「ボケただけやん」
頬杖をついて胡座をかくリシャット。
大分だらしない格好だがそれでも絵になってしまうのだから美形とは妬ましいものである。
「どうしたん?」
〈なんでもない〉
手元を見もしないで綺麗な字を寸分の狂いも見せず書いていく。
「絶対なんかあったやろ? さっきからずっと上の空やで」
「………」
はぁ、とため息をついてからペンを走らせる。
〈保護者に見つかった〉
「保護者? 今住んどるとこの人か?」
〈違う。ロシアの方のだ〉
「なんや、家出でも……ああ、そういやなんか言っとったな。無断で家を出てきたとか」
〈で、今俺が世話になってる所に来てるんだよ〉
「ああ、あの家広いからなぁ」
〈これ聞いて感想それか?〉
ジト目で伊東を見るリシャット。呆れた、とでも言いたそうな顔である。
「ボケただけやん」
〈あっそ〉
リシャットに軽い冗談は通じない。天然記念物なのでまっすぐに言葉を受け取ってしまうからだ。
素直というか、なんというか。
「ギスギスしとんのか?」
〈ギスギス、というか俺の罪悪感が、というか〉
「ああ、何故かそういうとこ気にするんやったな」
〈悪かったな。面倒な性格で〉
いっそのこと死ぬ直前まで、とは言い過ぎだがボッコボコに殴られて怒られた方が気が楽である。
気を使われ慣れていないので自分もどう反応したらいいのかよくわからないのだ。
すると伊東が口の端を上に持ち上げ、悪戯を仕掛ける子供のような笑みを浮かべる。
「なんや、やっぱし女の子なんやなぁ? 考え方が女々しいで?」
その言葉へのリシャットの対応は素早かった。
目視も難しい速度で脇にある定規を投げる。それは亜音速を軽く越えた速度で伊東の肩を掠めて格技場の天井に突き刺さる。
「ひっ⁉」
「………」
リシャットはひきつった笑みを浮かべながら何かをメモに書いて見せる。
〈次は外さず肩脱臼させる? 安心しろ。無理矢理直してやる〉
わざわざ『治して』ではなく『直して』という漢字を使ってきたところを見るとかなりリアルに怒っているようだ。
肩の服はほんの少し裂け、肌が剥き出しになっている。
「い、いえ」
正直あの速度で肩に定規が当たったら貫通もおかしくないレベルである。調子に乗ると余計なことがないのだ、と頭のなかに叩き込んだ伊東だった。
「…………」
机の上のライトが明るく光を放ち、暗がりの中でその空間だけが浮かび上がる。
部屋の部屋の中ではカタカタという不規則な音と時計の秒針が動く音のみに支配され、それ以外の音が入り込む余地はない。
そんな空間で一人、目を細めながら目の前のディスプレイを見つめるリシャット。
その表情は険しく、まるで苦虫を噛み潰したかのような気分の悪さも感じているようだ。
【どうですか?】
(一応順調だが……見ていて気味が悪い事ばかりだ。俺が首を突っ込んでいいのかよくわからない案件もあるし)
画面を覗き込んできたライレンに軽く返事を返す。
【気味が悪い?】
『行方不明扱いになっている人の数が合わないんです』
(最悪、死体の確認も視野にいれないと………でも日本は火葬だからな………)
机の上に置いてある掌くらいの大きさの箱のようなものを掴み、力任せにこじ開ける。中にはボロボロに崩れ落ちるほど劣化した歯車があらゆる方向から組合わさっていた。
(ここにある分だけでもう既に7人分……もっとも今は別のエネルギー体を見つけたのかもしれないけど)
ピンセットで中身を慎重に弄りながら何かを探す。あった、と小さく呟いて取り出したのは小指の爪くらいの大きさのクリスタルだった。
リシャットがよく出すあれである。
(これを俺以外の誰かで生成って無理がある……そもそも質が違うしかき集めたところで反発して上手く纏まるはずが―――)
「リシャット?」
カチャ、と音を立てながら部屋の扉が開いた。廊下の明かりを背に立っているのは美織である。
〈どうされましたか?〉
「ちょっと寝れなくて。リシャットは?」
〈いえ、少し気になることがありまして調べものです〉
手に持っているものを隠すように体を反転させて言葉を書いたメモを見せる。
「こんな時間に?」
〈はい。業務は全て終わりましたので。これは仕事というより私がやりたくてやっていることですので〉
「ふーん………また危ないことする気じゃないでしょうね」
これを調べる事自体は危なくはないのだが。これを調べた先でやることは十中八九危険が伴う。
嘘がつけないリシャットなので少し言い出せなかった。否、書き出せなかった。
「そう。危ないことする気なんだ」
当然付き合いの長い美織にはバレる。
〈危ない事になるかどうかはまだハッキリとは決まってません〉
「じゃあ私も一緒に調べたりしていい?」
〈それはちょっと〉
「ほら、危ないんじゃない」
〈まだなにも言ってません〉
「リシャットが断るときって危ないときだけって決まってるもん」
言い返せないリシャットに美織がツカツカと近寄り、パソコンの開かれている画面を見る。
「行方不明者名簿って………」
リシャットに習っている美織だ。これくらいの漢字は読めるしちゃんと理解もしている。
目を逸らすリシャットの顎を思いきりつかんで自分の方に向けた。
「ちゃんとこっち見て」
声が出せないので反応も出来ない。だがリシャットも自分が悪いと判っているために抵抗は一切しない。
「どうして関係ない人のために危ない目にあおうとするの? 自分の為に生きろって言ったのリシャットじゃない」
「………」
リシャットは数秒目を伏せてからメモに言葉を書く。
〈私がこれをやるのは偽善ではありません。過去のけじめをつける為にやっている、それだけです〉
「けじめってなによ」
〈私が魔獣を止められなかった。だから今でもこんなにも犠牲者が出る。それだけでなく私は復讐に走った愚か者です。罪を償うくらいはしないと気が済まないのです〉
ゆっくり時間をかけて書き上げた文はいつも通り印刷されたように美しく整頓されていたがほんの少し右上がりになっていた。
少しは感情的になったのだろうか。
「リシャットはもうそんなことやる必要なんてないんでしょ? ないはずでしょ? だって死んでまで償えって誰も言わないよ」
〈お嬢様は死んだ記憶がないのでわからないでしょうが、死ぬときの記憶はどれだけ時間が経とうと鮮明に残るんです。臭い、痛み、苦しみ、感情。全てを忘れることが出来ない〉
「だからなによ、私にはリシャットの気持ちはわからないって言いたいの⁉」
リシャットの胸ぐらをつかむ勢いで美織が顔を近付ける。
〈わかりませんよ。所詮誰しも他人です。私の弟子だろうが使い魔だろうが、わかるはずがないんです。最期に何を思って死んだのか、そんなことくらい目を瞑らなくとも思い出せます〉
「教えなさいよ」
ちら、と美織を見てから、
〈死んでも殺してやる〉
冷たく誰にも心に踏み込ませない青い目が氷柱のような鋭さをもって美織を攻撃していた。
窓に夜の雨が強く打ちつけられ始めた。




