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第13話 頼る相手

第13話 頼る相手


朝から湿った風が窓の隙間を通り抜け、白石真央のワンルームには洗い終えたまま畳めていない洗濯物が部屋干しされていた。薄いピンク色の部屋着のままソファへ座った真央は、テーブルの上に置かれた食べかけのいちごジャム入りヨーグルトをスプーンで二、三度かき混ぜたものの、一口しか食べられなかった。スマートフォンには凛子の代理人から届いた通知が表示されたままで、画面を消しても胸の奥に文字だけが残り続けていた。


真央は迷うことなく拓也へ電話をかけた。これまで困ったことがあれば、拓也は必ず駆けつけてくれた。夜中でも、休日でも、「大丈夫か」と言って玄関の前に立ってくれた姿ばかり思い出し、それが今日も変わらないと信じていた。


「拓也……どうしたらいい?」


電話の向こうはしばらく無言だった。いつもなら「心配するな」と返ってくるはずなのに、聞こえてきたのは深いため息だけだった。


その頃、拓也は会社近くの喫茶店で一人、冷めかけたナポリタンを前に座っていた。ワイシャツの袖を肘までまくっていたが、フォークはほとんど動かず、ケチャップの赤いソースだけが皿の端で乾き始めている。店内にはコーヒー豆を挽く音が響き、窓際では年配の夫婦がプリンを分け合って笑っていたが、その穏やかな空気は拓也には遠い場所の出来事のようだった。


「俺だって困ってるんだ。」


拓也は額を押さえながら答えた。


「会社でも調査が始まったし、慰謝料の話もある。少し考える時間をくれ。」


真央は耳を疑った。これまで拓也は、自分より真央を優先してきた。その当たり前が崩れたことを受け止められず、指先でスマートフォンのケースを何度もなぞった。


「でも、私ひとりじゃ無理だよ。」


「無理なのは俺も同じだ。」


拓也の声には余裕がなかった。真央はその声を聞きながら、部屋の隅に置かれた観葉植物の葉が何日も水をもらえず少し垂れていることに気づいた。いつもなら拓也が「ちゃんと世話しろよ」と笑っていたことまで思い出したが、その記憶は今の会話とはつながらなかった。


「そもそも、あなたがもっと私を守ってくれていたら、こんなことにならなかったじゃない。」


真央は思わず口にした。言った瞬間、自分でも少し驚いたが、止められなかった。拓也はテーブルの上に置いた水のグラスを握りしめ、氷が小さく音を立てる。


「何を言ってるんだ。俺は何年も助けてきただろ。」


「だったら最後まで助けてよ。」


「最後って何だよ。全部俺のせいにするのか?」


店員が「お水おかわりお持ちしますね」と穏やかに声を掛けたが、拓也は首を横に振るだけだった。電話口から聞こえる真央の呼吸は少しずつ荒くなり、互いの言葉は相手を支えるためではなく、自分を守るためだけに使われ始めていた。


真央はソファへ座り直し、散らかったテーブルをぼんやり見つめた。昨日買ったコンビニのおにぎりは袋も開けられないまま置かれ、読みかけの雑誌の上には郵便物が積み重なっている。これまで困れば拓也へ電話すればよかった。だから、自分で何かを決める習慣がいつの間にかなくなっていたことに、今さら気づき始めていた。


拓也もまた、電話を耳に当てたまま窓の外を眺めた。道路の向こうでは営業へ向かう若い社員たちが笑いながら歩いている。その姿を見ているうちに、自分も以前は昼休みに凛子が作ってくれた卵焼き入りの弁当を会社の屋上で食べていたことを思い出した。あの頃は、帰れば部屋に明かりがつき、味噌汁の匂いがしていた。


「もう俺にばかり頼るな。」


拓也がようやくそう言うと、真央はしばらく何も答えなかった。そして小さく息を吸い込み、今度は低い声で返した。


「じゃあ、私は誰を頼ればいいの?」


その問いに、拓也は答えられなかった。自分もまた、誰かに頼りたいと思っていたからだ。しかし、その相手だった凛子はもう隣にはいない。互いに相手へ寄りかかることで形を保っていた関係は、片方が崩れた瞬間、もう立ち直ることはできなかった。


電話はどちらからともなく切れた。真央はスマートフォンをソファへ置き、部屋干しの洗濯物を一枚だけ取り込んだが、途中で手が止まった。拓也は冷め切ったナポリタンを一口だけ食べ、代金を払って店を出る。雨上がりの歩道には小さな水たまりが残り、その中に映る二人の未来も、足音ひとつで静かに揺れていた。



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