「まじかいな」
目の前に黒い裂け目が出現する。見慣れているリシャットにはそれがなんなのかハッキリと理解することができたが、激しい目眩と強烈に痛みを訴える右手に、否、右肩に気をとられ裂け目から出てきた影のようなものに体を引っ張られて空に投げ出される。
その瞬間、足を何かに引き戻され、視界の端を男が通る。
なにが起こったのか瞬時に察したリシャットはとっさに金具を壊してウエストポーチをその男に投げ渡した。
「迎えに行くまで絶対にそれを手離すな!」
男がニヤリと口の端を上げてサムズアップしているのが見えた。
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「本当に大丈夫なんですね? 信じますよ?」
「大丈夫だって………」
説教にも近い会話を済ませて鞄を肩にかける。美織が気紛れなのかはわからないが一緒に買い物に行った日にリシャットにとお小遣いで買ってくれた小さなライオンかなにかを模したストラップが揺れる。
ライオンというよりかは猫そのものにしかみえないので猫に鬣っぽい毛がはえたらこんな風になるのではないか、といった感じだ。
かなりゆるい感じの絵である。
「着替えたらさっさと外に出ないと………」
教室に行っても鍵を閉められてお終いなのでトイレで体操服に着替えてから外に出る。
先に外に出ていた何人かの同級生の視線を軽く受け流しながら運動場へ出たリシャットは眠い目を擦りながらグッとのびをする。
「なんや、寝不足か?」
「まぁ、そんなもんです………結界の見直ししてたんですよ、一応」
「ん? 前直しとらんかったっけ?」
「はい。もう一回無駄な回路はないかとか変に消費する部分はないかとか確認してたら夜中になってまして」
一応聞かれると不味いので敬語で話すリシャット。
「大丈夫やったん?」
「取り敢えずは。ちゃんと全部の結界も確認したし気力を循環させる機能もちゃんと働いてます」
「流石やな。俺には無理やわ」
「慣れれば誰だってできますよ」
「それよく言っとるけど………それできんのリシャットさんくらいやで」
「そんなことはない。何事も反復練習だ」
ムッとなって言い返すリシャット。こういうところは少し子供っぽい。それに気づいて少し笑う伊東。
「なんだよ」
「いや、最初より随分柔らかくなったなぁ思ってな」
「なにがだ」
「いや、なんも? じゃ、授業始めんで」
チャイムの音が鳴り響き、会話は一旦終了となった。
リシャットがいつも通り気力のコントロールに集中していると突然何かに気付いたように顔をあげる。
それでも手はちゃんと結衣の方を向いているのだから慣れとは恐ろしいものである。
徐々に眉間にシワがよっていく。その状態から伊東に質問するように手を上げ、伊東がリシャットの隣まで直ぐに行く。
「なんや、何があったん?」
「わからない。が、明らかにヤバイ」
「どういうことや」
「急いで生徒を校内へ移動させろ。それから結界の確認に」
「何があったんか軽くでも教えてくれへん?」
「多分奴等に侵入された。それも一機や二機じゃない」
その言葉に目を見開く伊東。
「結界の見直ししたんちゃうんか」
「したよ。それに無理に入ってきたら校内放送は勿論、警察にも連絡がいくようになってる。俺にもな。だが、その感覚じゃない。正規の方法で入ってきやがった」
「どういうことや」
「多分人間に化けてる。誰かが招き入れたんだ」
「まさか」
「結界はほぼどんな攻撃でも弾くが内部に内通者がいれば一瞬で使い物にならなくなる。元々それが課題だったんだ」
苦々しい顔をしてリシャットが小声で続ける。
「例えば門の前で足に怪我した振りしたおっさんがいたとする。治療目的で中に入れたりしたら一瞬でアウトだ。そのおっさんが魔獣だとするなら、な」
目を閉じて周囲の音に気を配っているようだ。目は開いていないがキョロキョロと辺りを確認している。
「兎に角、結界の入り口が開きっぱなしになっている。パッと見じゃわからないくらいだけどな。ドアに小さな枝を挟んだくらいの隙間しかない」
「ってことは入れるやつも限られるんか?」
「一応な。だが、侵入されたことには代わりない」
早くここから移動させろ。リシャットはもう一度そう言ってまた目を瞑った。
伊東は直ぐに立ち上がったが、地面が大きく揺れたかと思うほどの爆音が周囲に響く。
「まじかいな」
「…………」
