第23話 今度は私が支える番
第23話 今度は私が支える番
月曜日の朝、青空には細い雲がゆっくり流れ、会社の窓から差し込む光がフロアを明るく照らしていた。凛子は白いブラウスに紺色のカーディガンを羽織り、いつものように始業三十分前に出社すると、机を柔らかい布で拭いてから給湯室でコーヒーを淹れた。昨夜作った鶏そぼろを詰めた小さなお弁当は保冷バッグへ入れ、窓辺の観葉植物にも出勤前に水をやってきたので、朝から気持ちが落ち着いていた。
デスクへ戻ると、新入社員の結城美咲がパソコンの前で固まっていた。水色のブラウスの袖を何度も引っ張り、机には数字が並んだ資料が散らばっている。昨日まできれいに整っていた帳面には消しゴムの跡が増え、シャープペンシルだけが何度も握り直されたように机の上を転がっていた。
「朝倉課長、お時間いただけますか。」
美咲の声は小さかった。凛子は資料を閉じると、自分の椅子ではなく美咲の隣へ椅子を持ってきて座った。画面には集計表が開かれており、一つの入力ミスが原因で数字がすべてずれてしまっている。美咲は唇をかみしめながら画面を見つめ、「私、向いていないのかもしれません」とつぶやいた。
凛子は画面を見るより先に、机の上へ置かれたマグカップを少し奥へ寄せた。慌てて置いたのか、コーヒーが少しだけこぼれ、書類の端が湿っている。ティッシュで水滴を拭き取りながら、凛子は昔の自分も、失敗を一つすると全部が駄目になったような気持ちになっていたことを思い出した。
「数字は逃げません。」
凛子は穏やかに言った。
「一つずつ戻れば、ちゃんと元の場所へ戻ります。」
美咲は目を丸くした。凛子は入力欄を一緒に確認し、どこでずれたのかを順番に探していく。十分ほどすると原因が見つかり、表の数字はきれいにそろった。美咲は画面を見つめたまま、大きく息を吐いた。
昼休みになると、社員食堂ではチキン南蛮定食が人気で、長い列ができていた。凛子は自分のお弁当を広げると、鶏そぼろご飯と卵焼き、それにブロッコリーのおかか和えを並べる。美咲も隣へ座り、コンビニで買った鮭おにぎりを袋から取り出したが、まだ少し緊張した表情のままだった。
「課長は、失敗したことないんですか。」
凛子は卵焼きを一口食べてから笑った。
「たくさんありますよ。だから確認する順番だけは決めています。」
「怒られませんでしたか。」
「怒られたこともあります。でも、教えてくれる人がいたから今があります。」
美咲はその言葉を聞いて少しだけ肩の力を抜いた。昼休みの終わりには、「今日は帰ったらちゃんとご飯を食べます」と照れくさそうに笑い、おにぎりを最後まで食べ切った。
午後、部長がフロアを見回りながら凛子へ声を掛けた。
「朝倉課長、新人がずいぶん落ち着きましたね。」
凛子は資料を閉じて立ち上がった。
「数字は教えられます。でも安心して質問できる空気は、みんなで作るものです。」
部長は何度もうなずき、「それが一番難しいんですよね」と笑った。
仕事を終えた帰り道、凛子は商店街で旬のとうもろこしを二本買った。魚屋では脂ののったアジが並び、「今日は新鮮ですよ」と店主が声を掛ける。夕食はアジの開きと冷ややっこ、それにとうもろこしご飯にしようと決めると、紙袋を抱えてゆっくり家へ向かった。
部屋へ戻ると、洗濯物を取り込み、一枚ずつ丁寧に畳んで引き出しへしまう。炊きたてのとうもろこしご飯の甘い香りが部屋いっぱいに広がり、窓辺では観葉植物の新しい葉が夕日を受けて輝いていた。食後に温かいほうじ茶を飲みながら、美咲の少し安心した笑顔を思い返す。
以前の凛子は、誰かを支えることばかり考えていた。でも、その支え方は、自分を削る支え方だった。今は違う。自分の足で立ちながら、困っている人へ手を差し伸べることができる。その違いを知ったからこそ、今日の「ありがとうございます」という一言が、静かに胸へ残っていた。
窓を開けると、夜風がレースのカーテンを揺らし、遠くから虫の声が聞こえてきた。凛子は観葉植物の葉をそっと撫で、「また明日も頑張ろう」と小さくつぶやく。誰かの人生を背負うためではなく、自分の人生を大切にしながら、誰かを支えられる人でありたいと願いながら、部屋の灯りを静かに落とした。
この流れなら、第24話は「美咲が大きな仕事を任され、凛子がかつて自分を支えてくれた冴島のような存在になっていく」という展開へ自然につながります。




