第51話 会戦
アドミウスの会戦の提案に、ロマニア国の将軍諸侯の間からはどよめきが上がった。
敵の軍使を前にして、内心の驚愕や動揺をあらわにするのは失態に他ならない。しかし、冷静沈着にして礼節を重んじると知られたセルティウス侯爵ですら、他の将軍諸侯らの失態を咎める余裕もなく、目を見開いたまま何の対応もできずにいた。
何しろ、ことは会戦の提案である。
これまで何度となく街から出てきて戦えというロマニア国の要求をことごとく突っぱねてきたのはエルドア国側だ。それをたかが五、六千の援軍が到着したとたんにこれまでの姿勢を翻し、向こうから会戦を持ちかけてきたのである。
これも駆け引きのひとつであろうか?
セルティウスは、そう考えた。
こちらが野戦での決着を求めているのを承知し、それを受け入れる素振りを見せて、他に何か意図があるのではないだろうか?
「それは大変興味深い。ちなみに、戦場となる場所はいずれをお考えであろうか?」
もしかすると、会戦を餌にして、こちらが不利となる地形で戦わせようというのが破壊の御子の狙いかも知れない。
そう考えたセルティウスは会戦の申し出を受け入れても良いという態度を示しつつも、慎重に戦場となる場所を尋ねた。
「ソーマ陛下は、遠路はるばるやってこられたロマニア国軍の方に、さらにご足労を戴くのは申し訳ないと仰せになられております。そこで、ここより西の平野ではいかがでしょうか?」
アドミウスの答えに、さらにロマニア国側はどよめいた。
てっきり大軍を動かしにくい山間などの土地を提案されると思いきや、それが平野である。しかも、アドミウスの言葉を信じるのならば、そこは川沿いに広がる平野で、両軍が展開するに十分な広さがあり、なおかつ丘や窪地などの起伏もなく策を講じにくい地形だ。
また、そんな地形だからこそ奇襲を警戒するロマニア国軍はこの地に陣を移したのである。
「失礼を承知でお尋ねするが、破壊の御子と貴公は正気なのか?」
セルティウスは思わず素で尋ねてしまった。
策が講じにくく大軍を展開できる平野など、どう考えても多勢であるロマニア国軍に利がある地形だ。そのようなところをあえて兵数で劣るエルドア国側から提案されるとは信じがたいことだった。
セルティウスの困惑が良く理解できるアドミウスはひとつ笑ってから、もちろん正気だと答える。
これに、セルティウスはムッとした。
セルティウスから正気かと尋ねた以上、もしここで正気ではないと言われれば、冗談として流しても良かった展開である。いわば最後の慈悲を与える機会を向こうが笑い飛ばしてきたのだ。
侮辱を受けたと感じたセルティウスは辛辣な口調で言う。
「破壊の御子という方は、どうやら物忘れが激しいようだ。あれほど無様に敗走したのをもうお忘れになったように見える」
ミルツァで大敗したくせに、今度は兵数で勝る我らに平野での会戦を求めるとは愚かにも程がある。
そう言外に嘲るセルティウスに、アドミウスは怒りもせずに悠然と応じる。
「ソーマ陛下は、こう仰せになっておられる。『先日はパルティス殿下の突然の来訪故に満足な対応ができず大変申し訳なかった。次は万全の用意をもって歓待させていただくので、存分に楽しんでもらいたい』と」
そこでアドミウスは、ニヤッと笑う。
「それに次は、我ら『黒壁』が陛下の盾となりましょう。ロマニア国の方々ならば、よくご存じではございませんか? ホルメア国最高の将軍と謳われたダリウス将軍閣下に率いられていた我らの強さを。貴殿らが戦神などともてはやす、さる御仁など何度我らを前に無様に逃げたことか」
ロマニア国軍の全将兵が尊敬する今は亡きダライオス大将軍を侮辱する物言いに、ロマニア国の将軍諸侯はカッとなった。
頭に血を上らせた将軍諸侯の数名が、とっさに剣の柄に手をかける。
「パルティス殿下の御前ぞ! 軍使を斬ったとあっては、殿下の御名に傷がつこう!」
セルティウスの一喝が、そうした者たちの暴走を食い止めた。
どれだけ頭に血が上ろうとも、王位継承を争う最中でパルティスの名誉に傷を付けるわけにはいかない。しかし、腹の虫が治まらない将軍諸侯らは、剣の代わりに舌を振るう。
「おのれ! ダリウスなど、亜人類の頭目にも劣る敗者ではないか!」
「愚王ワリウスにすら相手にされなかった老人ごときが、とっとと死んでおれば老醜を晒さずにすんだものをな!」
そうした罵倒を前に、アドミウスはこれ見よがしにクツクツと含み笑いを洩らす。
「そのダリウス将軍閣下を前に、貴殿らは何度敗走されたのですかな? 話に聞けば、カリレヤ平野においてもわずか数百の手勢しかいなかったダリウス将軍閣下に、あわやヴリタスめを討ち取られるところだったとか」
