第35話 日曜日の席
第35話 日曜日の席
日曜日の朝、凛子は目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。枕元の時計は六時四十分を指し、カーテンの隙間から細い朝日が畳んでいない部屋着の上へ落ちている。Zoomなら開始の十分前まで家事をしていられるが、今日は初めて王国会館へ行くため、九時には部屋を出なければならない。凛子は布団の中で今日の服装を考え、起き上がる前に美咲へ短いメッセージを送った。
「おはようございます。やっぱり今日、行ってみようと思います」
送信すると、すぐに犬が両手を上げている絵文字が返ってきた。美咲は入口で待っていると書き、道に迷ったら電話をするよう付け加えた。凛子はベッドから出て、窓辺の観葉植物へ水をやった。受け皿へ少し水がこぼれたため、洗面所から古いタオルを持ってきて拭いた。
朝食には六枚切りの食パンを一枚焼き、ハムエッグとキュウリの薄切りを白い皿へ載せた。トーストの端へ塗ったイチゴジャムが指につき、凛子は舐めそうになってから布巾で拭いた。コーヒーを飲みながら天気予報を確かめると、昼過ぎまでは晴れるものの、夕方から雨になるという。玄関へ折り畳み傘を置き、食器を洗ってから寝室のクローゼットを開けた。
選んだのは、アイボリー色のワンピースと淡いベージュのカーディガンだった。結婚記念日に着た黒いワンピースも隣に掛かっていたが、今日は手を伸ばさなかった。首元には小さな銀色のブローチを留め、口紅は普段より薄い色を選んだ。鏡の前で髪を整えていると、右側だけがどうしても外へ跳ねた。
「初めて会う人は、そこまで見ていないわよね」
自分へ言い聞かせても、凛子はもう一度だけ濡らした櫛で髪をとかした。鞄には聖書とノート、ハンカチ、老眼鏡を入れ、念のため小さなペットボトルの水も加えた。以前Zoom集会で泣いたときに使ったバスタオルまで持っていくわけにはいかない。凛子は引き出しから少し大きめの白いハンカチをもう一枚出し、内ポケットへしまった。
王国会館は、駅から十分ほど歩いた住宅街にあった。大きな飾りや目立つ装飾はなく、手入れされた小さな花壇に黄色いマリーゴールドが咲いている。入口の前では、水色のブラウスに紺色のスカートを合わせた美咲が待っていた。凛子の姿を見つけると、時計を確認するより先に笑顔で手を振った。
「課長、迷いませんでしたか。私、十分前から外を見ていました」
凛子は、駅前のパン屋で道を一本間違えたと答えた。美咲は、自分も最初に来たときは隣の集会所へ入ろうとしたと話し、凛子の肩から少し力を抜かせた。入口には数人の人が立っていたが、誰も凛子を大勢で囲むことはなかった。一人の男性が穏やかに挨拶をし、美咲と一緒なら席も分かるでしょうとだけ言って道を開けた。
中へ入ると、よく磨かれた床と紙の聖書の匂いがした。Zoomの小さな画面で見た顔が実際の広さと高さを持ち、挨拶を交わしながら席へ向かっている。凛子は誰の名前を先に覚えればよいのか分からず、鞄の持ち手を両手で握った。そこへ、薄紫色のカーディガンを着た年配の女性が近づいてきた。
「凛子さんでしょう。画面で何度かお会いしていますね」
女性は、それ以上の事情を尋ねなかった。離婚した理由も、なぜZoomだけで参加していたのかも聞かず、自分は佐藤だと名乗った。それから布製の手提げ袋を開き、庭で採れたという小さなミカンを一つ取り出した。表面には黒い点があり、店で売られているものより少し形が平たかった。
「見た目はよくないですけど、甘いんですよ。昨日たくさん採れたので、一つもらってください」
凛子は両手でミカンを受け取った。鞄へ入れようとすると、佐藤は聖書の角で潰れないよう、ハンカチへ包んだほうがよいと教えた。凛子が白いハンカチを出すと、佐藤は自分も昔、鞄の中でミカンを潰し、聖書から一週間ほど柑橘の匂いが取れなかったと笑った。凛子はミカンを包み、内ポケットではなく鞄の一番上へ載せた。
美咲が選んでくれた席は、後ろから三列目の通路側だった。前すぎれば人の視線が気になり、奥へ入れば途中で席を立ちにくいだろうと考えてくれたらしい。凛子は椅子へ腰を下ろし、膝の上に聖書とノートを重ねた。隣では美咲がボールペンを探し、鞄から飴の包み紙や小さな砂糖の袋をいくつも出していた。
「どうして砂糖が三袋も入っているの」
凛子が小声で尋ねると、美咲は喫茶店でもらったものを捨てられないのだと答えた。自宅の引き出しにも十袋ほどあり、いつか料理へ使うつもりだという。凛子は、砂糖なら家にもあるでしょうと言いかけ、今はその話をする場所ではないと口を閉じた。美咲はようやく犬の絵が入ったボールペンを見つけ、開始前の歌の番号をノートへ書いた。
集会が始まると、凛子は画面越しとは違う周囲の音に戸惑った。聖書のページをめくる音、子どもが鉛筆を落とす音、後ろの席で誰かが小さく咳をする音が聞こえる。話し手の声もスピーカーだけでなく、同じ部屋の前方から届いていた。凛子は途中で胸元が固くなるのを感じたが、足の裏を床へつけ、隣にいる美咲の紺色のスカートを視界の端で確かめた。
