第52話 挑発
会戦の約束を交わしたアドミウスは、その場を辞して天幕から外へ出た。
すると、その後に続いて天幕から出てきたのはピアータである。
野営地の外まで見送りしろというパルティスの言葉に、「むさ苦しい男の見送りはご遠慮する」とアドミウスが言ったところ、ピアータが「それならば私が」と名乗り出た結果であった。
周囲すべてが敵兵に囲まれている状況でありながらも、微塵も怯えを見せず、むしろロマニア兵など恐るるに足らずと言わんばかりの態度で野営地の出口に向かって闊歩するアドミウス。
その背中をピアータは燃えるような目つきで睨みつけていた。
アドミウスが男の見送りを拒否したのは、自分への誘いであることをピアータは気づいていた。だからこそ、その誘いに応じたというのにアドミウスは、そんな誘いなどなかったかのように悠然と歩を進めている。
それがピアータには、たまらなく苛立たしかった。
幼い日に偶然出会ったインクディアスの兵法書。それに感化され、幼いながらに、そして幼いからこそ純真に将軍になるのを夢見たピアータだったが、周囲の誰もが口をそろえて無理だとたしなめた。
その理由は、至って単純である。ピアータが女だったからだ。
剛勇無双をもって知られるダライオス大将軍の影響もあり、ロマニア国で将軍となるには個人の武勇が重視されてきた。そして、戦場で求められる武勇とは力である。剣技の巧みさ、槍の突きの鋭さは二の次、三の次だ。まずは馬上から敵を叩きのめし、敵兵の鎧兜を叩き割る剛力があってこそ技は成り立つものなのである。
しかし、女であるピアータにとっては、それは望むべくもないものであった。
我が身が女であることを嘆くピアータに、ある日ダライオス大将軍が献上したのは、一冊の本である。
「これは武勇では私に遠く及ばず。されど、将軍としては私のはるか高みにある男の書いたものにございます」
それこそが、「ダリウスの指南書」であった。
ロマニア国軍ばかりか西域全土を見回しても、その武において並ぶ者なしと謳われたダライオス大将軍をして、自分よりも優れた将軍であると言わしめたダリウス将軍と言う存在と、その将軍としての在り方。
その日以来、ピアータの中ではダリウス将軍こそが師であり、目標であり、憧れだった。
そんなピアータにとって、ダリウス将軍から弟子と認められたカリレヤ平原での対面は、まさに歓喜と興奮のときであったのだ。
その大事な宝物を余人ならばいざ知らず、兄弟子とも言うべき人から否定され、今もまたおまえなど眼中にないと言わんばかりの態度を取られるのに、ピアータは怒りで噴火寸前の火山のような状態となっていた。
そんなピアータの怒りなどどこ吹く風とでもいうように無視していたアドミウスだったが、不意に誰へともなく口を開いた。
「ダリウス将軍閣下は、ご自身の領地で造られる葡萄酒をことのほか好まれておられた」
ピアータは一瞬怒りも忘れて、それは良いことを聞いたと思った。
ダリウス将軍の領地ならばピアータもよく知っている。葡萄酒を特産品として売りに出しているとは聞いたことがないので、あくまで領民が自分らで消費するためにわずかに生産したものだろう。それでも出入りの商人に頼んで、何とか入手できないものだろうかと考えた。
そんなピアータにアドミウスは続けて言う。
「ダリウス将軍閣下は、戦勝祝いなどで酒を召されると、いつもの厳めしい顔をほころばせ、決まって『コルネリアの恋歌』を歌われたものだ」
またもや良いことを聞いたと、ピアータは思った。
歌舞音曲には疎いピアータである。その『コルネリアの恋歌』がいかなるものかは知らなかった。だが、ダリウス将軍が好まれたのならば、きっと良い歌なのだろう。
宮廷楽士ならば知っているかも知れない。もし知っていれば習ってみるのも悪くないとピアータは考えた。
さらにアドミウスは語る。
「ただ閣下は酔われると、どうも音程を外される癖があってな。我ら一同、いくら尊敬する閣下でも、あれはないと笑い合っていたものだ」
これまた素晴らしい逸話を聞けた、とピアータは喜んだ。
自分が思い浮かべていた完全無欠の存在ではなく、ダリウス将軍もまた欠点を抱えるただの人間だったのだ。よりダリウス将軍を身近に感じられる話にピアータは歓喜した。
この兄弟子は、実は良い方ではないのか?