アドミウスは満面に侮蔑を浮かべる。
「ソーマ陛下は、そのダリウス将軍閣下に宿敵と認められた、お方。老婆心ながらパルティス殿下へ申し上げます。すみやかに兵を退かれた方が、御身のためによろしいのではございませんでしょうか?」
ひどい侮辱である。
ロマニア国軍の将軍諸侯はこぞって怒りに顔を赤黒く染めた。
その中にあってピアータは、まずいと思った。
アドミウスはあきらかにこちらを侮辱し、平野での会戦に持ち込もうとしている。
普通に考えれば、兵数で勝るこちらが有利な条件だ。だが、あの破壊の御子が何も考えずに、そんなところでの会戦を提案するとは思えない。何らかの秘策があればこそと考えるのが当然である。
これは何としてでも止めねばならない。
味方だけの軍議の場ならばともかく、敵の軍使を前にしての交渉の場において女である自分がしゃしゃり出るのはよろしくないが、このままでは破壊の御子の術策に陥ってしまう。
ピアータは周囲から批判を受けるのを覚悟の上で、意を決して声を上げようとした。
しかし、その寸前でまるでピアータの機先を制するようにアドミウスが声を張り上げる。
「だいたい、ロマニア国の者どもがダリウス将軍閣下をどうとか評すること自体がおこがましい」
たっぷりと侮蔑を乗せた言葉に、ピアータはカチンッと来た。
ピアータは直感的に、それが自分へ向けられた言葉であると感じたからだ。
ピアータのダリウスへの敬愛は、「黒壁」と比べても勝るとも劣らぬものである。身近に接せられなかっただけに、そのもどかしさから敬慕の念はより強いとさえ言える。それだけにダリウスから弟子と認められたことはピアータにとって強い誇りであった。
それだというのに、「ロマニア国人に、ダリウス将軍の何がわかるか」と言われたのだ。これにカチンッと来ないわけがない。
自身の中の荒れ狂う感情をなだめようと動きを止めたピアータを前に、アドミウスはさらに続けて言う。
「そういえば、ロマニア国でも密かにダリウス将軍閣下の著書をご愛読されているとか」
アドミウスの指摘は事実である。まずもってロマニア国軍の大将軍ダライオス自身がダリウスを好敵手と認め、その著書である「ダリウスの指南書」を高く評価していた。それもあってロマニア国軍の中では、憎い敵将の手によるものだが一読の価値ありと多くの者が認めざるを得ないものだったのだ。
さんざん罵って置きながら、その人の著書を読んでいるのを指摘されたロマニア国軍の将軍諸侯らはうなり声を洩らした。
それを小さく鼻で笑ってからアドミウスは続ける。
「しかし、書は書。ダリウス将軍閣下ご本人ではございません。たかが書ひとつを読んで閣下をわかった気になられるとは、それこそ閣下への侮辱にございましょう」
これに数人が、訝しげな顔をした。
先程まではダリウス将軍を馬鹿にして罵っておきながら、その著書で学んでいると指摘しておいて、そこからその著書だけでダリウス将軍をわかった気になるなと言う。
論点が飛躍しており、何やら批難の矛先までもが微妙にズレてきた気がしたからだ。
そうした中でピアータただひとりだけが、そのズレた矛先が自分に向けられていると直感した。
それを証明するかのように、アドミウスの目は明らかにパルティスではなくピアータへと向けられている。そして、その目は「書を読んだだけでダリウス将軍閣下の最後の弟子を自称するなど片腹痛いわ!」と如実に語っていたのだ。
これが無関係の人間ならば、ピアータも受け流すことができただろう。
しかし、相手はダリウス将軍の配下として長らくその指揮の下で戦い続けた「黒壁」の将校である。いわばダリウス将軍の子飼いの弟子。ピアータにとっては兄弟子とも言うべき相手である。
そんな兄弟子から、「おまえ如きにダリウス将軍の何がわかるか!」と侮辱されたのだ。
とうてい無視できるものではない。
ピアータは飢えた狼さながらに、歯をガチガチと打ち震わせた。あまりの怒りに全身が痙攣するかのように震えているのだ。
さらに、そのピアータの怒気に中てられ、他の将軍諸侯までもが憤怒の形相を浮かべ、今にもアドミウスへ斬りかからんばかりの様相を呈してきた。
「皆の者、落ち着け」
それを止めたのは、パルティスであった。
「どうやらこの者は、我らを侮辱し、怒らせ、何としてでも会戦に持ち込みたいようだ。それに易々と乗せられて、どうする?」
これには頭に血を上らせていたロマニア国の将軍諸侯たちも我に返った。その様子にアドミウスは平静を装いながらも、内心で舌打ちを洩らす。
