第256話 越中マジノ・ライン (中) ミンスミート佐渡島
投稿遅くなって申し訳ありません。
最初と最後が3人称です。
能登国 金沢
金沢本陣を担当する斎藤新九郎龍和だが、実際は大まかな方針は父義龍と明智十兵衛光秀がつくっていた。そして現場判断に大きく貢献していたのが、竹中重元の子・竹中半兵衛和重と鍋島孫四郎和茂、そして蜂須賀小六である。彼らは実戦経験も既にあり、かつ精密さは微妙ながら戦場の地形図なども所有して、その上に耳役や服部党から集めた情報をまとめていた。
「孫四郎、安楽寺は如何だ?」
「城の中を見た者によれば虎口は西、城主は高橋与十郎。然れど兵の大半は椎名の者共に御座います」
「与十郎と言えば本願寺派の徒であったな」
「既に半兵衛が使いを出しておりまする」
「手が早いな」
その言葉に、美濃和紙の扇子で口元を隠す竹中半兵衛。本人曰く「策が上手くいくと下衆な笑い方になる」ため、口元を隠すのだと周囲には説明していた。
「本願寺の青侍だった下間一族の者を向かわせております」
「内と外から攻められれば最上だが、其れは高望み過ぎるか」
「虎口を守る椎名兵を何とかせねばならぬ、か」
安楽寺城の虎口は北条氏と長尾上杉氏が多用している馬出であり、ここの防備は堅牢だ。
「やはり殿より命のあった倶利伽羅峠の突破が鍵に御座いますな。倶利伽羅峠を抜けて源氏ヶ峰城に攻め入るが上策かと」
「其処は目立つ故石積みが遅れているのだったな」
倶利伽羅峠の東、街道を進んだ先にあるのが源氏ヶ峰城だ。源平の合戦時代に城が築かれ、近年能登畠山と本願寺の対立の中で再整備が行われた。しかし、ここに魚津周辺で採掘される早月石を運ぶのは目立つ。そのため倶利伽羅峠で交渉による足止めをし、その間に富山湾沿岸の新設の砦や荒山峠などが優先的に整備されたのであった。3か月は交渉で引き延ばせると考えていた長尾上杉氏は、3か月後に源氏ヶ峰城を整備が終わる計画を大きく狂わされている状況だった。
「真柄兄弟に加え、作内と清十郎も援軍に送ろう」
「若、御任せを」
武の担当である加藤作内光泰と道家清十郎がこれに答える。小姓として側仕えてきた彼らも、今回兵を率いて初陣となる。
「概ね父上と十兵衛の狙い通りに進んでいる。我等も遅れをとるな!」
「寧ろ、殿を驚かせる戦がしたいですな」
「言うな。では其方も目付に作内に付け、孫四郎。越中一番乗りを目指すぞ」
「はっ!」
蜂須賀小六も戦場に行きたがったが、小六は義龍から龍和の側を離れぬよう厳命されていたため我慢した。半兵衛は実戦経験が鍋島孫四郎より少ないため、今回は金沢本陣と決まっていた。
「硝煙が燻り、血潮が浸み逝く地に行けぬは無念なれど、数多の兵を手足が如く自在に操るも又可笑し」
半兵衛は、そう言いながら扇子で口元を隠すのだった。
♢♢
能登国 輪島
6月に入った。倶利伽羅峠を突破した真柄兄弟は鍋島孫四郎や加藤作内らの援軍を得て源氏ヶ峰城攻めを開始。大砲を運び込んだ加藤作内によって未完成だった城壁が崩壊し、急遽城主として城に入っていた石黒与左右衛門は銃撃により討死したそうだ。
これにより長尾上杉勢はさらに東に6里(約3km)ほど離れた蓮沼城を最終防衛ラインとしたようだ。ここにはわざわざ長尾上杉の武将・宇佐美定満が直接兵を率いて入ったとか。
「此処が抜ければ富山湾周辺は完全にこちらの物量で押しこめる状況になるからでしょう」
「其方の予想通りだな」
十兵衛が地図を示しながら説明してくれる。蓮沼城の側を通る小矢部川を下れば高岡、南に行けば敵の防衛拠点である安養寺城がある。安養寺城は本願寺が築いた元御坊だ。本願寺を追い出した後長尾上杉勢の越中国境における前線の指揮拠点の1つとなっているらしい。そこが孤立すると南西部を根こそぎ失うことになり、ドミノ倒しに越中は俺たちの手に落ちるだろう。だから敵も余剰兵力を一気に吐き出してきたわけだ。
「で、敵の水軍は?」
「長氏の動きを見るべく船が時折湾内に見られる程度かと。遠出する船は御座いませぬ」
「では」
「ええ。機は熟したかと」
無表情ながら、十兵衛の口元がわずかに緩んだ。
海岸沿いに移動しつつ、湊で合流した面々と会話する。
「では、龍光。頼んだぞ」
「任せろ兄上。必ずや成し遂げよう」
弟の鷲巣孫四郎龍光が胸をドンと叩く。朝倉との戦でも度胸と謎の自信を見せたので、今回の作戦には適役と判断した。
「良し、北前船の帆を上げよ!目標、佐渡島!」
