第一章 8話 ◆織田信長、台所を抜き打ち視察(前編)
外野の嫌がらせと信長の理不尽な圧力を、光秀の悪知恵と左近の勢い、ケロタンの珍妙な技でひっくり返す!
……だが、おもてなしが成功に近づくにつれ、光秀の瞳には異様な光が宿り始める。
「天下の行く末のため……上様、敢えて怒っていただきましょう」
光秀の胸に秘められた、あまりに切なく、壮大な深慮遠謀とは——?
歴史の結末が哀しいからこそ、今は思いきり笑い飛ばす!
史実のリアルと食文化の深掘りに、光秀の覚悟、そしてテンポ抜群の喜劇を掛け合わせた、命がけの過剰接待サイココメディ開幕!
第一章 8話
◆織田信長、台所を抜き打ち視察(前編)
水無月も半ば。
梅雨の雲間から射す西日が、
安土城の白壁を茜色に染めていた。
台所では、
翌日の仕込みが佳境を迎えている。
ぐつぐつと煮える大鍋。
炭火で焼かれる近江の川魚。
昆布と鰹の香りが、
湯気とともに立ちのぼる。
白割烹着の光秀は、
包丁を静かに動かしながら、
鍋の味を確かめていた。
赤割烹着の島左近は、
市場で死守した鮒を手際よくさばく。
緑割烹着のけろたんは、
頭のお盆を一分も揺らさぬまま、
茶器を磨いている。
誰もが黙々と働いていた、その時。
――ズサァッ!
――ガタン!
――ドガシャァァン!!
廊下の向こうから、
城中に響き渡る轟音が炸裂した。
「…………」
三人の手が止まる。
続いて聞こえたのは、
「……おっと。」
という、
低く威厳ある声。
しかし、その一言には、
わずかな焦りが混じっていた。
光秀は顔色を失う。
「……この覇気。」
左近も包丁を置く。
「間違いねぇ……。」
けろたんだけが、
きょとんと首を傾げた。
「ケロ?」
再び。
――ゴンッ!
何かへ額をぶつけたような音。
――バサバサッ!
豪奢な羽織が暴れる音。
「ぬう……。」
「…………。」
光秀は天を仰いだ。
(上様……またマントを……。)
ガラリ。
板戸が勢いよく開かれた。
漆黒の南蛮マントを翻し、
織田信長が姿を現す。
烈火のような眼光。
城内の空気すら支配する覇気。
……だが。
右の頬には、
見事な赤あざが浮かんでいた。
どうやら廊下で
柱へ顔をぶつけたらしい。
信長は何事もなかったように、
堂々と台所を見渡した。
「十兵衛。」
「はっ。」
「近頃、
台所がやけに騒がしいと聞く。」
光秀は深々と頭を下げる。
「家康公御饗応のため、
準備を進めております。」
信長は無言で頷き、
視線をゆっくり巡らせた。
白。
赤。
緑。
三色の割烹着が並ぶ。
「……十兵衛。」
「はっ。」
「宿老が、
何故そのような端女の姿をしておる。」
「…………。」
返答に詰まる光秀。
その横で、
けろたんは平然と一礼した。
「台所は戦場にございますケロ。」
「ほう。」
信長の口元が、
ほんのわずかに動く。
だが次の瞬間。
その鋭い視線は、
赤割烹着の島左近へ突き刺さった。
「……その赤。」
左近の背筋が伸びる。
「誰の趣味だ。」
台所の空気が、
ぴたりと止まった。
後書き:筆者の想いに寄せて
なぜ島左近なのか。なぜケロヨンなのか。
それは、左近の持つ「武人の潔さ」と、ケロヨンの持つ「健やかな日常の象徴」が合わさった時、初めて信長の「死の気配」に対抗できると考えたからです。
店頭で雨の日も風の日も立ち続けるあのカエルのように、ケロヨンは安土の激動をケロリと見過ごし、左近は主君のために地獄の釜を焚き続ける。
この二人がいたからこそ、光秀は本能寺という「最後の配膳」まで走り抜けることができました。歴史という名の厳しい「処方箋」を、少しでも楽しく、そして美味しく書き換えたい。そんな願いを込めた主役抜擢でございました。




