『私を、使ってください』
なにか嫌なことが起こる予感はあった。そう感じながら目の前に広がる真っ暗な裂け目を見る。
「これは………無理……だな」
もう、抵抗もする気も失せてしまった。しかし、これではっきりしたのだ。
魔獣は……亜人戦闘機は別世界を行き来していたことを。
先程の一瞬、目を離した隙に亜人戦闘機が消えるのを目にしていた。あれは空間転移ではない。世界間転移だと使いなれているリシャットにはすぐに理解できた。
だが、リシャットが異世界に行く際には魔力をガッツリ使って道を確保、周囲に影響を与えずに移動していたのに対し、こちらはかなり強引な移動の仕方だった。
周囲への被害を一切考えていない、リシャットから見れば雑すぎる転移。
今目の前にある空間の裂け目は転移に失敗したときに現れるものだからだ。これは、なにかを飲み込まなければ消えることはない。
リシャットは肩を押さえながら小さくため息をついた。
「………最後の最後で、これかよ………」
ここに入ったらもう二度と帰ってこられない可能性がある。否、ほぼ100パーセント帰ってこられない。
ただの世界間移動なら帰ってこられるかもしれないがその狭間になってくると空間や時間の概念がほぼない状態になり、そのままどこに飛ばされてもおかしくはない。
引っ張られるような感覚を覚えながらもそれに抵抗する術がない。
その瞬間、なにかに服を引っ張られる感覚がした。それはそのままリシャットの胴に巻き付き、ロープで引き上げられているような負荷が腹にかかる。
完全に諦めていたリシャットが目を見開くと横からリシャットの前に出るように誰かが現れた。
「……!」
その人物はリシャットを反対方向に思いきり投げ、その反動で空間の裂け目に引きずり込まれていく。
咄嗟の判断でウエストポーチの金具を壊して無理矢理自分の腰から外し、投げる。
「迎えに行くまでそれを絶対に手放すな!」
ウエストポーチをなんとかキャッチし、武器を持っていない方の手でサムズアップしてみせる男。
その瞬間、黒い裂け目がその男を吸い込んで、消えた。空気が真空状態のところになだれ込むように引きずり込まれていた体がそれが止まったせいで落下する。
「っ!」
自分の腹を見てみるとライオンの尾のようなものが巻き付いていた。これが命綱となっていたのは間違いはないが、あの人がリシャットを押さなければ今頃あそこに閉じ込められていただろう。
先程までの裂け目は既になく、何事もなかったかのように穏やかな風が頬を撫でていく。
左手一本で這うように動かして裂け目のあったところに近付くがそこにはなんの痕跡も残っていない。
「リシャットさん!」
『主人!』
惑に乗った清水がリシャットを心配そうに見つめる。
「リシャットさん………?」
俯いたまま動かないリシャットだったが、
「………怪我人は?」
嗄れた声でそう小さく問う。
「リシャットさんのお陰で避難の際に転んだ子はいましたがそれ以外はなにも」
「…………そうか」
再び、沈黙の時間が流れる。
「大丈夫ですか、その、怪我とか、あの」
「………俺は丈夫だから問題ない」
「死にかけてた人がなに言ってるんです」
「…………死んでないからセーフだ」
セーフゾーンが広すぎるリシャットの答えに若干戸惑う。
「…………すまん。一人に、してくれ………。すぐに戻る………」
声が震えていた。清水と惑はなんどか振り返りながらその場から去り、クレーターだらけの運動場に一人リシャットが残された。
「………シアン」
今まで切っていたリンクを繋ぐ。
『マスター。なんでこんなことを………』
「俺、守れなかった」
『…………』
「守るって守ってやるって言ったのに………俺は」
血や泥で汚れた髪が、徐々に乾いてそして別の水で濡れていく。
今まで殆ど見せたことのない物が決壊したように次から次へと言葉と共に零れていく。
「もう………俺に異界間を移動するような力はない………なんでいつもなんでこうなるんだよ………」
他人の死を酷く嫌うリシャットだからこそ、手に届く範囲にいたのに守りきれなかったのが本当に辛いのだ。
『マスター。いえ、白亜様。一体いつまでメソメソしているつもりですか? 若者の言葉を借りるなら、わーダッセー! キモッ! です』
「どこで覚えてきたんだよそんなの………」
『伊東様を助けられるのは今は貴方のみです。それをよく考えなさい。うじうじしていてもなにも進みません。それこそキモイです』
