第一章5話 ◆算盤の向こう側
外野の嫌がらせと信長の理不尽な圧力を、光秀の悪知恵と左近の勢い、ケロタンの珍妙な技でひっくり返す!
……だが、おもてなしが成功に近づくにつれ、光秀の瞳には異様な光が宿り始める。
「天下の行く末のため……上様、敢えて怒っていただきましょう」
光秀の胸に秘められた、あまりに切なく、壮大な深慮遠謀とは——?
歴史の結末が哀しいからこそ、今は思いきり笑い飛ばす!
史実のリアルと食文化の深掘りに、光秀の覚悟、そしてテンポ抜群の喜劇を掛け合わせた、命がけの過剰接待サイココメディ開幕!
第一章5話
◆算盤の向こう側
梅雨前の空は、なお重い。
雨をこらえる雲が安土の天を覆い、
城下を吹き抜ける風も湿り気を帯びていた。
明智屋敷。
「却下、却下、また却下か」
左近が畳を拳で叩く。
「戦ならば、一太刀で済むものを!」
「済まぬから戦になるのだ」
光秀は静かに茶をすすった。
「石田三成。
あの男は刀では斬れぬ。
算盤でしか動かぬ男だ。」
ケロタンがお盆を頭に載せたまま首をかしげる。
「算盤を斬ればいいケロ?」
「それでは経費番が増えるだけだ。」
光秀は真顔で答えた。
左近だけが真剣に頷く。
「なるほど。」
「なるほど、ではない。」
ケロタンが呆れ顔になる。
部屋に小さな笑いが広がった。
◆帳面の癖
光秀は机へ一冊の帳面を広げた。
「三成殿の大福帳を見て気付いたことがある。」
左近とケロタンが身を乗り出す。
「この男、一文の狂いも許さぬ。」
「立派ではござらぬか。」
左近が言う。
「だから隙になる。」
光秀は筆で机を軽く叩いた。
「完璧を求める者は、
必ず説明を求める。」
「説明できれば?」
「通る。」
左近が目を丸くする。
「それだけで?」
「それだけだ。」
光秀は涼しい顔で言った。
「敵を倒すには、
敵より敵を知ればよい。」
左近の胸に、また火が灯る。
「それがし、
石田殿を見張って参る!」
「駄目だ。」
「何故!」
「殺気で見張る密偵がおるか。」
「……ござらぬ。」
左近は肩を落とした。
◆潜入名人
「そこでケロタン。」
「ケロ。」
「お主にしか出来ぬ仕事がある。」
ケロタンの目がきらりと光る。
「忍び込みケロ?」
「忍び込まぬ。」
「盗み聞きケロ?」
「盗み聞きもせぬ。」
「では何をするケロ?」
光秀は微笑んだ。
「掃除だ。」
「……ケロ?」
翌朝。
内政方の廊下を、
一本の箒を持った緑色の割烹着が、
何食わぬ顔で掃いていた。
「ケロケロ~♪
廊下は心も磨けるケロ~♪」
誰も気にも留めない。
役人とは、
掃除をする者を見ない生き物である。
しかしケロタンは見ていた。
誰が来る。
誰が帰る。
誰が何度帳面を開く。
誰が茶を飲み、
誰が菓子をつまむ。
その全てを、
大きな目で覚えていく。
「なるほどケロ。」
夕刻。
明智屋敷へ戻ると、
ケロタンは胸を張った。
「石田殿は一日に七回、
帳面を見直していたケロ。」
「七回。」
「茶は二杯。
羊羹は半分。
算盤は三度磨いたケロ。」
左近が唸る。
「算盤まで磨くのか……。」
光秀だけが静かに笑った。
「やはりな。」
「何が分かったケロ?」
「石田殿は、
数字だけでは動かぬ。」
「……?」
「心配性なのだ。」
左近とケロタンは同時に顔を見合わせた。
「つまり。」
光秀は静かに立ち上がる。
「安心させれば、
算盤は動く。」
左近が拳を握る。
「それが次の戦!」
「うむ。」
光秀の目が細くなる。
「次は、
石田三成の心を饗応する。」
庭では、
遠く雷鳴が小さく響いていた。
梅雨入りは、
もうすぐそこまで来ていた。
(つづく)
後書き:筆者の想いに寄せて
なぜ島左近なのか。なぜケロヨンなのか。
それは、左近の持つ「武人の潔さ」と、ケロヨンの持つ「健やかな日常の象徴」が合わさった時、初めて信長の「死の気配」に対抗できると考えたからです。
店頭で雨の日も風の日も立ち続けるあのカエルのように、ケロヨンは安土の激動をケロリと見過ごし、左近は主君のために地獄の釜を焚き続ける。
この二人がいたからこそ、光秀は本能寺という「最後の配膳」まで走り抜けることができました。歴史という名の厳しい「処方箋」を、少しでも楽しく、そして美味しく書き換えたい。そんな願いを込めた主役抜擢でございました。




