「静かに歩くよね」
足を組んでベッドに寝転がり、手に持っている物を見つめる。
いつでも来てねとは大国主神に言われたが、流石に出雲………島根は遠い。
住所やらを書いて貰ったが普通に出雲大社だった。これ行ったところで会えるのだろうか?
子供が神様に会いたい等と言っている、とか普通に追い返されて終わりだろう。まさか不法侵入するわけにもいかない。
(そのときでいいか)
『何をお話しされていたんです?』
(さぁね)
あの部屋の中はシアンすらはいることが出来ない完全に隔離された空間だった。リシャットでもそう簡単に作れるような代物ではない。時間さえあれば出来ないこともないが。
【そうですよ。さっさと情報を吐いた方が楽になりますよ】
(お前は警察か何かか。別に大したことは話していない。それだけだ。半分以上無駄話だったし)
『何故です?』
(チカオラート達に俺の様子を見てくれと頼まれたんだと)
あの神様は過保護である。死にかけているときは来てくれないのに。
リシャットは紙を金属の筒のようなものにいれて引き出しに隠した。もし美織や欄丸が間違えてこの引き出しを開けても見ようと思わないように。
「だーかーら! 食べたいの!」
「欄丸を連れていけば良いのでは?」
「だって欄丸は………欄丸だし」
「答えになっておりませんよ」
洗濯物を抱えて立ち上がるリシャットの腰に引っ付く美織。叫ぶのはまだ無理だが小さな声で喋るくらいまでなら喉が治ったリシャットはボソボソと会話をする。
「行きたいのー‼」
「私にもやらなければいけないことがありますし、庭のハーブもそろそろ幾つか摘まないとハーブだらけになってしまいますし」
「いいじゃん1日くらいー」
「そういうわけにもいきません」
美織が離れないので結果的にズリズリと美織を引摺りながら物干し竿へ向かうリシャット。
かなり滑稽だが見ている人など居ないのでもうどうでもいい。
「いいじゃんケチ」
「ケチで結構です。というか洗濯物干したいのでそこから離れていただけますか」
「やだ」
「ではこのまま外に出ます」
ちょっとの妨害なら完璧に無視するリシャット。本当に我が道を行っている。
「おう、リシャット。…………なにやってるんだ?」
「さぁ………?」
偶々外でミュルと遊んでいたヨシフが首を傾げながら問うが、リシャット自身、何故こんなことをしているのかよくわかっていない。
「行きたいのー」
「ですから、私はやることがあるので行けないと」
中々引き下がらない美織も美織で、二人揃って意地の張り合いを繰り返しているだけである。
「何の話?」
「お嬢様が………」
「ジェラートのお店が期間限定で出たの! そこに行きたいんだけどリシャットは行けないって」
「どうしてだい?」
「私もやることがあるので。暫くやっていなかったお庭の掃除なんかも済ませたいですし」
ヨシフが少し考えるように顎に手をやり、
「じゃあこっちで色々とやっておくよ」
「⁉ しかし………」
「なぁに、欄丸君に聞けばわかるだろう。それに食事と掃除が主な仕事だろう? それなら出来ないことはないからね」
「ですが………」
「たまには羽を伸ばすのも大切だよ、リシャット。いくら君が他の人より体が丈夫だからとはいっても心はそうでもないんだから」
ヨシフはなんとしてでもリシャットに行かせるつもりのようだ。というより、働きづめのリシャットを休ませたいだけなのかも知れないが。
「いいじゃない‼ ね、行こうよ‼」
「しかし……」
「いいから行ってきなさい。護衛も君の仕事なんだろう? ちゃんと果たすべきだ」
「そう、ですね。わかりました。それではよろしくお願いいたします」
流れるような動きでお辞儀をするリシャット。その動きは一瞬の無駄もない、美しく洗練されたものだった。
ヨシフにはそれがリシャットの性格を表しているようにしか見えなくて、美織に手を引かれて歩いていくリシャットの後ろ姿を見て苦笑した。
美織はもう既に出掛ける準備を済ませていたのでリシャットが仕事用の制服から普段着に着替えたところで出発する。
バスに乗り、電車で何分か揺られたら高層ビルが立ち並ぶまさに都会的な町並みが周囲に広がる。
「それで、どこにあるんです?」
「ここよ」
美織が開いた地図アプリに示された場所は少し遠かったが一番近い駅から徒歩十分のところにあったので駅から降りて歩く。
「ねぇ、リシャット」
「はい」
「リシャットでも怖いものってあるの?」
「それは勿論」
「なに?」
「………今までで一番怖かったのは両親が死んだときですね。大切なものを無くしたときが一番恐ろしい」
恐ろしい、と言いながらまるで感情が抜け落ちたかのような喋り方と表情でそう言うリシャット。
「突然、どうされたんです?」
「学校でね、変な人に襲われたらどうするかっていう話を受けたんだけど、その時にリシャットはどんなことでもやっちゃうから怖いことなんてないんだろうなって」
「私だって怖いものは怖いです。ちょっと人と感覚がずれているだけで」
そこは自覚しているらしい。
「静かに歩くよね」
一切の足音をさせずに歩くリシャットを不思議そうに見る美織。
「これも怖いからです。私は足音一つが命取りになるような場所で生きていたのでその分そういうことに敏感になっていまして、小さな音でも判ってしまうのです」
白亜だったときのこと、魔獣と戦っていたらいつのまにか囲まれていて、なんとか逃げ出したはいいものの足音で気付かれて殺されかけたことがある。
要するに怖がりなのだ。失うのが怖いからそういう技を身につける。それがリシャットが強い理由だったのだ。
「あそこでは?」
「あ。ほんとだっ! はやくはやく!」
グイグイと引っ張られる左手に追い付くように歩幅を少し調節しながら歩くリシャット。
(こういうのも、たまにはいいかな)
小さく笑みを浮かべながら前を歩く小さな背中を追っていった。その表情は白亜だったときの面影は殆ど残っておらず、少し大人びた子供のように感情を徐々に表に出すようになってきていた。
心の底からの笑みを浮かべることができるほどに、リシャットは目の前の少女に心を開いていた。




