第二章 14話 ◆家康の先遣隊到着!
外野の嫌がらせと信長の理不尽な圧力を、光秀の悪知恵と左近の勢い、ケロタンの珍妙な技でひっくり返す!
……だが、おもてなしが成功に近づくにつれ、光秀の瞳には異様な光が宿り始める。
「天下の行く末のため……上様、敢えて怒っていただきましょう」
光秀の胸に秘められた、あまりに切なく、壮大な深慮遠謀とは——?
歴史の結末が哀しいからこそ、今は思いきり笑い飛ばす!
史実のリアルと食文化の深掘りに、光秀の覚悟、そしてテンポ抜群の喜劇を掛け合わせた、命がけの過剰接待サイココメディ開幕!
第二章 14話 ◆家康の先遣隊到着!
― 本多忠勝、夕立の庭を渡る ―
夕立は、ほんの一刻ほどで去っていった。
安土城の白壁は雨に洗われ、黒瓦は深い艶を帯びている。
松葉から雫が落ち、池には夕焼け雲が揺れていた。
濡れた飛び石が朱に染まり、風が竹を鳴らす。
昼の暑さを忘れさせる、心地よい涼しさであった。
◇
天守の櫓。
森蘭丸は、信長から預かった遠眼鏡を庭門へ向けていた。
昨夜、月下の庭を膳を載せて駆け回っていた四人の姿が、まだ瞼の裏に残っている。
(殿には申すまいと決めたが……今宵も何かやりそうな顔ぶれよ。)
苦笑して視線を滑らせた、その時。
レンズの端を、光るものが横切った。
槍の穂先。
鹿角の脇立の兜。
その後ろに、乱れぬ足並みの徳川勢。
「……早い。」
徳川一行の到着は、二日後のはずである。
先頭の男は、濡れた飛び石を踏んでも、一歩も歩幅を変えない。
蘭丸の背に、すっと冷たいものが走った。
「本多、平八郎……。」
遠眼鏡を畳むや、蘭丸は階段を駆け下りた。
◇
「前乗り、とな。」
報せを聞いた光秀は、扇をぴたりと止めた。
配膳室には、昨夜の稽古でまだ足の重い三人がいる。
左近が赤い割烹着の紐を締め直す。
ケロタンは頭の盆を布で磨き、弥助は包丁の刃をひとつずつ確かめた。
「饗応の支度は、まだ七分。」
光秀は低く言った。
「だが、向こうは待ってはくれぬ。先に来る者は、膳を食いに来るのではない。見に来るのじゃ。」
「何を、でござる。」
「我らが何を出すか、ではない。何を隠しておるか、をよ。」
左近の喉が小さく鳴った。
「左近。」
「はっ。」
「今日は槍を置け。我らの鎧は、その割烹着一枚じゃ。」
「……心得ました。」
◇
玄関の式台に、忠勝は立っていた。
蘭丸が膝をつくより早く、忠勝は軽く頭を下げた。
「徳川家康が家臣、本多忠勝。少々、足が早うござった。お許し願いたい。」
年若い蘭丸に、礼を尽くす声であった。
それから背の長槍をおろし、小姓へ差し出す。
「蜻蛉切。ここより先は、お預けいたす。」
槍を渡す手に、迷いがない。
(武を鼻にかけぬ。だが、武を捨てたわけでもない。)
光秀は柱の陰からそれを見て、扇を握り直した。
「ご用の趣は。」
「主の膳に、障りがあってはならぬ。城の水と台所を、一目拝見したい。」
断れば疑いを招く。
見せれば、七分の支度をさらす。
光秀は一瞬だけ目を閉じ、静かに微笑んだ。
「ご案内つかまつる。」
◇
井戸端で、忠勝は柄杓を取った。
一口含み、ゆっくり飲み下す。
「……甘い水だ。」
それから、裏口の閂を指で押し、勝手口の戸の軋みを確かめ、竈の灰の湿りを見た。
どれも、無言である。
蘭丸が光秀に目で問う。
(毒見の下見か。)
光秀は小さくうなずいた。
(水も、人の出入りも、火の癖も。家康公の口へ入るまでの道を、すべて歩いておられる。)
配膳室の襖が開く。
左近、ケロタン、弥助が一列に控えていた。
炭火の匂いと、昨夜の汁の残り香。
忠勝の鼻が、わずかに動く。
「仕込みの最中か。」
「はっ。ご覧の通り、まだ荒仕事にて。」
光秀が頭を下げる。
四人が、いっせいに揖した。
両手を太腿へまっすぐ添え、深く、深く。
そのまま、
トトト……
トトトト……
魚が尾びれを震わせるような足さばきで、四人は静かに後ずさった。
蘭丸の肩が、ぷるぷると震える。
笑うな。笑ってはならぬ。
忠勝は何も言わなかった。
ただ、その足元を、じっと見ていた。
◇
「……見事な足運びだ。」
忠勝は、低く言った。
左近の背筋が張りつめる。
怒られるか。笑われるか。
だが、忠勝の目は笑ってはいなかった。
左近の足袋の先、踵のあたりに、ぴたりと据えられている。
「後ろへ下がりながら、一度も踵が浮かぬ。」
しばしの沈黙。
「あれは、退き陣の足だ。」
左近の胸の奥で、武人の血が、ことり、と鳴った。
(見抜かれた……。)
忠勝は踵を返す。
「膳の上でその足を見るのが、楽しみでござる。」
去り際の一言に、褒め言葉の温かさと、刃のような鋭さが同居していた。
光秀は、その背を見送りながら、静かに思う。
(家康公は、膳を食べに来るのではない。我らの腹の底を、見に来るのじゃ。)
夕立の名残の風が、庭の青竹を鳴らしていた。
第15話へ続く
後書き:筆者の想いに寄せて
なぜ島左近なのか。なぜケロヨンなのか。
それは、左近の持つ「武人の潔さ」と、ケロヨンの持つ「健やかな日常の象徴」が合わさった時、初めて信長の「死の気配」に対抗できると考えたからです。
店頭で雨の日も風の日も立ち続けるあのカエルのように、ケロヨンは安土の激動をケロリと見過ごし、左近は主君のために地獄の釜を焚き続ける。
この二人がいたからこそ、光秀は本能寺という「最後の配膳」まで走り抜けることができました。歴史という名の厳しい「処方箋」を、少しでも楽しく、そして美味しく書き換えたい。そんな願いを込めた主役抜擢でございました。




