第257話 越中マジノ・ライン (下) ダンケルクの後
喪中だったので新年の挨拶は控えさせていただきます。今年も宜しくお願い致します。
結局年内に書けず申し訳ありませんでした。途中3人称が入ります。
越中国 灘浦
俺の担当する地域の戦線は氷見まで進軍した。指揮所が輪島では遠いため俺も氷見の灘浦まで進んだ。佐渡島の征服は順調で、宿根木浦から一気に佐渡南部を押さえたそうだ。羽茂の本間高信は戦死し、今は佐渡北部の河原田本間氏と戦っているらしい。越後はほぼ空っぽだったようで援軍の気配もないそうだ。まぁ、上野と越中で同時に戦っているのだから余力などあるはずもないわけだが。
「十兵衛、上野の様子は何か連絡が来たか?」
「此処に知らせが来るのは一月程かかります故、期日通りに上野と下総、常陸等で織田・北条の皆様が動き出した事しか分かっておりませぬな」
「まぁ、そうだろうな」
早く電信の整備ができれば良いのだが、残念ながら水力発電の試運転と磁石の安定生産がやっと始まったばかりだからな。試運転も結果が気になるところだが、色々とやりたいことが多すぎる。情報のタイムラグは不測の事態への対応が遅れるから早期に何とかしたいところだ。
「敵は近場の城で連携しながら守る気か」
「石造りで無い建物も多いので、散弾は不要に御座いますな」
「数を用意出来ていないからな。威嚇以上には元より期待していなかった」
散弾というにはお粗末だが、砲弾としてこれまでは丸い大きな石を使っていたのを、布に中くらいの石を幾つも詰めて発射している。城壁一箇所にそこそこの穴を空けていた今までの砲弾では、その一箇所にしか被害を与えられない。石造りの建物も急造であまり壁は厚くない(厚くしても砲弾に抜かれると考えたのかもしれない)らしいので、より広範囲に被害が与えられるように散弾を試作し実戦に投入したのだ。試用時から分かっていたことだが、射程が短いのが難点だ。相手が籠城している状況だから問題なく使えたが、平野で合戦となれば普段よりかなり前線に出さねばならないので使えないだろう。もし野戦で使うのなら、せめて薄い鉄板か銅板の砲弾の中に石を詰めて射程を延ばすとか、そういう方向性になるだろうか。いわゆる弾丸の形状に加工するのも考えるべきか。
「早月石とやらは運ばれていないのだろう?」
「海戦以後、敵は海路を用いておりませぬ」
「陸路で石を運ぶのは無理だろうな。川と海を使えたから整備出来たのだから」
水軍といっても普段は漁や水運などで収入を得ている者が相応にいる。彼らに被害がでればそれだけ物流や食料供給にも影響がでる。一方、こちらはこの灘浦に物資の集積を始めている。越中西部で戦う味方は金沢と灘浦から潤沢に武具も食料も手に入れられるわけだ。制海権の確保がいかに重要かがここでもわかる。
「念の為、佐渡にも安宅船を一隻運んでおけ」
「では、此方で不要になった散弾も持たせましょう」
「ほう」
「船の方が的に当て難い故、やや近距離から散弾を撃ち込む方が船を沈め易いかと」
「成程」
まぁ、動く的に当てるなら散弾の方がいいか。
「大久保七郎右衛門殿が海老瀬城を、日根野兄弟が森寺城を攻めておりますが、相手の椎名勢が曲者だそうで」
「上野彦次郎、か。中々の曲者だ」
彼の父親は上杉謙信(今はまだ上杉政実だが)の父親を撃退したことのある名将らしい。親子揃ってあまり名が知られていない隠れた名将といったところか。
「越中の地の利を良く知る者故に、城攻めに都合の良い丘等に絶妙に伏兵を配して我等の手を遅らせてくるそうで」
「椎名の当主がかなりの兵を任せた所以も分かるな」
長尾上杉の兵が城の中を守り、遊軍としてこちらを阻む椎名兵。石造りの建物に籠っていた時は見えなかった動きだ。相手の勢力圏に本格的に踏みこんだための抵抗といえる。
