第二章 11話 ◆秀吉の影! 丹羽長秀の冷徹なる品定め ― 一膳で心を斬る男 ―
安土の闇に浮かび上がる、三つの色。完璧主義の白(光秀)、猛火の赤(左近)、そして静寂の緑。
筆者の愛する「最強の武士」と「不滅の薬局キャラクター」が、歴史の時空を超えて安土の厨房で邂逅した。これは、家康の胃袋を巡る攻防戦であると同時に、光秀という孤独な料理人を支えた、異形の「戦友たち」の物語である。
第一章 10話の続きになります。
第二章 11話
◆秀吉の影!
丹羽長秀の冷徹なる品定め
― 一膳で心を斬る男 ―
七月に入り、入道雲が安土の空高く盛り上がっていた。
軒先では風鈴が、
ちりん……
と、涼やかな音を鳴らしている。
しかし、饗応方の台所には、その音を楽しむ者は一人もいなかった。
静かである。
静かすぎた。
廊下の向こうから、一人の武将が歩いてくる。
丹羽長秀。
信長の重臣。
秀吉ですら一目置く、織田家随一の実務家である。
歩幅は乱れず。
視線だけが静かに台所を走る。
誰一人、声を出せない。
「……参ります。」
光秀が低く静かに声をかけると、合図を受けた左近、ケロタン、弥助がすっと姿勢を正した。
四人は手を太腿に添え、背筋を伸ばしたまま深く揖した。
その姿勢のまま――
足だけが、
トトト……
トトトト……
まるで川魚が尾びれを細かく震わせるように、小刻みに後ろへ滑ってゆく。
誰も顔を上げない。
真剣そのもの。
だが、その後ろ姿だけは、どこか魚の群れが泳いでいるようでもあった。
弥助まで器用に、
トトト……
と下がる姿に、ケロタンは思わず吹き出しそうになる。
「笑うなケロ……こらえるケロ……。」
ケロタンはぐっと唇を噛み締めた。
長秀は何も言わない。
膳を見た。
汁椀を見た。
箸先を見た。
左近の歩幅を見た。
摺り足を見た。
ただ、それだけである。
やがて静かに口を開いた。
「左近。」
「はっ。」
「摺り足は見事。」
一同の胸が少しだけ軽くなる。
「……されど。」
空気が再び凍りついた。
「汁椀が半寸深い。」
「……。」
「膳は指一本、右。」
「……。」
「盆を置く音が、まだ残る。」
「……。」
左近の額を汗が伝う。
長秀は恐ろしい。
怒鳴らない。笑わない。
ただ見抜く。
まるで一膳で何もかも斬り分けるような眼であった。
その時。
後方から、
トトトト……
トトトト……
と下がり続けていた増田長盛と堀尾吉晴が、畳の縁に同時に引っ掛かった。
「ぬおっ!」
「おおっ!」
どたん。ごろん。
そこへ弥助まで巻き込まれ、大きな白い割烹着がふわりと舞う。
「おっとっとっと!」
ケロタンは頭の上のお盆だけは死守し、見事に着地した。
「お盆だけは命ケロ!」
台所に一瞬だけ緊張のほぐれた笑いが走る。
その笑いさえ、長秀は無言で見つめていた。
やがて膳へ視線を戻す。
そして小さく頷いた。
「よい。」
その一言だけだった。
光秀は思わず顔を上げる。
「まだ粗削り。」
一同の肩が落ちる。
「だが。」
風鈴が、
ちりん……
と鳴った。
「この膳ならば、殿にも差し出せよう。」
そう言い残し、長秀は静かに去っていく。
誰も動けない。
やがて足音が完全に消えると、全員が一斉に深い息を吐き出した。
「生きた……。」
「寿命が縮んだケロ……。」
左近は赤い割烹着の胸を握り締める。
「まだまだじゃ。」
光秀も静かに頷いた。
「饗応は、人をも鍛える。」
風鈴はまた、
ちりん……
と、涼やかに鳴った。
与太郎の余談(解説・雑感)
長秀殿はまさに「実務の鬼」でございますねえ!冗談も洒落も通じぬ石頭に見えて、最後に「殿にも差し出せよう」とツンデレな評価を残していくあたり、渋い武将の味が実によく出ております。なはは。
後書き:筆者の想いに寄せて
なぜ島左近なのか。なぜケロヨンなのか。
それは、左近の持つ「武人の潔さ」と、ケロヨンの持つ「健やかな日常の象徴」が合わさった時、初めて信長の「死の気配」に対抗できると考えたからです。
店頭で雨の日も風の日も立ち続けるあのカエルのように、ケロヨンは安土の激動をケロリと見過ごし、左近は主君のために地獄の釜を焚き続ける。
この二人がいたからこそ、光秀は本能寺という「最後の配膳」まで走り抜けることができました。歴史という名の厳しい「処方箋」を、少しでも楽しく、そして美味しく書き換えたい。そんな願いを込めた主役抜擢でございました。
不定期投稿になりますが、第二章の始まり、始まり。