その日の話は、困難なときにも互いに気遣うことについてだった。劇的な言葉も、凛子だけに向けられた助言もなかった。聖書の一節を読み、家族や会衆の人の話を最後まで聞くこと、助ける前に何を必要としているか尋ねることが勧められた。凛子は数日前に美咲の話を聞いた喫茶店を思い出し、ノートの端へ「相手の必要を尋ねる」と書いた。
集会が終わると、何人かの人が凛子へ挨拶に来た。佐藤はミカンを忘れないよう念を押し、別の女性は次の日曜日も同じ時間にあると教えた。誰も「毎週来なければいけない」とは言わず、離婚後の生活について助言を始める人もいなかった。凛子は名前をすべて覚えられなかったが、薄紫色のカーディガンと、赤い眼鏡と、青いネクタイだけは覚えた。
外へ出ると、日差しは朝より強くなっていた。美咲と佐藤、それに小学生の娘を連れた中村という女性が、近くの公園で少し休もうと誘ってくれた。駅前のパン屋へ寄り、美咲は粒あんパン、佐藤はクリームパン、中村の娘はチョココロネを選んだ。凛子は迷った末に、焼き色の濃いこしあんパンを一つ買った。
公園のベンチには昨夜の雨が少し残っていた。佐藤が鞄から古い広告紙を取り出して座面を拭き、美咲が持っていたティッシュで仕上げた。四人で座るには狭く、中村の娘は母親の隣で小さく体を寄せている。凛子はあんパンの袋を開け、半分に割ろうとして少し潰した。
「美咲さん、半分食べる?」
美咲は自分も粒あんパンを一つ持っていると答えた。それでも凛子が、こしあんと粒あんを交換したいと言うと、美咲は少し考えてから半分ずつ取り替えた。佐藤は、あんこの違いはよく分からないと言いながら、クリームパンの中身が片側へ寄っていることを気にしていた。中村の娘はチョココロネを細いほうから食べるか太いほうから食べるかで迷っていた。
「細いほうから食べると、最後にチョコがたくさん残るよ」
美咲が教えると、娘は太いほうから食べるのが好きなのだと答えた。美咲は自分の助言が一秒で退けられたと笑い、凛子もこしあんパンを口へ運んだ。特別な相談をしたわけでも、過去を詳しく話したわけでもない。四人はパンの食べ方や、来週の天気、駅前のスーパーで卵が高くなったことを話した。
佐藤は、庭のミカンは今年だけ実が多く、夫婦二人では食べきれないと話した。中村は娘の上履きを洗うのを忘れ、今朝ドライヤーで乾かしたと打ち明けた。美咲は鞄へたまった砂糖を今夜こそ煮物へ使うと言った。凛子は、こんな話をするためだけに同じ場所へ集まる時間があることを、不思議に思った。
帰る時刻になると、佐藤はバス停へ向かい、中村親子は図書館へ寄ると言った。美咲とは駅の改札で別れた。来週も来ますかとは聞かれず、美咲は母親の退院後に利用できる支援について、火曜日に相談窓口へ電話するとだけ話した。凛子は、結果を聞かせてほしいと伝えた。
「来週も、あの席に座っていいのかしら」
別れ際、凛子が尋ねると、美咲は少し驚いた顔をした。席は決まっていないため、誰がどこへ座ってもよいという。それから、凛子が通路側を好むなら、自分もまた隣へ座ると答えた。
「課長のために取っておくというより、私もあの席が楽なんです。途中でお手洗いへ行きやすいですから」
凛子は、美咲らしい理由だと思った。自分だけのために用意された特別な席ではないからこそ、来週もそこへ座ってよいと思えた。選ばれた人だけが招かれる場所ではなく、自分から扉を開ければ、空いている椅子へ腰を下ろせる。凛子は改札を通る美咲へ手を振り、鞄の中のミカンが潰れていないことを確かめた。
帰宅すると、朝に畳み忘れた部屋着がベッドの上へ残っていた。凛子はアイボリー色のワンピースから薄いグレーの部屋着へ着替え、布団の上の服を一枚ずつ畳んだ。夕食には冷蔵庫に残っていたアジの開きを焼き、豆腐とネギの味噌汁を作った。アジの尾は少し焦げたが、今日は大根おろしがあったため、そのまま食卓へ出した。
食後、佐藤からもらったミカンをむいた。皮は厚く、形も不ぞろいだったが、房には十分な甘みがあった。凛子は一房だけ残して翌朝に食べようとしたが、乾いてしまうと思い、その場ですべて食べた。指についた柑橘の匂いを嗅ぎながら、机の引き出しから手帳を出した。
次の日曜日の欄は空白だった。以前の凛子なら、誰かから誘いの連絡が来るまで予定を入れずに待ったかもしれない。誘われることや必要とされることで、自分が選ばれたと確かめようとしていた。しかし来週は、美咲に選んでもらうためでも、会衆の人に認めてもらうためでもなく、自分が人とつながる時間を選びたかった。
凛子は青いボールペンで「集会」と書き、その下へ開始時刻を記した。文字の横には、通路側の席と小さく付け加えた。来週も同じ人が隣へ座るとは限らず、佐藤がまたミカンをくれるとも限らない。それでも、空いている椅子が一つあると思うと、次の日曜日までの一週間を過ごせる気がした。