「西越中は本願寺派の民が多い。本願寺からうちに来た青侍達を慰撫に向かわせたか?」
「既に近隣には向かわせました。和睦の件も大きいですが、何より長尾の乱入に対し思う処があるようで」
「好意的?」
「と迄は言えませぬが。報告では概ね悪く無い様子」
ある意味正面から戦っていたうちよりも、背後から踏み潰された恨みの方が大きいのかも。俺としては今後の統治が楽になるので問題ない。
♢♢
越中国 安楽寺城
石黒家臣・高橋与十郎が斎藤方に寝返ったことで、安楽寺城は陥落した。石黒氏は宗家の石黒相模守光秀が親本願寺、傍系だが勢力が大きな石黒左近蔵人成綱は反本願寺だった。椎名と共謀して神保氏を東西から挟みこんで滅ぼした石黒成綱は宗家を武威で服属させてそのまま長尾上杉と手を組み、西越中に勢力を確立した。しかし宗家系の家臣がここに来て反旗を翻した。石黒相模守が斎藤氏に寝返ろうとしたのが長尾上杉の家臣に発覚し討たれたのがこの流れを決定づけた。
現在、石黒相模守の次男・左近丞光連が斎藤新九郎龍和の元に逃げ延びている。安楽寺城で高橋与十郎が合流したことで、越中南西部では地の利を生かせなくなった長尾上杉が更に押しこまれることは確定といっていい。実際、蓮沼城と安養寺城という長尾上杉の西越中最大の拠点を直接攻防する状況になっているのだから。
龍和と対面した左近丞光連は、一時的に全てを失いながらも悲壮感を周囲に見せない様子だった。
「石黒左近丞殿、御父上と御兄上の事御悔やみ致す」
「元より父も覚悟の上かと。其れに、誰かが生き残ったなら斎藤様に御家を残して頂ける約定でしたので」
「無論、父上も確と承知しておられる」
金沢から移った本陣の面々が石黒氏が味方する意味を思いつつ、その会談は終わった。
♢♢
越中国 蓮沼城
悪い状況では悪い知らせが特に多く届くように感じるものだ。飛騨の戦線が実質崩壊した一報が宇佐美定満に届いたのも、そういうタイミングだった。
「真田の嫡男が討死。出来るならば誤報であって欲しいな」
「で、生き残った根井弥太郎が何と?」
「江馬氏の当主が子に背かれたとかで、援軍を求めておりますな」
「無理だな」
「正しく」
「江馬に兵が送れるなら越後に兵を戻さずとも戦える。殿の小姓で御気に入りとは言え、各地の状況を伝えれば理解しよう」
「では、伝えて参ります」
「頼むぞ」
最近は富山湾で長氏の船や安宅船が定期的に現れるようになっている。制海権を奪ったことを見せつけるのと、越後側の物資の運搬や人の移動を制限するためだ。そのため予定していた越後への兵の移動も、予定より遅れている。
佐渡島では河原田本間氏が続々と拠点を失い、いつ佐渡島が平定されてもおかしくない状況である。そして佐渡島が平定されれば、いつ越後が、直江津が襲われるかもわからない状況になる。
「大局を見る目を養う為にも、今の越中を知り、考えて貰わねば、な」
格の問題で直接話したことはないが、宇佐美定満も根井弥太郎の才覚は聞き及んでいる。だからこそ、宇佐美は絶望的な飛騨に戻そうと考えていなかった。
「魚津辺りに兵を送り込まれたら我等は終わりだ。真田の兵は疲弊もしているであろうし、沿岸の警戒を頼むかの」
だが、宇佐美の計画は一歩遅かった。これは彼の戦略眼・戦術眼の問題ではなく、純粋に運の問題でもあった。
椎名の前線を上野彦次郎と共に支えていた神前一族が、大久保や日根野による人海戦術での拠点炙り出しを受け、敵中に孤立して全滅したのだ。それまで上野彦次郎の指揮で山道などを襲っていた部隊が壊滅したことで城攻めが本格化。大砲が運びこまれて北西部が一気に窮地に陥ったのだ。
