「こんなに弱いのにか?」
リシャットが鞄のなかから取り出したのはコートだった。それも、サイズ的には大人用。
靴も取り出すが、どう見てもサイズがあわない。
「なんや、それ」
「5分、5分だ。それまで全力で生徒を守り抜け。いいな?」
「突然どうしたん」
「今の俺が死なないギリギリのラインが5分だから」
さらっと連絡事項を伝えるようにそう言うリシャットの肩を掴む。このまま放っておいたら無視して外に行きそうだったからだ。
「ちょい、待てや。死なないギリギリのラインってなんやねん」
「読んで字のごとく、だが?」
「まるで死にに行くみたいやんけ」
「そうだな」
何を今更、とでも言いたげな表情のリシャットに怒りを覚える。気づいたときには渾身の一撃を頬にぶつけていた。
「アホか⁉ あんた死んだらどうなるねん! マジで日本終わるで⁉」
「ここで止めなかったらそれこそ日本は終わる。お前は知らないだろうがこの校舎は全国に張ってある結界の維持も担っているんだ。ここが壊れたら一般人が死ぬんだぞ」
淡々と告げるリシャット。喉が痛くて大声を出せないからなのか、それともあまり関心がないのか。
通路を塞ぐようにして立っていた伊東を押し退けて歩く。
「じゃあ俺も―――」
「こんなに弱いのにか?」
声をあげた瞬間、前にいた筈のリシャットが後ろから伊東の首にナイフを突き付けていた。全く視認できなかったその早さに息を飲む。
「足手まといは要らない。今の俺と同等以上の力があると認めない限り俺は俺以外のやつを同じ戦場に立たせるつもりなんてない。さっさと生徒たちの避難誘導を済ませろ」
圧倒的な実力の差という壁を目の当たりにして伊東が地面に座り込む。
「頼んだぞ、お前ら」
『それは大丈夫っすけど、旦那が大丈夫なんすか? 無理してるのが目に見えてわかるんすけど』
「俺の心配はいらない」
外に出て、ぶかぶかのコートとブーツを履く。リシャットが立ち上がった瞬間、その背が一気に大きくなっていたことに全員が驚いた。服も靴も今の背丈にピッタリである。
リシャットは長い髪を一つに纏めながら体の具合を確かめるように何度かジャンプする。
「………まぁ、いいだろう」
そう呟いた瞬間、その体が消えた。一陣の風が辺りに吹いたかと思ったらなんの前兆もなく魔獣が数機吹き飛んでいく。
否、よく見ると一瞬だけ銀色の光が運動場を駆け回っているのが見えるのだ。
だが、それも本当に一瞬で全くと言っていいほど目に写ることはない。
「なんや、あれは………」
「今の一瞬で何機倒したんだ………?」
完全にリシャット一人が魔獣を圧倒していた。風が吹く度になにかしらの被害をあちらに齎しているのだから、それは間違いないだろう。
だが、誰が気づいただろうか。もしかすると、誰も気づいていなかったのかもしれない。
白銀の光に、赤黒いシミが飛び散り始めていたことを。
「っ、痛い………」
足が、腕が、頭が、全身が、悲鳴をあげている。元々身体強化できるほどの気力は殆ど残っていなかった。それを補うために地脈を使ったのだが、副作用が半端なものではなかったのだ。
骨は軋み、血が波打つだけで痺れと突き刺すような鋭い痛みが全身を駆け巡り、口の端からは気づかぬうちに血が垂れている。
攻撃する度に破片で足は傷つき、貧血なのか魔力切れなのかハッキリとしないが踏み出す度に感じる目眩。
「あ、ヤバ………」
もう少しで全部倒しきると思った所で足の感覚が完全に無くなった。そんな状態の体を動かせる筈もなく、崩れ落ちるように倒れこむ。
体は、既にもとの大きさに戻ってしまっていた。
後たったの2機なのに、体が反応してくれない。力を込めてみたが動いたのは左手の人指し指だった。
ザクザクとなにかが近付いてくる足音がする。残った2機だとすぐにわかった。
何とか動かないかと体に鞭をいれたが、上半身を起こして座るような体勢になるのが精一杯で歩くことすら困難だった。
「く……っ!」
魔法を使おうと魔力を全身に流した瞬間、とてつもない脱力感と痺れに襲われた。
魔力切れを起こすと大抵の者は気絶するが、リシャットのように精神力が下手に強かったりすると気絶できない場合がある。そういうときに魔力切れを起こした者は大抵死ぬと言われている。
何故なら全身が電流を流したように痺れ、麻痺を起こすからだ。それは、心臓を含めた臓器も同じこと。
つまり、脳や心臓が麻痺し、死に至る人が殆どなのだ。
「ぐっ……かはっ……‼」
一気に沈んでいく意識を何とか引き留めるのが限界だった。それ以上のことなど望めない。
(息が……できない……!)