噂では、パルティスは短絡的な性格と聞いていた。もっとも挑発に乗せやすいと見ていたパルティスが、まさか逆に配下の軽挙妄動をたしなめるとは思いもしなかった展開である。
相手を見誤っていたかと悔やむアドミウスに向けて、パルティスは言う。
「軍使殿よ。エルドア国の王を名乗る破壊の御子へ伝えよ」
一拍の間を置いて、パルティスは次の言葉を言った。
「ロマニア国の王子パルティスは、喜んで会戦の申し出を受け入れる、とな」
「お、お待ちください、パルティス殿下!」
屈託のない笑顔で会戦の受諾を宣言するパルティスと思わぬ展開に驚きを顔に浮かべるアドミウスの間に、セルティウスが慌てて割って入る。
「敵の挑発に乗ってはならぬと仰せられたのは殿下ではございませぬか?! 何卒、ご再考をお願いいたす!」
再考を促すセルティウスに、他の将軍諸侯らも賛同した。
パルティス殿下の悪い癖が出てしまった。
多くの将軍諸侯らは、そう思った。
パルティスは熟慮より即断即決を好み、巧遅より拙速を尊ぶ気質の持ち主である。そのため、短絡的に会戦の提案を受けてしまったのだろうと考えたのだ。
このような展開を恐れたからこそパルティスには発言を控えてもらっていたのだが、まさか敵の軍使の目の前で、安易に敵の提案に乗ってしまう失言をするとは、痛恨事である。
口々に自分らを諫める将軍諸侯らに向けて、パルティスは不思議そうな顔で尋ねた。
「敵に対して、我らの兵数はおよそ倍。この条件で、なぜ貴卿らは会戦を断れと申すのだ?」
セルティウスはひとつ咳払いをしてから答える。
「破壊の御子は権謀術数を能くし、また策を好み、寡兵でありながら敵の大軍を幾度も破った希代の策士。それが何の策もなく、多勢である我らに会戦を挑みましょうか? どうか御熟慮を」
「なるほど。――貴卿らは、敵に策があると申すのだな?」
パルティスの問いに、セルティウスと将軍諸侯らは肯定した。
これにパルティスはひとつ大きくうなずいて見せる。
「さもありなん」
思わぬ答えに目を丸くする将軍諸侯を前にパルティスは楽しげな顔で言う。
「戦とは、何ぞや? ただ兵を集めて戦わせるのみか? 否! 否である! 謀を巡らし、罠をしかけ、敵の裏を掻く。また、敵を挑発し、恐れさせ、ときには侮らせる。このすべてが戦である!」
そこでパルティスは「私は策とかは難しくてダメだがな」と底抜けに明るい口調で笑った。
「ましてや敵は希代の策士、破壊の御子。戦に策をもって挑んでくるのは当然であろう。そして、その策を貴卿らが警戒するのもまた当然である。
だが、破壊の御子の策を恐れて戦いを回避するのならば、いつ戦えと言うのだ? 奴は常に策を巡らせてくるぞ。しかも、猶予を与えれば与えるほどに、奴はより周到に、より狡猾な策を用意し、我らに戦いを挑もう」
まさに正論である。
これに将軍諸侯らは、ぐうの音も出せなくなってしまった。
「ならばこそ、戦うはこのときをおいて他になし!」
パルティスは断言した。
「今は、我が軍が優勢。希代の策士、破壊の御子とはいえ多勢である我らを打ち破るには、断崖に架けられた一本の綱を渡るが如き危うき策を用いねばなるまい。
故に、そこにこそ勝機がある! 破壊の御子の策を真っ向から打ち破り、今度こそ奴の首級を挙げる好機である! エルドア国を討ち滅ぼし、ロマニア国建国以来の悲願である西域統一の宿願を果たすときである!」
そこでパルティスは、無邪気な少年を思わせる笑顔を将軍諸侯へと向けた。
「それを貴卿らに期待したいのだが、ダメか?」
一拍の間の後、居合わせた将軍諸侯らはパルティスへ向けていっせいに片膝をつき、頭を垂れて恭順の姿勢を示しつつ唱和を挙げた。
「「殿下の御意のままにっ!!」」
将軍諸侯らの同意を得られたパルティスは満足げに笑うと、アドミウスへと目を向ける。
「というわけだ、軍使殿。貴殿の王へ伝えよ。遠慮なく思う存分、策を講じられよ。このパルティスは、それをことごとく粉砕し、貴公の首をもらい受ける、とな」
少年のような無邪気な笑顔でありながら、全身から王者の風格を漂わせるパルティスにアドミウスは気圧されるものを感じた。
この王子様。なかなかに侮れない御仁だな。
そう警戒しつつも強敵との戦いに心を躍らせてしまうのが、アドミウスである。アドミウスは毅然と胸を張ると、自身の胸を力強く叩く。
「承知いたしました! 我が王ソーマ陛下へ必ずやお伝えいたしましょう!」
かくして後世において「ベルテ川の戦い」と呼ばれるエルドア国とロマニア国の一大会戦が決定したのである。