俺が安宅船しか用意できなかったもう1つの理由、それがこの北前船こと弁才船だ。対馬海流を利用して江戸時代に発展した500石船。これも安宅船と同時に準備していた。今回はこれを40隻。弁才船をこの数用意するのに時間がかかっていたわけだ。元々は越中の後方への上陸作戦を考えていたのだが、海戦で相手に相当な損害を出す必要があると思われた。十兵衛も平井宮内卿もそれは現実的ではないと考えていたところに、佐渡島・雑太の本間泰高が連絡をとってきたわけだ。そのため、この輪島から佐渡島南岸の宿根木浦を強襲し、佐渡島に拠点を築こうという訳だ。地理で習った対馬海流は輪島から佐渡島を通って東北方面へ北上していく。海流に乗れば行ける場所という事で危険性もおさえられ、かつ越後の対岸ということで長尾上杉に圧力もかけられる。
「宿根木は羽茂の本間対馬守(高信)が治めている。だが雑太勢が全力で陸から攻めかかる予定だ。此方の兵がつけば勝てる」
「まぁ、最悪我々だけでも佐渡を押さえる事は出来ましょう」
「だが、油断はするなよ」
案内役に能登に来ていた本間家臣・熊谷将監を連れ、一行が出発した。1隻に100名と食糧・武具などを乗せ、全員無事に辿り着けば4000の兵が佐渡島に乗りこむ計算だ。敵対している羽茂の本間氏の兵力は多くて700ほどらしいので、対岸の越後への警戒を兼ねても十分だろう。
♢♢
越中国 蓮沼城
宇佐美定満は夜中に起こされても不機嫌な様子を微塵も見せなかった。むしろ夜中でも報告に来た兵を労いながら、陣幕の篝火を強くし報告を万全に聞く姿勢を見せた。この半月続いている斎藤氏の攻勢に耐える兵や、後方から支える兵を蔑ろにするほど彼は愚かではないからだ。
「で、態々此処まで馬を潰して来た所以を聞こうか」
「さ、佐渡に斎藤の兵が現れました!」
「佐渡?しまった、水軍の警備が薄くなったからか!」
越後に本拠がある宇佐美は即座に状況を理解した。海流に乗って攻め込まれた事、佐渡島の争いに斎藤が乗じてきたこと。羽茂の本間氏と協力関係にある彼らは、佐渡島南部を味方にして河原田の本間氏と争っていた。そのため河原田の本間氏が斎藤や織田と手を組まないか監視を怠っていなかった。
「しかし、河原田は此れ迄斎藤に使いを出してはおらぬ筈」
「斎藤が手を結んだは雑太の本間に御座います」
「死にかけの本家か。やられたわい」
彼らに予想できていなかったというより、眼中になかったと言っていい。中国の三国時代に例えれば、漢中も荊州もない、諸葛孔明死後の蜀漢が雑太の本間氏である。雑太郡の中でさえ河原田本間氏に味方する領主が過半となっている状況で、逆転の芽など本来ないのだから。
「ど、如何なさいますか?」
「北条辺りが不穏になりかねん。一部の兵を越後に戻す支度をするしかあるまい」
佐渡島は簡単に制圧できる島ではない。しかしどれだけの兵を送ったかわからない現状で判断するのは早計だ。宇佐美定満は越後沿岸を守れる兵を戻す準備をしつつ、続報を待つしか打てる手はなかった。
「北西の灘浦は新設の砦で、既に守りが崩されつつあるのだったな」
「はっ。途中から加わった大熊備前守(朝秀)様も奮戦しております故、何とか砦は守っておりますが」
「阿尾・海老瀬・森寺まで後退し、水軍を越後に戻す」
「そ、其れでは石造りの城を放棄されるので?」
「兵が足らぬ。人無き城では幾ら大筒に耐えても、何も守れぬ」
この会話の最中、もう一つの知らせが彼らにもたらされる。
「い、一乗寺の城に弾が飛び散る大砲が現れ、城の石壁を破壊致しました!」
「城は如何なった?」
「余り多くを撃たれず済んだ為何とか守りましたが、此の儘では長くは保てぬかと」
それは義龍が今回試験的に送り込んだ簡易式の散弾だ。大砲の弾を布に鉄クズなどを詰めて包んだ物に変えただけのものである。当然だが破壊力は高くなかったが、より広範囲に弾が飛び散ったため、城壁にいた兵が被弾して死者が出た。
「既に石造りも突破されかねん状況と見ていい。各地の兵を少しずつ戻せ」
「はっ」
無念そうな兵が陣幕を出て行くのを見ながら、宇佐美定満は小さくひとりごちた。
「斎藤宮内大輔と織田弾正忠。此の二人が現れてより戦の形が次々変わる。殿は未だしも、我等ではもう付いて行けぬのでは無かろうか」
宇佐美はすぐに切り替えて人を呼び、指示を出し始めた。しかし、だからこそこの一言は、彼の偽らざる本音であった。
安宅船と同時に用意していた弁才船。小舟を用意できなかったのはこれも理由でした。500石なので75トンの荷物が載りますが、今回は人の輸送船です。当然ですが今後は商用の輸送船としての利用も視野に入れています。
佐渡の本間氏については以前接触があったことを書いたと思いますので、その伏線が回収された形です。
竹中半兵衛・鍋島・蜂須賀とか豪華すぎる次代の共演。とはいえ実戦経験が少ない分マイナス補正はありますが。
散弾関連は次回。
何とか年内にはもう1話投稿したいところです。年内の仕事も終わったので。




