第一章 6話◆左近、赤札決戦
外野の嫌がらせと信長の理不尽な圧力を、光秀の悪知恵と左近の勢い、ケロタンの珍妙な技でひっくり返す!
……だが、おもてなしが成功に近づくにつれ、光秀の瞳には異様な光が宿り始める。
「天下の行く末のため……上様、敢えて怒っていただきましょう」
光秀の胸に秘められた、あまりに切なく、壮大な深慮遠謀とは——?
歴史の結末が哀しいからこそ、今は思いきり笑い飛ばす!
史実のリアルと食文化の深掘りに、光秀の覚悟、そしてテンポ抜群の喜劇を掛け合わせた、命がけの過剰接待サイココメディ開幕!
第一章 6話◆左近、赤札決戦
梅雨の晴れ間。
近江の市場は、朝から活気に満ちていた。
琵琶湖で揚がったばかりの鮒や諸子、
籠いっぱいの新牛蒡、
青々とした瓜や茄子。
威勢のよい売り声が、
城下町いっぱいに響いている。
「左近様。本日は一文たりとも無駄遣いはなりませぬ」
光秀から大福帳を受け取ると、
島左近は神妙な面持ちで頷いた。
「心得た。
安く良き品を買う。
それもまた武士の務め。」
赤割烹着の胸を張り、
市場の魚屋へと向かう。
目の前には、
丸々と太った見事な鮒。
しかし値は、まだ高い。
左近は腕を組み、
仁王立ちのまま動かなかった。
「……まだか。」
隣で頭にお盆を載せたけろたんが、
小さく呟く。
「まだですケロ。」
すると近くで魚を選んでいた
近江のおかみが笑った。
「兄ちゃん、まだ早いよ。」
別のおばちゃんも頷く。
「もう少し待ちな。
夕方になりゃ赤札さ。」
「……赤札?」
左近は初めて聞く戦場用語のように、
真顔で聞き返した。
その時である。
魚屋の主人が、
店先へ勢いよく飛び出した。
「さあ!
店じまいだよ!
赤札だ!
今日の鮒は売り切りだぁ!」
真っ赤な札が、
一匹の大鮒へ貼られた。
――その瞬間。
「どいてぇぇぇ!」
「それ私!」
「こっちも一匹!」
市場中のおかみ達が、
一斉に魚屋へ突撃した。
「ぬおっ!」
島左近、
生涯初めて経験する大乱戦。
相手は槍足軽ではない。
竹籠を抱えた近江のおかみ衆である。
「兄ちゃん邪魔!」
「その鮒は私が先!」
「後ろつかえてるよ!」
「ま、待たれい!」
左近は槍をかわすように籠を避け、
太刀筋をいなすように肘をかわし、
気づけば赤割烹着の紐まで
引っ張られていた。
「ええい……
これほどの猛者どもとは!」
十分ほどの激戦の末。
左近は肩で息をしながら、
ようやく一匹の鮒を抱えて立っていた。
「……取った。」
髪は乱れ、
赤割烹着はしわだらけ。
額には汗が流れている。
その姿を見たけろたんは、
静かに頷いた。
「左近様……
戦場より疲れてますケロ。」
左近は遠い目で
市場を見渡した。
「敵将には負けたことはない。
だが……
近江のおかみ衆には、
二度と勝てる気がせぬ。」
魚屋の主人は腹を抱えて笑い、
「兄ちゃん。
明日も赤札やるから、
またおいで。」
市場中に笑い声が広がった。
けろたんは頭のお盆を
ぴたりと水平に保ったまま、
小さく呟く。
「近江最強は……
おかみさん達ですケロ。」
後書き:筆者の想いに寄せて
なぜ島左近なのか。なぜケロヨンなのか。
それは、左近の持つ「武人の潔さ」と、ケロヨンの持つ「健やかな日常の象徴」が合わさった時、初めて信長の「死の気配」に対抗できると考えたからです。
店頭で雨の日も風の日も立ち続けるあのカエルのように、ケロヨンは安土の激動をケロリと見過ごし、左近は主君のために地獄の釜を焚き続ける。
この二人がいたからこそ、光秀は本能寺という「最後の配膳」まで走り抜けることができました。歴史という名の厳しい「処方箋」を、少しでも楽しく、そして美味しく書き換えたい。そんな願いを込めた主役抜擢でございました。