珍しく言葉のナイフでザクザクと抉ってくるシアンの言葉にうっと呻くリシャット。
『白亜様はそんな女々しい方ではないでしょう? 繊細に見えて雑なので扱いに困ってるんですよ』
「ここぞとばかりに古傷を抉るような事を………」
『傷心中の今がチャンスですから』
人一人行方不明になっているのにのんきなことを言うシアン。
『………私には死ぬとか生きるとか、そういうのはよくわかりません。所詮能力。プログラムですから。それでもいなくなって欲しくない人くらいいますよ。誰だってそうです。だからこそ白亜様はその無駄に優秀な頭脳をフル回転させて何とかする方法を考えてください。どんな無茶ぶりであろうと私もそれに付き合います』
静かに、語りかける。その声音は中々棘のある言葉の内容と違い、子供をあやすような、悟らせるようなそんな響きがこもっていた。
『私を、使ってください』
少しだけ呆れの入った、苦笑したようなその言い方にリシャットは頷いて立ち上がる。
足がうまく動かない上に目が回っているように視界が定まらないが、危うさはどこにもなかった。
ズキズキと痛む右肩を押さえながら歩き始めるが、左足にも違和感を感じたので半分足を引き摺るような格好のつかない歩き方になってしまっている。
「………もう、大丈夫なんですか?」
「とりあえずは、って感じだな。俺自身が限界に近いからなんともいえないところだが。………これヒビ入ってるな、面倒臭い」
左足の感覚が完全には折れてないけどそれなりに痛いということからなんでもないことのようにそういうリシャット。
「これから、どうしたらいい?」
「俺に聞くのかそれ………まぁ、授業できるような状態じゃないなら寮に戻っても大丈夫だろ。この周辺にやつらの気配はないから外に出ない限りなんとかなると思う」
未だに腰に巻き付いている物をちょん、と触り、
「藍。助かったよ」
そう告げると腰のものがスルスルと引っ込んでいく。
「あれって………」
「ライオンだよ。あいつは体の一部を際限なく伸ばすことができるんだ。あれは尻尾だな」
リシャットは歩き出すがどうにも覚束無い足取りである。
「支えます」
「あ、ああ………すまん。まだバランスがとれない」
顔色が悪いリシャットを清水がつれていったのは校長室だった。
「なんでここ……?」
「ここなら人目を憚らずに休めますよ」
「もう盛大にバレたから必要ない気もするけど………」
部屋には岡村がスタンバっていた。
「リシャットさん、早く座ってください」
話しかけようと立ち上がりかけた岡村だったがリシャットの顔色の悪さにすぐ座るように促す。
「いや、椅子が汚れるからいい………そんなことより」
「座ってください」
「だから」
「座ってください」
ここまで察せよと笑顔で睨まれるのは久し振りである。コートを裏返しにして椅子に広げてその上に座った。高そうなソファを汚せないという小市民的な配慮である。
「申し訳ありませんでした」
「?」
「こちらの監督が行き届いていなかったばかりにこんなことになるとは………」
「いや、それに関してはもう終わったことだ。それより重要なのは伊東だ」
その名前が出てきた途端に岡村が口を閉じる。お茶を準備していた清水まで動きが止まった。
「………彼は、助かるんですか」
「あそこに放り込まれた時点で死んでいる」
「…………っ!」
「普通はな」
「「え?」」
後だしジャンケンのように重要なことをわざとずらして言うくらいには余裕があるようだ。
「あいつが俺の物を受け取ったのが直前で見えた。あれさえ持っていればたとえ宇宙空間に放り込まれても一年はなんとかなる」
「それって、どういう………」
「あの中には作りかけのものもあるが魔方陣は勿論、武器は俺の使える限りの物は全て入っているし食料も普通に食べて一年、節約して食べたら三年は持ちそうな量があのなかには入っている」
「なんですかそのとんでもない鞄……」
もう鞄の域を十分に越えてしまっている。
「それから、鞄周辺は空気が清浄化されるとか水中でも息ができるとか、一定以上の寒さや熱を感知すると自動で使用者を温める、着るエアコンみたいな効果もある。要するに、あいつがあれを持ってさえすれば生きてはいられる」
そこまで話してから、目を伏せて、
「ただ、あいつがここに戻ってこられる確率は……数千万分の1にも満たない。俺が最善策をとったとしても、な」