翌日にその情報がもたらされた宇佐美定満は、即座に富山を流れる神通川以西の放棄を決定。内通が判明していた下平吉長を密かにマークしながら安養寺城・蓮沼城・阿尾城・海老瀬城・森寺城から兵を後退させた。椎名氏は海老瀬・森寺の両城で安定した防衛を進めていたのが神前一族の討死で崩れたため、これに反対することができなかった。
そして、撤退開始直後に寝返って宇佐美定満に襲いかかったのが大熊朝秀だった。彼は段銭方と呼ばれる税収を集める立場の人物だ。そのため、ここ数年で税収が目減りしていることを強く実感していた。そして同時に、織田や斎藤の経済的発展も十分理解していた。彼はもし庄川・神通川一帯まで撤退することになれば、もう越中を取り戻す事は不可能と考えており、ならば早々に斎藤氏に降伏し家を残すべきと考えていた。
しかし、宇佐美定満は下平吉長と同様に大熊朝秀も警戒していた。そのため、降伏と同時に手土産代わりに宇佐美定満の首を狙った大熊朝秀の行動は裏目に出た。
両軍は砺波の小倉で合戦となった。功を焦った大熊朝秀は、宇佐美定満の本陣を囮とした罠にはまって大損害を出し、まるで戦場で敗れて降伏するような状態で斎藤氏に合流することになった。
一方の宇佐美定満は大熊に勝利した代わりに鍋島の追撃部隊に追いつかれ、疲弊した兵を逃がす余裕もなく多勢に包囲され降伏した。自身の命と引き換えに兵を越後に逃がす事は出来たものの、これによって越中国内の長尾上杉兵は指揮官を喪失。散り散りに越後へ逃げ帰ることになった。
ここに至って椎名側も降伏。若き当主は白装束で老臣とともに新九郎龍和の本陣に赴いて寛大な処分を願うしかなくなるのだった。
真田が状況を知り、撤退できたのは飛騨での戦で情報に敏感になっていたためであった。紙一重で越後への脱出に成功した彼らの拠点だった大村城は、彼らの撤退から3日後に長氏の水軍らが上陸・占領した。沿岸警備にのみ注力し兵を休ませていれば、真田も越中で包囲・壊滅していたと後世では語られている。
♢♢
越中国 富山城
一足先に入城した富山の城に、息子の龍和がやって来たのは8月の終わりだった。
越中南部の国人領主らを丹念に降伏させ、越中西部を完全に掌握する作業を任せたためだった。中には抵抗した者もいたらしいが、そういう者達の砦や館を竹中半兵衛が実に楽しそうに攻め滅ぼしていたそうだ。ちょっと怖い。
「父上、遅くなりました」
「いや、良き初陣だった。俺より数倍良い成果を出したぞ」
俺の初陣は名ばかりの城攻めだったからな。談合だぞ、談合。後世の人が知ったら微妙な顔になるやつだ。
「東部は如何でしたか?」
「日根野・大久保らが魚津と松倉城を押さえた。後は堀切と若栗の城砦のみだ」
黒部川一帯までいくと難所が多く兵がいれば攻められるわけでもなくなる。要所は完全に掌握したので、残る残党は交渉しながら必要なら武力を出す程度の方がこちらの兵がいらぬ被害を受けずにすむ。
「信長との約束通り、越中は1年でほぼ落とした。後は、上野の様子次第だな」
「北条も含む10万の兵が関東に、でしたか。正に天下分け目に御座いますね」
上野で決戦に臨むつもりという話の結果はまだ届いていない。そろそろ、こちらにも情報が来ていい頃だ。
防衛線に穴が開くとあとはズルズルといっていしまうのは仕方ない話で、自分でシミュレートした限り、宇佐美定満といえどこれ以上の抵抗はできないな、という結論に至りました。
大熊朝秀は史実でも武田の誘いで謀反を企てた人ですが、経済面には精通していたので戦争経済の謙信の下ではやっていられなかったのかな、なんて思っています。
上野彦次郎については活躍の時期が50年程間が空いているので、本作では長尾為景に勝ったのが父親、謙信と戦ったのが息子とし、息子側に活躍してもらいました。地の利を生かした地元の英雄って実は結構いますよね。そういう人物を蔑ろにしない作品でありたいです。