震える手でウエストポーチに入っている風を起こす魔方陣を起動し、肺に空気を送らせる。無理矢理だが、今はこれしか方法がない。
「キシャアアア!」
「なっ⁉」
動けないリシャットが苦し紛れに振り抜いた右手をガッチリと掴む魔獣。意味がわからず一瞬動きが止まってしまった。
そのたったコンマ数秒で魔獣の体から出てきた注射器程の太さの針が深々とリシャットの腕に突き刺さり、リシャットの特殊な目に自分の腕になにかが入り込んだのがハッキリと捉えられた。
「ぐぁあああああっ⁉」
今世で初めて痛みでここまで叫んだかもしれない、と思うような声がリシャットの喉から発せられる。痛みなんて言葉が生温いような激痛が右腕に走る。
魔眼には、まるで別の生き物が自分の腕を食い荒らしているように映っていた。
(不味い…………っ)
一瞬の躊躇いの後に左手に隠し持っていたトランプをなるべく見ないように右手に向かって一閃する。
恐ろしいほど大量の血が周囲に散らばった。凶悪なまでに鋭いカードが真っ赤に染まって地面に落ちる。
右手があった筈の場所に最低限のポーションをかけた。もう痛みなど殆どなかった。
ジュウ、と生々しい音をたてながら腕の肉が再生され―――止まる。
肩から先は、完全に無くなった。
それを治す術は、今は皆無である。
失った部位を生やす魔法はあるし、リシャットも使えはする。だが、今の力ではそれを成せるほどの量はなく、薬を作るにしても材料がない。
ならいっそのことと治療不可能にしてしまったのだ。ここから腕を生やしたいなら今治したところを再度切り落とす必要がある。
「っ!」
切り落とされた手に何かが見える。魔力とは別のリシャットも知らない力。それにとてつもない恐怖を感じ、魔方陣を再び投げるとそこら一帯が爆発する。
完全に自分の腕が焼失したのを見て爆風を利用しながら後退するが、足に力が入らないのと目眩と痺れで予想していた以上に風に煽られて体勢を崩す。
「リシャットさん!」
何かに抱えられるようにして地面に落下した。それほど痛くない。
「し、みず………」
目を開けると泣きながら自分の右肩辺りを凝視している清水がいた。飛ばされたリシャットをキャッチした状態でスライディングしたようで右半身が泥でまみれている。
「なんで私たちを頼ってくれないんですか………! 腕まで無くして、それでも信じられないんですか………!」
横に目をやると惑が覗きこんでおり、優しくリシャットの右肩を舐める。
「リシャットさんが死んだら………私たちどうなるんですか………」
ぽたぽたと自分の頬に清水の目から零れた涙が当たるのを感じ、なんとか動く左手を惑の頭にのせて震える手で撫でる。
「死なないから安心………しろ」
小さく笑うが、本当に弱々しい。いつもの覇気が全く感じられないのだ。
「ギシャアアアアアア!」
「どうしよう………後2機もいるのに………!」
リシャットを抱えて走るにも限界がある。疲れを知らない魔獣にならすぐに追い付かれてしまう。
「多分………俺だ」
「え?」
「こいつらの………狙い、は俺………だ」
そう言って清水を突き飛ばすリシャット。かなり弱っているとは言ってもリシャットの怪力には当然敵わず、後方に弾き飛ばされる。
「キャッ⁉」
『問題ないか』
「わ、惑さん」
『ないなら早く降り………⁉』
惑も、なぜリシャットが突き飛ばしたのかわからないが守れという命令を受けてるからにはと清水を優先したのだ。その表情にハッキリと焦りが見てとれる。
『あれは………!』
リシャットの目の前に出現したのは、真っ黒な空間の裂け目。清水をくわえて校舎に向かって走る。
「リシャットさんが! なんで置いていくの―――」
『主人には悪いが………あそこには近付けん!』




