第二章 12話 後編 ◆前田利家、算盤を持って怒鳴り込む ― 加賀の塩物、汐鰤と、止まった算盤 ―
外野の嫌がらせと信長の理不尽な圧力を、光秀の悪知恵と左近の勢い、ケロタンの珍妙な技でひっくり返す!
……だが、おもてなしが成功に近づくにつれ、光秀の瞳には異様な光が宿り始める。
「天下の行く末のため……上様、敢えて怒っていただきましょう」
光秀の胸に秘められた、あまりに切なく、壮大な深慮遠謀とは——?
歴史の結末が哀しいからこそ、今は思いきり笑い飛ばす!
史実のリアルと食文化の深掘りに、光秀の覚悟、そしてテンポ抜群の喜劇を掛け合わせた、命がけの過剰接待サイココメディ開幕!
第二章 12話 後編
◆前田利家、算盤を持って怒鳴り込む
― 加賀の塩物、汐鰤と、止まった算盤 ―
利家の手が、算盤から離れた。
その鼻先を、見事な鰤が香ばしい匂いでくすぐる。
囲炉裏で軽く炙られた汐鰤。
じわりと脂が浮き、湯気とともに旨味が立ち上る。
光秀は静かに膳を差し出した。
「前田殿。
まずはご試食を。」
利家は腕を組んだまま動かない。
「わしは査定に来た。」
「承知しております。」
「食いに来たのではない。」
「もちろんでございます。」
そう答えながらも、光秀は膳を引かない。
やがて利家は鼻をひくつかせた。
「……。」
もう一度。
香ばしい匂いが流れる。
ケロタンが小声でつぶやく。
「鼻だけ、もう食べてるケロ。」
弥助は吹き出しそうになり、口元を押さえた。
利家は観念したように箸を取る。
「一口だけじゃぞ。」
箸先が塩物をつまむ。
口へ運ぶ。
しばし沈黙。
もぐ……
もぐ……
やがて利家の眉が、わずかに緩んだ。
「……うまい。」
左近が思わず拳を握る。
光秀も胸をなで下ろした。
利家はもう一切れ箸を伸ばす。
さらにもう一切れ。
三成が慌てて声を上げた。
「前田様!
査定中でございます!」
「うむ。」
利家は返事だけした。
箸は止まらない。
「前田様!」
「聞こえておる。」
もぐ。
「前田様!」
「静かにせい。」
もぐ。
気づけば皿は空になっていた。
ケロタンが頭をかいた。
「査定……終わったケロ?」
利家は空になった皿を見つめ、
ふっと笑った。
「これは加賀でも喜ばれよう。」
その一言に、光秀たちの顔が明るくなる。
しかし次の瞬間。
利家は再び算盤を手にした。
きらりと目が光る。
パチン!
パチパチッ!
勢いよく珠が弾かれる。
「味は見事。」
パチン!
「だが!」
パチパチ!
「無駄遣いは許さん!」
一同の背筋が伸びる。
「削れるところは削れ。
工夫で旨くせよ。
それが饗応じゃ。」
光秀は深く頭を下げた。
「肝に銘じます。」
左近、ケロタン、弥助も続く。
四人は両手を太腿へまっすぐ添え、
深く揖した。
そのまま、
トトト……
トトトト……
魚が尾びれを震わせるような足さばきで、シュールに、滑るように後ずさる。
利家はとうとう堪えきれず、
豪快に笑った。
「はっはっは!
安土の礼法とは、まことに面白い!」
台所に笑い声が広がる。
その笑いの中で、光秀は静かに思った。
豪華な料理だけでは足りない。
知恵も。
節度も。
そして人の心も添えてこそ、饗応は完成するのだと。
風鈴が、ちりん、と鳴った。
第二章第十三話へ続く。
後書き:筆者の想いに寄せて
なぜ島左近なのか。なぜケロヨンなのか。
それは、左近の持つ「武人の潔さ」と、ケロヨンの持つ「健やかな日常の象徴」が合わさった時、初めて信長の「死の気配」に対抗できると考えたからです。
店頭で雨の日も風の日も立ち続けるあのカエルのように、ケロヨンは安土の激動をケロリと見過ごし、左近は主君のために地獄の釜を焚き続ける。
この二人がいたからこそ、光秀は本能寺という「最後の配膳」まで走り抜けることができました。歴史という名の厳しい「処方箋」を、少しでも楽しく、そして美味しく書き換えたい。そんな願いを込めた主役抜擢でございました。