黒い煙が上がっている所からガチャガチャという魔獣特有の足音が聞こえてきた。
「皆! 急いで校舎内へ! あそこならまだ安全や!」
悲鳴を上げながら走り出す子供たちと近付いてくる足音を交互に見ながら冷や汗を流す伊東。いつの間にかリシャットは運動場の端に置いてある職員専用の固定電話で自分の門下と連絡をとっていた。
だが、子供の足の早さなどたかが知れている。奴等が到着する方が圧倒的に早かった。
「ひゃあああああ⁉」
「ギシャアア」
錯乱した一人が爆竹ほどの威力しかない気弾をぶつけてしまい、魔獣の怒りが子供たちに向く。
「子供たちをやるなら俺を先に通すんやな!」
格好つけて前に出てしまったが武器もない、なんの準備もしていないという最悪な状況。伊東は死を覚悟した。
「馬鹿。調子乗りすぎ」
耳元で聞こえたその声は恐らく伊東にしか聞こえていないだろう。だが、傍らに落ちている愛用の両刃槍を見て静かにそれを構えた。
武器を構えた相手を見ればそっちに気が向くのは当然である。魔獣の目線が全て伊東に集まった。
「これ持ってきてくれんならここにいる全員校舎にいれることはできへんのか」
「出来ないことはないけどこんだけ混乱してたら事故が起こる可能性が高いしそれ以前に消費が激しすぎて飛んだだけで俺が倒れる」
「成る程な……」
どうやっているのかはわからないが耳元でちゃんと声がする。のに本人は割りと離れた所で逃げるふりをしているのだから本当にどうやっているのか知りたい。
「応援は来たりするんか?」
「連絡は入れたがあっちもあっちで爆発騒ぎで大混乱中」
「この数俺一人で相手しろと言うとんのか」
「頑張れ」
「まじかいな………」
一機ならともかく、目に見える範囲だけで四機はいる。一機相手にしていたら他のやつにやられるパターンだ。
「俺も見えないように援護する。とはいっても手持ちが少なすぎて出来ることは殆どないが」
「じゃあこいつらどうすんねん⁉」
「………せめて鞄があれば」
「こんなときに鞄⁉」
「あの中には俺の持ち物がほぼ全て入っている。勿論武器も」
なんて物騒なものを普段から持ち歩いてるんだと突っ込みたくなるが今回はそれに助けられるかも知れないので取り敢えず黙っておく伊東。
「だが、まさか堂々と結界を通り越えてくるとは思ってなかったから今手元にあるのはトランプが10枚と短距離転移の魔方陣が1枚しかない」
絶望的である。両方使い捨てなのだから一回投げて当たらなかったらそれで終わりだし、転移の方は飛べて200メートル程しか使えないのでこれで鞄を取りに行くのも無理だ。
かといってリシャットが本気で走ったらその風圧とかで窓が一斉に割れたりコンクリートが抉れたりするのであまりやらない方がいい。
「どうすんねん」
「ちょっと考える」
早くしてくれ。そう言いたかったがすでに眼前に魔獣の爪が振りかぶられていたので会話を切り上げて槍の先端で前足をど真中から切断する。
その瞬間、他の魔獣に横を抜けられかけたが手を出す間もなく体を両断されて地面に倒れ伏す。なにが起こったのか最初は理解することが出来なかったがよくよく見ると断面に役目を終えて破れたトランプが突き刺さっていた。
「これで残り9枚か………」
絶妙のタイミングだったことは間違いないが手札が10回分の攻撃しかできないので慎重になるしかない。
「伊東」
「なんやまた」
「不味いことになった」
「説明してくれへん?」
「結界が完全に開いた」
「それの大変さがようわからへんのやけど」
斬り合いを続けながら喋っているので微妙に息がきれる。
「これじゃあどこから入ってこられるかわからないし校舎の結界も絶対じゃなくなった」
今まではほんの少し開いていた結界が完全に無くなったらしい。リシャットも少し慌てているようでいつもよりよく喋る。
「それってどれくらいの耐久値なん?」
「核爆弾一発くらいなら耐えられるけど」
「ほぼ問題ないやんけ」
「弱い攻撃でもダメージは蓄積されるから実はそうでもない。だからここで奴等を殲滅するしかない」
チリ、と何かの音がした。スパークのような音というより、物が燃える前兆のような、小さな音。
「咲け、火炎花」
凛とした声が響き、それにあわせてグラウンドを囲むように地面から出た真っ赤な蕾がその存在を知らしめるように大輪の花を咲かせる。
空気が焼け焦げると錯覚するほどの熱量を孕んで。