ピアータは、ころりと機嫌を良くしていた。
先程の挑発は、きっと私の立場を慮ったものに違いない。確かに同じダリウス将軍閣下の弟子とは言え、今は敵同士。それを馴れ馴れしくしては示しがつかない。いやはや、さすがは兄弟子殿だ。その心配りの細やかさに感心する。この可愛い妹弟子の立場を慮って、あえて悪役を演じる優しさ。そんな心優しい兄弟子の気遣いを逆恨みするとは、自分こそが未熟であった。ああ、兄弟子よ。この未熟な妹弟子を許されよ。
そうピアータが深く恥じ入っていると、アドミウスは足を止めて踵を返した。
振り返ったアドミウスの顔を見たピアータは、自分が思い違いをしていたのに気づかされる。
「この程度のこと、閣下に従っていた者ならば誰もが知っていて当然のこと」
アドミウスの顔に浮かんでいたのは、軽蔑と優越感である。
こんなことも知らんのか? それで良く閣下の弟子を名乗れたものだな。
アドミウスの目が、そう語っていた。
自慢かっ?! 自慢だったのかっ?!
瞬間的にピアータの顔が怒りで真っ赤に染まった。
今にもその喉笛に噛みつかんばかりの形相で歯をガチガチと打ち鳴らすピアータを前に、アドミウスはたわいない世間話でもするように口調で言う。
「今度の会戦においては、我ら『黒壁』は本隊の側面を守ることになるであろう。精鋭を自負する我らといえど、今や多くの仲間を失っている。これでは主力を任されぬのもやむを得まい」
そう言うとため息をひとつ洩らしてから、自分を睨みつけるピアータへと目を向ける。
「ところで、ロマニアには跳ねっ返りの子馬がいると聞く。そやつも本隊の側面を守らされることになれば、我らと戦場で相対するやも知れんな」
アドミウスは挑発的に笑みを浮かべた。
「もし、そんなことがあれば、我らが自らダリウス将軍閣下の教えの一端なりとも、実地で教育してやれるというもの。もっとも、子馬殿がダリウス将軍閣下の最精鋭たる我らを恐れなければの話だがな。はてさて、子馬殿にそれだけの勇気があろうか?」
ここで口を開けば何を言ってしまうか自分でもわからなかったピアータは剥き出しにした歯を食いしばりながら、ぶんぶんっと首を上下に振って見せた。
これにアドミウスは「身の程知らずも良いところだ」と言わんばかりに鼻で笑って見せ、さらにピアータを煽る。それから野営地の入り口に待たせてあった従兵から馬の手綱を受け取ると、外套をひらりとはためかせて馬に乗った。
「では、戦場で見えるときを楽しみにしておこう。子馬殿」
そう言うとアドミウスは馬の脇腹に小さく蹴りを入れて馬を走らせると、大きな笑い声を上げながらロマニア国軍の野営地を去って行った。
目を血走らせ、肩を震わせながらアドミウスを見送っていたピアータだったが、その姿が小さく見えなくなると、天に向かって怒声をほとばしらせたのである。
◆◇◆◇◆
無事にガッツェンの街に戻ってきたアドミウスは、早速蒼馬のところへ報告に訪れた。
無事の帰還を喜んだ後、ことの首尾を尋ねた蒼馬に、アドミウスは自信たっぷりに答える。
「会戦の申し入れ並びにピアータめへの布石。委細滞りなく務めを果たして参りました」
「良かった。ピアータ姫にも、うまくやれたんだね」
蒼馬はホッと胸を撫で下ろした。
ミルツァへ自分を誘い込んだ策や先日の呪いのときに見せた対処を見れば、ピアータの知謀は侮れない。いくらアドミウスでも簡単にはピアータを挑発に乗せられないと思っていただけに、嬉しい報告であった。
それを言うとアドミウスは笑って答える。
「いかに才があろうとも、しょせんは人生経験の乏しい小娘。ましてやドルデアめが溺愛していたとなれば、これまで誰かに煽られたり、面と向かって侮辱されたりした経験はございますまい。そのような小娘を挑発するなど、たやすいものにございます」
言われてみれば、そのとおりだと蒼馬は思った。
感心する蒼馬を前にアドミウスはしかつめらしい顔で言う。
「しかし、妄想癖のある哀れな小娘とはいえ、前途ある若者をいたぶるのは心が痛みますなぁ」
嘘をつけ!
蒼馬とシェムルは、とっさにそう突っ込みそうになった。
それほどにアドミウスの口調は楽しげで、口許にはわずかな笑みすら浮かべていたのだ。
「次の戦いでは、間違いなくあの小娘は我らと相対してきましょう。そのときは、たっぷりとダリウス将軍が鍛えた我らの凄さを思い知らせてやります。ソーマ陛下におかれましては、その光景を存分にご堪能していただきたい。いやぁ、そのときが待ち遠しいものですなぁ」
そう言ってからアドミウスは会戦に向けての訓練があると言って部屋を出て行ったのである。
アドミウスの姿が消えた通路の先から楽しげな笑い声が聞こえてくるのに、蒼馬とシェムルはしばし顔を見合わせた。
「なあ、ソーマ」
しばらくしてシェムルが顔を引きつらせて蒼馬に言う。
「あいつの前ではダリウスの話は控えた方が良さそうだ。まかり間違って変なことを言えば、その場で反乱を起こしかねないぞ、あいつ」
このシェムルの言い分に、蒼馬はもっともだというように力強くうなずいたのである。




