち付けられた。
「っ、駄目、だ………ここにいると………物事を考えられなくなる………」
頭を押さえて考えを振り払うように目を伏せた。魔力は完全に収まっていた。
ただひたすらに、雨の音が鳴り続ける。
雷の音も聞こえ始めた。この辺りはよく雷が落ちるので早く帰らなくては、そう思いながら泥だらけの地面を踏み締めて片付けを始めようとした。
その瞬間、辺りが真っ暗になった。否、何かが覆うように降ってきたといったほうが正しいだろう。
泥や石、木が洪水か雪崩のように押し寄せてきたのだ。
リシャットに当たってもなんの被害も受けないだろう。平然と受け流せるだけの力はあるし、そうでなくとも正面衝突したところでダメージは通らない。
服はその限りではないが。
「あっ………!」
いつもなら魔法で防ぐだろうがあまりにも唐突だったために冷静な判断ができなかった。
いや、鉄砲水がくるとは予測していたのだ。それで動かなかったリシャットが悪い。
ウエストポーチが何かに引っ張られて鉄砲水の範囲外に体が弾き飛ばされる。視線をやると、案の定ライレンがリシャットを引っ張りあげていた。
視界の端で、ワインのボトルが泥に埋もれていくのが見えた。
「やっぱり……もう無いか」
花も墓石がわりに使っていた岩も流されてしまった。ワイングラスの破片が一欠片見つかったぐらいでそれ以上の収穫はない。
削ってしまった山は直ぐに直したが、石は戻らなかった。
リシャットがそこを見つめ続けていると、
『………マスター』
「………ん?」
『ライレンの言葉に同意するようで嫌なのですが、ここから動けなくなる貴方は見ていられません』
「…………」
雨は小降りにはなってきたがまだ結構降っている。泥を掻き分けて進んでいたのに、それが全て流れるくらいには降っている。
「………シアンも、そう言うのか………?」
夜、一人で眠るのを怖がる子供のような聞き方だった。
ポツリと呟かされたその言葉は、自嘲的な響きも含まれていた。
『私の言葉はマスターの言葉です。私はマスターの記憶を知っているだけの能力に過ぎないのですから。私の言葉はマスターの本心そのものです』
「このままじゃいけないとは、思う………思うが無理なんだ………二人が死んだのは、俺のせい………だから………」
白亜としてあの場にいたところで何も出来ることはない。今持っている力が当時の時点であれば、また結果は大分違うものになっているのだろう。
『不謹慎なようですが、私はマスターの両親がなくならなければマスターと会うことはありませんでした。ジュードもキキョウもリン様も同じです。ですから私はマスターの両親にお礼を言いたいのです。マスターと出会わせてくれてありがとう、と』
「………結果論だろう、それは」
『結果論でも、事実です。それで救われた人もいるのですから、救った人のことを助けましょう。胸を張って両親にこれだけの人を救ったと、そう言いに行けるように』
シアンは所詮能力だ。生き物として存在しているわけではなく、リシャットの中でしか存在することが許されていない。
リシャットがこんな性格でなければシアンに人格は生まれなかっただろう。それも全て、両親が引き合わせた運命ともいえる奇跡。
『生きることは、恥ではありません』
雨は一時的なものだったようで、いつのまにか止んでいた。
『生きることを諦め、目を逸らす方がよっぽど恥なのです。ご両親に気高く生きた証を見せる為に、今を生きてください』




