「塗る必要性がないだろう」
「リシャットさんの笑顔って割りとレアやな」
「下らないこと言ってないで学校に行くぞ。清水が不安がって………っ」
ベッドから立ち上がりかけて直ぐにまた座る。その手は右肩を押さえていた。
「あ、腕あるやんけ!」
「今更だな………無いが?」
「ギャアアアアア⁉」
「煩い」
ポロリとリシャット腕が落ち、伊東が驚いて叫ぶ。義手をはずしただけだが。
「みろ、機械だ」
「あ、ほんまや………ってことはやっぱりもうないんやな」
「ない」
「もう一回生やせへんの?」
「出来なくはないが、もう少し切り落としてから再生しないといけないからな………」
「そこまでしろとは言わへんで⁉」
カチャカチャと片手で義手を弄ってからまたつける。
「機械そのものって感じやな。塗ったりせえへんの?」
「塗る必要性がないだろう」
「ああ、うん、せやな………」
リシャットはこういう人である。
「じゃあ飛ぶから手に掴まれ」
「え、まりょく? は大丈夫なんか」
「お前がいない間に色々あったんだよ。使っても使っても底が見えない程度には魔力があるしな」
それだけではなく、今は時空神。空間を切ったり繋げたりするのは寧ろそれが専門のようなものだ。
学校の門の前に飛び、悠々と中に入っていくリシャット。時間的には二時間目辺りだ。
クレーターだらけのグラウンドを通りすぎ、靴を履き変えて中にはいる。
いつもならそのまま真っ直ぐ校長室に行くのだがリシャットはそこを通りすぎ、職員室に向かう。
職員室をノックもなしでずんずんと進んでいくリシャットについていくと、机に突っ伏して寝ている清水の姿があった。
リシャットが少し揺すってみたが、起きる気配がなかったので少しだけとんでもないことをした。
「キャ⁉」
「職員室で寝るとは大層なご身分だな」
「え、あ、リシャットさんおかえりなさい………?」
軽く電気ショックを起こして目を覚まさせ、後ろを向けと言う。寝惚けた目で振り返った清水はその直後、椅子から転げ落ちた。
「え、え? 伊東先生?」
「あー、その、なんや。……ただいま」
「お、おかえりなさい……」
清水はリシャットと伊東をなんども見比べて、
「見つかったんですか」
「なんとかな。勘があたって良かったよ」
本当に運が良くなっていて助かった。
(まさかこんなときに運気の転換が役に立つとは)
『本当にグッドタイミングでしたね』
ハクアの時からずっと続けていた運気の転換。それが効果を発揮してくれた。
2、30年かかってしまったが、結果オーライだろう。
「………再開を喜ぶのはいいが、せめて報告をしてからにしないか」
「「あっ…………」」
校長室に改めて向かうと、岡村が不在だった。
「なんで居ないんですかね?」
「いつもならこの時間にはおるやろ」
「いや、校内に居る音は聞こえないな。外に出てるんだろう」
目を瞑って周囲の音を聞いていたリシャットが目を開けてそう言う。
「そうですか………あ! グラウンド直してくださいよ!」
「そういや忘れてたな………直してくる」
「直ぐに直るものなんですか?」
「あれぐらいならな」
リシャットは表に出て、穴だらけのグラウンドに棒でガリガリとなにかを書く。
文字にも数字にも見えるが、見ようによっては絵に見えるかもしれない。
リシャットはそれを書き終えて直ぐに中央に立ち、柏手をうつ。
「時空神の名において命ず。……時間を戻し、あるべき姿に固定せよ」
パキン、と何かが割れた音がした。
それは時間が引き戻された音であり、空間がねじ曲げられた音でもある。凹みやひび割れが徐々に元通りになっていく様は、恐ろしいほどに神秘的であった。
「あ、やり過ぎた………」
「「なんでやねん!」」
校庭がジャングルと化していた。
時間を戻しすぎたのだ。
「リシャットさんこれどうするんです⁉」
「………こういう雰囲気の学校ってことにしちゃ駄目かな………?」
「どんな学校ですか」
力が有り余りすぎていて抑え方が寧ろ判らなくなっているリシャットに鋭く突っ込みを入れる清水。
「これ歩くのにも一苦労ですよ………」
「俺がすんでたところはこんな感じだったけど………」
「揮卿台白亜ですか? 確かに山奥ですけどここ都会です」
「ああ、うん………」
もう大分面倒になってきているようだ。正直早く直してもらわないと本当にやる気が失せそうである。
「ほら、直してくださいよ」
「はいはい………」
もう一度同じことをやり直したらちゃんと元のグラウンドに戻った。若干砂がサラサラしている上に柔らかい気がするが、気のせいだろう。
今のジャングル化騒ぎで子供たちが窓からこちらを見ているようだった。
「面倒くさい。俺はもう帰る………疲れた」
「お、お疲れ様です」
「お疲れ。伊東、それ返してくれ」
「あ、はい」
ウエストポーチを受け取り、直ぐに踵を返すリシャット。
本当にすぐ帰るつもりのようである。
「リシャットさん!」
「………ん?」
「助けに来てくれてありがとうございました」
「……ああ」
片手を上げて門を出ていった。それから少しして岡村が帰ってきたが、リシャットとはすれ違いになってしまったと聞いて悔しがっていた。
その日の夜、近所の居酒屋で教師達による宴会が開かれたことは子供達の間で知られることになるほど盛大に開かれたのだった。
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ポタポタと水が瓶の横から垂れていく。
冷たく冷えたワインの瓶は特に中と外との温度差で水滴が付きやすかった。
「着いた………」
静かにそこに座って花束を置き、手を合わせた。
「ただいま」
片手でコルクを抜き、ワイングラスを二つ石の上に置いて中身を注ぐ。
透き通るような赤ワインが背後の墓を映し出す。
「俺、まだ酒飲めないんだ。もう70近くなってるつもりで居るのにまだ体は10歳だよ」
蜜柑や林檎を切り分けて墓の前に置く。
「今はもう一人じゃない。帰る場所も、人もいる。弟子も沢山いる。だから………心配しなくていいからさ」
真下の地面に生えていた雑草がほんの少し濡れる。
「俺は今………多分幸せだ。二人が居たら、また違っていたのかもしれないけど」
その言葉に答える者は誰もいない。
風や木の葉の擦れる音のみがただただ虚しく辺りに響いていた。




