「いや………まさかこう来るとは予想外だ」
「只今戻りました………」
念のため一日余分に入院し、その次の日の朝に退院したリシャットは若干の気まずさを覚えながらこんなでかいの要らないだろ、と初日に呟きかけた扉を開ける。
すると、すでに待ち構えていた美織がリシャットに飛び付いた。
「おっかえりー!」
「みー!」
顔面にはミュルが引っ付き、首から下は美織が引っ付いているので身動きがとれない。
せめてミュルだけは剥がしたかったのだがミュルが爪を立てて抵抗してきたので諦めた。頭皮に爪が刺さるので中々痛いのだ。
暫くそのままの状態だったのだが流石に見かねた大地が一人と一匹を宥め、家に帰ってきて少しかかったが漸く玄関から先に進めた。
「む。帰ったか」
「ああ。家のこと、ありがとうな」
「いや、我の仕事でもあるからな。礼には及ばん」
妙に興奮している美織を宥めつつリビングに向かうとそこには大量の調理器具が並んでいた。しかも家には無かった新品ばかりである。
「これは………」
「退院祝いー。本当は料理とかが良いんだろうけど、リシャットの料理には勝てないし、そもそもリシャットあんまり食べないから」
それで調理器具か。と一瞬リシャットには珍しくポカンと口を開けて固まった。直後、小さく吹き出す。
「ッ………だからって、調理器具って………くく」
必死に笑いをこらえている。リビングの机の上に大量の調理器具が並んでいるのはかなりシュールな絵面だった。
「くくく………あはははははっ」
もう我慢できない、と言いながら爆笑し出した。その様子にミュル含めた全員がぎょっとする。
「リシャットが笑った…………」
「声を出して………」
全員唖然としながら爆笑しているリシャットを見る。
「いや………まさかこう来るとは予想外だ」
笑いすぎて目の端に涙を浮かべながらゆっくりと深呼吸をして息を整えるリシャット。
「リシャットって笑うんだ………」
「それは勿論。こんなに笑ったのは………十数年ぶりくらいかもれませんけど」
声を出して爆笑するなど殆どないリシャット。少なくとも今世では初めてである。
「これで料理の幅が広がりますね………それにしてもこんなもの一体どこで? 普通の店には置いていないと思うのですが」
「え? ああ、うん。無かったから直接取り寄せたの」
作ってる職人から。と付け加える。つまりこれ、オーダーメイドである。
変なところで金遣い荒いよなこの人達………とリシャットが呟いたのは気のせいだったのだろうか。
「じゃあ、後は頼んだ。なるべく早く帰ってくるけど、何かあればすぐ連絡しろよ」
「はいはい。判っている。ライレンも居る。問題ない」
「それも結構な不安要素なんだけど………まぁいいか。あ、冷蔵庫におやつ入ってるから。自分の名前のやつだけ食べて良いぞ」
体にしては大きなリュックサックを背負いながらいつもとは違う服で玄関から出るリシャット。
その手には白いバングルが嵌まっている。これが身分証明になるのだそうだ。
定期券の入った伸縮性のカードケースをポケットの端から覗かせながら子供とは思えない堂々たる動きで近くのバス停に歩いていく。
バスや電車に乗るより走った方が断然速いのだが人に見られたら最悪なので定期券を購入し、バスと電車を乗り継いで学校に行かなければならない。
この定期券や鞄の中に入っている教科書類、果ては鉛筆までもが全て警察が支払ってくれた。
本当はこんなことないのだが、リシャットを無理矢理学校に入れて魔獣を倒すという超危険な事を依頼するということに良心の呵責があったらしく、学校や仕事と称すれば経費を落としてもらえる。
ただ、その申請が面倒なのでリシャット本人は「もう面倒だから俺自分の金で払うわ」ということを丁寧に言ったらその手続きもやってもらえることになった。
色々楽をしているリシャットである。
時刻表を見ながら手元の懐中時計を確認する。生前ずっと懐中時計を使っていたのでこれじゃないと落ち着かないのだ。
バスの運転手に見えるように一所懸命に背伸びして定期を見せたときは周囲が和んだ。本人は至って真面目である。
しかも中身は60過ぎた最早高齢者と呼ばれる年齢に入っているのでギャップが凄い。
苦労したのは改札だ。
翳すタイプの定期券なのだが、背丈がギリギリなのでたまに上手く翳せなくてゲートと格闘するということが起こるのだ。
それを見かねた人が助けてくれるのだがリシャットとしては心底恥ずかしい。
「あ、ありがとうございます………」
落ち込みながらお礼を言うリシャットに一部の女子が反応していたがそれをリシャットが気付く筈もない。
「ここか………意外とデカイ」
『それだけの資金をマスターが提供したからでしょう?』
「………そうだったかな? あれ? 俺いくら渡したんだっけ?」
学校作りとして渡した資金。いくら渡したか全く覚えがない。
「んー? …………まぁいいや。事務室行こう」
どうでも良いことなので思考を放棄して事務室に向かう。
手首に嵌まっているバングルがピピッという電子音を響かせると戸が開いた。
中々のセキュリティーに感心しつつ、靴を持って来た袋にいれて奥のカウンターに入っていく。
スリッパが足のサイズに合うものがなくパタパタと無駄な音が廊下に響き渡る。
「あの、宜しいですか?」
「え、あ、はい‼ どうしたのかな?」
「これを」
以前学校に行くときに持っていけと渡された封筒をカウンターに出すと受付をしていた事務員がそれをどこかに持っていった。
暇だったので窓から校舎を見ていると誰かが来る気配がした。
「貴方がはく―――リシャットさんですか?」
「ええ」
この人白亜って言いかけたな。と内心でため息をつくリシャット。本人も苦笑いしながらリシャットを校長室に案内する。
「えっと、本当に貴方があの揮卿台白亜さんですか?」
「ええ。まぁ一応そうですね。今はどこにでもいる普通の執事です」
執事なんて普通いない。と言い掛けて止めた。
「自分はここの校長を勤めさせていただいています。岡村剛です」
「はじめまして。現世ではリシャット・アルノルドです。これからよろしくお願いいたします」
椅子に座りながらも完璧な所作でお辞儀をするリシャット。
「そんな畏まらなくて結構ですよ。自分共は貴方がどんな性格か少しは先代から聞いていますので」
「………例えば?」
「無気力、無表情、無愛想で基本口が悪く指導はスパルタ式………」
「ああ、もう結構です」
ハッキリと伝わっていたことに寧ろ呆れを通り越して関心してしまう。
「合ってますか?」
「ええ、バッチリですね。私よりも貴方の方が詳しいくらいに」
なんでそんなに完璧に伝わっているのか、と小さく苦笑しながらそう言った。




