第一章 1話 喜劇 安土饗応大作戦 ― 光秀と左近とケロタンの遠眼鏡 ―
外野の嫌がらせと信長の理不尽な圧力を、光秀の悪知恵と左近の勢い、ケロタンの珍妙な技でひっくり返す!
……だが、おもてなしが成功に近づくにつれ、光秀の瞳には異様な光が宿り始める。
「天下の行く末のため……上様、敢えて怒っていただきましょう」
光秀の胸に秘められた、あまりに切なく、壮大な深慮遠謀とは——?
歴史の結末が哀しいからこそ、今は思いきり笑い飛ばす!
史実のリアルと食文化の深掘りに、光秀の覚悟、そしてテンポ抜群の喜劇を掛け合わせた、命がけの過剰接待サイココメディ開幕!
第一章 1話
喜劇 安土饗応大作戦
― 光秀と左近とケロタンの遠眼鏡 ―
◆光秀、遅参す
五月の風が、安土城の白壁をやさしく撫でて吹き抜けていく。
天主にほど近い東櫓。
漆喰の白壁は初夏の日差しを照り返し、目が眩むほど明るい。その狭い日陰に身を寄せるようにして、明智十兵衛光秀は一人、南蛮渡来の遠眼鏡を覗いていた。
真鍮の筒は、借り物とは思えぬほど手になじんでいる。
幾枚もの異国の硝子を重ねたその先では、陽炎の揺れる庭に、織田家の重臣たちが次々と車座を作り始めていた。
「……ほう。揃ってまいりましたな」
能でも眺めるような穏やかな口調だった。
すでに白い割烹着を身につけているが、その姿には慌ただしさがまるでない。
隣では、赤い割烹着姿の島左近が腕を組み、庭を見下ろしていた。
「殿。まだ丹羽様も控えの間におられます。今から向かわれても十分に間に合いましょう。」
「うむ。」
光秀は遠眼鏡から目を離さない。
「急ぐ必要はあるまい。信長様の御前で慌てる姿を見せるのは、美しくない。」
左近は心の中だけでため息をついた。
(その余裕が、一番危ないのでございますが……。)
光秀は遠眼鏡を少し右へ向けた。
「あれが柴田殿か。相変わらず大きい。」
さらに左へ。
「ほう……利家殿は、もう茶菓子を見ておる。」
左近は苦笑する。
「殿。そのような観察は後ほどでも。」
「いや、人を見るのも饗応役の務めよ。」
その時だった。
庭の控え所から丹羽長秀が姿を現す。
懐から金箔押しの采配を取り出した。
光秀が首をかしげる。
「……あれは。」
左近の顔色が変わる。
「殿!」
「うむ?」
「始まります!」
「何が。」
「指し矢の儀にございます!」
光秀はもう一度庭を見た。
丹羽は大きく采配を振りかぶっている。
「……。」
一拍。
「な、何とッ!」
光秀は飛び上がった。
「左近! 遠眼鏡を預かれ!」
「はっ!」
押しつけるように遠眼鏡を渡すと、光秀は袴の裾を両手で持ち上げ、一目散に階段へ飛び込んだ。
「殿! 落ち着いてくだされ!」
返事はない。
次の瞬間。
ガタガタ。
ゴロゴロ。
ズドン!
櫓中に盛大な音が響いた。
「あいたたた……。」
しばし静寂。
続いて、
「痛うない! 全然痛うないぞ!」
という、誰に向けたのか分からぬ力強い声だけが聞こえてきた。
左近は額を押さえた。
「……その強がりだけは天下一でございます。」
やがて階段の下から、
「うおおおっ!」
という気合いと共に、光秀は脱兎のごとく庭へ駆け出していった。
その背中は、どう贔屓目に見ても天下の名将ではない。
ただの遅刻者だった。
左近は小さく息をつく。
「……まあよい。」
受け取った遠眼鏡を静かに構え直す。
「ここからでも、殿は見えます。」
異国の硝子越しに映る主君の背中を見送りながら、左近は誰にも聞こえぬ声で呟いた。
「借り物とは申せ、便利な道具にございますな。」
そして再び、庭へと焦点を合わせた。
:筆者の想いに寄せて
なぜ島左近なのか。なぜケロヨンなのか。
それは、左近の持つ「武人の潔さ」と、ケロヨンの持つ「健やかな日常の象徴」が合わさった時、初めて信長の「死の気配」に対抗できると考えたからです。
店頭で雨の日も風の日も立ち続けるあのカエルのように、ケロヨンは安土の激動をケロリと見過ごし、左近は主君のために地獄の釜を焚き続ける。
この二人がいたからこそ、光秀は本能寺という「最後の配膳」まで走り抜けることができました。歴史という名の厳しい「処方箋」を、少しでも楽しく、そして美味しく書き換えたい。そんな願いを込めた主役抜擢でございました。




